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ニュースの内面を見るものみの塔 1974 | 4月15日
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ニュースの内面を見る
コホーテクはしるし?
● 昨年の12月半ばころから,地球の住民は,めったに現われないすい星コホーテクに魅せられている。多くの人にとって,それは畏怖の念をいだかせる天体の美を示すものである。かと思うと,それは「事物の体制の終結の時」に,「恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがある」とイエスが預言している,ルカによる書 21章11節の成就である,と見る人たちもいる。そうした人たちは,西暦70年にユダヤ人の事物の体制が終わる前,「1つの星が,幅の広い剣のようなかたちで[エルサレム]の上にとどまり,すい星が1年間とどまっていた」という,ユダヤの歴史家ヨセファスの報告を思い出している。コホーテクは,わたしたちの時代のしるしだろうか。
すべてのすい星を「凶兆」とみる人びとは,コホーテクに恐れをいだいているかもしれない。しかしたいていの人は天文学を通して,このすい星が地球を脅やかすものでも,76年ごとに地球の周辺を訪れるハレーすい星以上の意義を持つものでもないことを知っている。
では,「恐ろしい光景や天からの大いなるしるし」にかんするイエスのことばにはどんな意味があるのだろう。諸事に通じた人びとは,彼らが現在天に見ているもののゆえに恐れを感じているだろうか。確かに感じている。その恐怖を起こさせるものは,人工衛星が暗示する潜在戦力である。打ち上げられた衛星の50%近くは,軍事目的のためのものである。
そのような「恐ろしい光景」は「宇宙空間」のみならず,わたしたちのすぐ頭上にある,地球の大気圏の「天」にも見られる。そこでは現代の軍事専門家たちが,大陸間弾道ミサイルを飛ばしている。これらが核弾頭をつけるなら,何百万という人びとの上に即時死の雨を降らすことができるのである。イエスの預言の一部を成就するのは,恐怖を引き起こすこうしたものである。
法律による平和
● ここ10年ほどの間,冷戦の「雪どけ」,国際関係の緊張緩和,軍備競争停止協定などについて耳にすることが多かった。真の平和への動きは実際にどれほど強力なものだろうか。ロンドンにある戦略研究所は,最近のある報告の中で,兵器の製造は減少するどころかふえていると述べている。法律による世界平和にかんする世界会議で,講演者のC・S・リンは,国際連合が存在していながら「われわれには平和がない」と述べた。その原因はどこにあるだろうか。彼はこう答えた。「諸君,われわれに平和がないのは,形と構造は実質に代わるものではないからである。平和への道を歩む意志がなければ,世界のすべての制度や機関も無益である」。
「法律による世界平和」― それもよい。しかし,だれの法律をどの政府が施行するのだろう。ほとんどの国は今日,強制的に軍事教練を施している。平和教練を施している国はひとつもない。
しかしながら,イザヤ書 2章の2節から4節は,多くの人が神の政府に心を向け,彼らに対して神の「律法」が出る,と預言している。それが彼らに及ぼす影響は,『国は国にむかいて剣をあげず戦闘のことを再びまなばざるべし』である。その律法を地球全体に施行する手段は,神のみ子の王国である。神の律法によらずに偽善的に平和を求める者は,近い将来,その王国によって除かれることになっている。―テサロニケ第一 5:3。
飢きんの脅威
● 農業分析者たちは,世界的規模の深刻な食糧不足が到来することをますます強く警告している。飢きんを逃れうるどんな見込みがあるだろうか。
多くの人は,いくつかの主要生産国で最近穀物が豊作だったことに慰めを見いだしている。しかし一度くらいの豊作では十分とは言えない。世界最大の食糧生産国であるアメリカでも,穀物の備蓄は底をついている。食品科学の教授,ジョージ・ボーグストロムは,「人びとはいまだに,何か偉大な科学技術によって問題は解決されると考えている」と言っている。しかし「緑の革命」,「奇跡の米」,「不思議な小麦」なども解決をもたらさなかった。
将来くるかもしれぬ飢きんに備えて食料を貯蔵し,個人的に飢きんに対処しようとする人もあるだろう。これはどれほどの安全を保証するだろうか。停電になれば冷凍食品はどうなるだろう。事態がひどく深刻になれば,食糧を大量に貯蔵している者は,飢えに狂った人びとの主要な攻撃目標にならないだろうか。
