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目ざめよ! 1972
目72 12/22 27–28ページ

「あなたのみことばは真理です」

十字架の使用

もしあなたの最愛の友のひとりが偽りの告発を受けて処刑されたとしたら,どう感じますか。その処刑に用いられた道具,たとえば絞首刑用の輪なわ,あるいは電気いすの複製を作って,それに口づけしたり,その前でろうそくをともしたり,それを飾りとして首に下げたりするでしょうか。『もちろん,しません』と言われるでしょう。

しかし,大勢の人びとは事実上,そうしてはいませんか。イエス・キリストのことを,命を捨てて自分たちに愛を示した最愛の友と呼び,イエスは何ら罪を犯さなかったのに十字架上で処刑された,と言ってはいませんか。ところが,彼らの教会や家や,からだには,これ見よがしに十字架がつけられてはいませんか。多くの人は十字架に口づけしたり,その前でろうそくをともしたり,頭を下げたりしてはいませんか。どうしてそのようなことが行なわれるようになったのでしょうか。

歴史上の証拠によれば,初期のクリスチャンは崇拝のさいに十字架を用いませんでした。新カトリック百科事典はこう述べます。「西暦初期の象徴的な芸術の中には,ゴルゴタにおけるキリストの贖罪の死を表わしたものは見られない。彫像を禁ずる旧約の影響を受けた初期クリスチャンは,主の受難のさいの刑具をさえ描こうとはしなかった」。彼らが十字架の前で頭を下げたり,十字架に口づけしたりしなかったのは明らかです。

ユダヤ人やローマ人にとって,イエスの死のさまは,不面目で恥ずべきものでした。イエスは,そのかたわらで刑柱につけられた悪人のように,最も卑しむべき犯罪者同様に処刑されました。(ルカ 23:32)したがって,その死は,考えうる最悪の仕方でイエスを悪人に仕立てるものとなりました。ですから,クリスチャンにとって,その刑具そのものは非常な嫌悪の情を催させるものだったでしょう。それを崇めるのは,その上で犯された悪行 ― イエス・キリストの殺害をたたえることを意味していたのです。

とはいえ,キリスト教徒ではない人びとは多年,十字印を神聖な宗教的象徴として崇めていました。「宗教儀式における十字架・建築および美術」と題する本はこう述べています。「キリスト誕生前の長年の間,またそれ以後,教会の教えが伝えられなかった種々の土地で十字印が神聖な象徴として用いられてきたのは不思議とはいえ,疑問の余地のない事実である。……ギリシアのバッカス,ツロのタンムズ,カルデアのベル,ノルウェーのオーディンなどはみな,その信奉者により十字形によって象徴された」― 1ページ。

こうしてみると,自称クリスチャンが崇めているのは,異教の象徴ではなかろうかという疑問が生じます。

自称クリスチャンの間で十字架が公然と用いられるようになったのは,西暦4世紀以後のことです。この事態に対しておもな責任があるのは,臨終の床でバプテスマを受ける何年も前にキリスト教を受け入れていたと言われる太陽崇拝者のコンスタンチヌス皇帝でした。その改宗の始まりは,彼が空中に十字架を見たとされる312年と考えられます。そして,その十字架はキリスト教の象徴であり,同皇帝はそれをキリスト教徒の神から勝利を賜わるしるしと解した,と言われています。しかし,太陽崇拝者の彼がキリスト教の象徴を実際に見たのでしょうか。太陽崇拝者の戦いを,どうして神が容認できるでしょう。

何年も前にイエス・キリストはペテロに告げました。『なんじの剣をもとに収めよ,すべて剣をとる者は剣にて滅ぶるなり』。(マタイ 26:52)したがって,イエスの代表した神が,太陽崇拝者やその配下の太陽崇拝者たちの軍隊の戦争を支持するなどとは考えられません。

コンスタンチヌスが何かを見たにしても,それが何かを確言できる人は今日ひとりもいませんし,今日入手できる伝統的な証言も矛盾しています。教会史家ユーセビウスは,コンスタンチヌスとその全軍が「天の太陽の上方に,[これによって征服せよ]としるされた,光の十字架の盾」を見た,と唱えています。しかし,別の史家ラクタンチウスはそれとは大いに異なり,「コンスタンチヌスは眠っていたとき,神の神聖な印を盾につけて戦うよう勧められた」と述べています。

もしコンスタンチヌスがキリスト教の象徴を見,それによって影響され,もしくは改宗させられたのであれば,彼の行動はそれを示す何らかの証拠を呈示したはずです。しかし,そうではありませんでした。彼が十字架を見たとされる時より何年も後でさえ,その硬貨は依然太陽神をたたえるものであり,それには無敵の太陽ということばが刻まれていました。しかし,ラクタンチウスの述べた「神の神聖な印」についてはどうですか。それもやはり太陽崇拝と関係がありました。一般に次のことが認められています。「普通,『車十字』[十字印を中に書いた円]と呼ばれる神聖な象徴の型式はほとんどそのまま,われわれの異教徒の先祖の用いた太陽の象徴から取り入れられた。……また,(S・ベアリング-ゴールド牧師が示唆したように),コンスタンチヌス皇帝は自分の単旗の印としてXPという文字を採用するさい,配下の異教徒たちの軍隊には限りなく回る太陽の輪を意味し,クリスチャンには救い主の名前のギリシア語の頭文字を意味する同一の表象を用いるという,抜け目のない考えに動かされたのではなかろうかとされている」―「宗教儀式における十字架・建築および美術」2ページ。

こうして,キリスト教とは無関係の十字印は,太陽崇拝を行なう一支配者の影響力によって非常に巧妙に取り入れられ,自称クリスチャンに受け入れられてゆきました。十字印を神聖な象徴として取り入れた自称クリスチャンはやがて,十字架につけられた人物を描くようになりました。その証拠となる初期の作品は西暦5世紀の時代にさかのぼります。

それ以前の初期の時代であれば,クリスチャンはそのようなことを偶像崇拝行為として非難したでしょう。たとえば,西暦2世紀のミニシウス・フェリックスは書きました。「そのうえ,われわれは十字印を崇拝もしないし,欲しもしない。木の神々を神聖視するあなたがたは実際,木の十字印を,おそらく神々の一部として崇めているのである」。

初期のクリスチャンが十字架を,イエスがその上で殺された刑具とはみなしえなかったことを示す要素はまだほかにもあります。イエスが十字架上で死んだことを暗示する証拠さえ聖書には一つもありません。スタウロスというギリシア語(多くの翻訳の中で「十字架」と訳されている)について,「ギリシア語原語精解希英大辞典」はこう述べます。「スタウロスは……おもにまっすぐなとがり杭もしくは杭を意味する。悪人はその上に釘づけにされて処刑された」。「キリスト教に無関係の十字架」と題する本は同様のことを述べています。「新約を構成しているギリシア語原語の数多くの著作はどれを見ても,イエスの場合に用いられているスタウロスが普通のスタウロス[つまり棒もしくは杭]以外のものだとか,ましてそれが1本の木材ではなくて,2本の木材が十字形に組まれて釘づけにされたものだなどということを示唆する文章さえ,ただの一つもない」。

こうした歴史上の証拠およびスタウロスという語の聖書中の用法はともに,十字架はキリスト教の象徴ではないという事実を確証しています。十字架を崇めるのは,キリスト教のものとして偽装された,れっきとした偶像崇拝行為です。したがって,神の是認を望むなら,「偶像を拝することを避けよ」という神の命令に従って,十字架を退けるべきではありませんか。―コリント前 10:14。

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