聖書は,この時代のしるしのひとつとして食糧不足を預言していた。(マタイ 24:3,7,21。啓示 6:1-8)そればかりではない。きたる「大患難」においては,神の王国に反対する者たちは,神のしもべたちを飢餓状態に落し入れようとするかもしれない。真のクリスチャンの安全は食糧の貯蔵にあるのではなくて神のご配慮にある。彼らは確信をいだいて,預言者の次のことばに和することができる。『田畑は実際に食糧を産出しなくとも,わたしはわたしの救いの神によって喜ぶ』― ハバクク 3:17,18,新。啓示 7:9,10,14。
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すべての人に影響を与えている地震ものみの塔 1974 | 4月15日
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すべての人に影響を与えている地震
大地震を経験したことがありますか。もしそうなら,“堅い地面”がゼリーのように揺れ動く時の,あの気味の悪い恐ろしさを知っておられるでしょう。そのほんの数秒間が幾時間にも感じられます。多くの建物が崩れて倒れ,幾百人,時には幾千人もの人がその下敷きになります。それを生き延びる人たちも,そうした経験を容易には忘れません。あるいはあなたは,そうした地震については,ただ何かで読んだことがあるだけかもしれません。
いずれにしても,あなたの生活は地震の影響を受けています。なぜそう言えますか。なぜなら,現代の地震は,イエス・キリストの預言を成就するものであるからです。それらは,わたしたちが,聖書の中で「事物の体制の終結」の時と呼ばれる時代にいることの証拠となっています。事実を調べて考えてください。
聖書をお持ちなら,マタイ 24章を開き,その3節から先を読んでください。
「イエスがオリーブ山の上で座っておられたところ,弟子たちが自分たちだけで近づいて来て,こう言った。『わたしたちにお話しください。そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか』。そこでイエスは答えて言われた,……『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があるからです。これらすべては苦しみの劇痛のはじまりです』」― マタイ 24:3-8。マルコ 13:4-8。
また,聖書史家ルカは,イエスが「大きな地震があ(る)」と言われたことをも付け加えています。―ルカ 21:11。
地震の起き方に違いはないか
しかし,ある人たちは,『地震はいつの時代にもあった。この点で今の時代がこれまでと特別に異なることはない』と言います。ある科学者は,「ナチュラル・ヒストリー」(博物学)誌の中でこう主張しています。
「幾つかの宗教グループが,このどちらかと言えばあまり幸福でない時代を取り上げて,地震の数が多くなっていると唱えているのはおもしろいことである。……一言すべきことであるが,1896年から1906年までの大地震の数(約25)は,それ以後のどの10年間よりも多い。明らかにこの宗教的な懸念は終わりの時に関する福音書のことばと結び付いているものと思うが,……[イエスの預言]も,地震学者にとっては,それほどの予言ではないように思われる」― 1969年12月号。
これは反論として正当なものですか。その問いに答えるために,ご自分の聖書を見て,イエスがつづいてどのように述べたかに注意を払ってください。イエスは,ここに挙げたできごと(地震を含む)がいずれかの「10年間」に起きるであろう,とは言いませんでした。「あなたがたに真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」と語ったのです。(マタイ 24:34)一つの「世代」といえば10年よりずっと長い期間です。
さらに,イエスは「大きな地震」について予告した,という点を銘記してください。地震を「大きな」ものとするのはどんな点ですか。それは生命や資産に与える影響の程度ではありませんか。しかし,現代の地震研究者は,リヒター式の地震等級,つまり,地震が発する力の規模を示す“マグニチュード”値が高い場合にのみ,それは大きな地震であったと考えがちです。しかし,マグニチュード値が非常に高い地震でも,それが海底で起きる場合には,人間にはほとんどなんの影響も
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