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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 8/1 455–457ページ

ほかの人々につかえた偉大な師

親が子供とともに読む特別記事

イエスはいつも人々のためになることをなさいました。イエスは人々に愛をしめされました。イエスは,「わたしはつかえられるためではなくつかえるために来たのです」といわれました。そこで,このい大な師のようになりたいなら,わたしたちもほかの人のためになることをしなければなりません。―マタイ 20:28。

たしかに,多くの人々はそうしません。ほんとうをいうと,たいていの人はほかの人につかえてもらいたいと思っています。イエスにしたがう人たちでさえ,そう考えたことがありました。イエスにしたがう人たちはそれぞれ,一ばんえらい人になりたい,一ばん重ような人になりたいと思いました。そのことは,ある日のできごとからわかります。

イエスは,彼に従う人々と旅行しておられました。そして一行はガリラヤの海に近いある町にはいりました。聖書はこうのべています。「家におられるとき,イエスは弟子たちにたずねられた,『あなたがたはと中で何を論じていたのか』。彼らは黙っていた。それは途中で,だれが一ばん偉いかと,互に論じ合っていたからである」― マルコ 9:33,34,口。

イエスは,彼らがそのようなことを言いあらそうのはよくないことを知っておられました。そのまちがった考えをなおして,彼らが変わるのを助けたいと思われました。そこで,ある日,みんなが集まっていた時,イエスは彼らがわすれることのできない教くんをおあたえになりました。イエスは何をなさいましたか。

人々がいっしょに食事をしていた時,イエスは食たくから立ちあがりました。うわぎをぬいで,手ぬぐいを取ると,それを腰にまきました。それからたらいを取って,そこに水を入れました。人々はみな,イエスは何をするつもりなのだろうとふしぎに思ったにちがいありません。

彼らが見まもっていると,イエスはひとりひとりのところに行って腰をかがめ,その足を洗い,手ぬぐいでふきました。それはとても思いがけないことでした。偉大な師にこのように仕えてもらった弟子たちは,きまり悪く思いました。そのうちのひとりの人は,そのようないやしい事をイエスにしてもらってはならないと考えたほどです。けれども,イエスは,わたしがそうすることは大切ですと言われました。―ヨハネ 13:2-11。

イエスはなぜ彼らの足を洗われたのですか。その人たちが住んでいた国では,人々はす足にサンダルをはいたり,はだしで歩いていましたから,ほこりの道を歩くと,足はほこりでよごれました。ですから,むかしは,家に来た人のよごれた足を洗うのは親切な行ないでした。召使のいる家では,一ばんみ分の低い召使がお客様の足を洗う務めをしました。

ところが,この時イエスに従う人々はだれひとりとしてほかの人の足を洗おうとはしませんでした。そこでイエスご自身がそのことをされたのです。こうして,イエスはご自分に従う人々に大切な教訓をおあたえになりました。彼らはその教訓を学ばなければなりませんでした。そして今日のわたしたちもその教訓を学ばなければなりません。

それはどんな教訓でしたか。イエスは上着を着て,ふたたび食たくにおつきになると,こうお話しされました。『わたしがあなたがたにしたことがわかりますか。あなたがたはわたしを「先生」とか「主」とか呼んでいますが,それは正しいことです。あなたがたの先生であり,主であるわたしが,あなたがたの足を洗ったのですから,あなたがたはおたがいに足を洗いあわなければなりません』。―ヨハネ 13:12-14。

ここで,偉大な師は,ご自分に従う人々がおたがいにつかえあってほしいと言われたのです。彼らは,自分はたいへんえらいのだからほかの人からいつもつかえてもらうべきだと思ってはなりませんでした。イエスが教えておられたのはそのことでした。

イエスは,ご自分に従う人々がいつもほかの人の足を洗うようにといわれたのではありません。そうではなくて,たとえほかの人の足を洗うようないやしいことであっても,彼らが喜んでほかの人につかえてほしいと思われたのです。彼らが自分のことだけを考え,高ぶったり,わがままだったりすることをイエスは望まれませんでした。

それはすばらしい教訓ではありませんでしたか。あなたも偉大な師のようになって,ほかの人に仕えますか。わたしたちはだれでも,ほかの人のためになるわずかなことができます。そうすればほかの人は喜びます。でも,それを一ばん喜ばれるのは,天にいらっしゃるイエスとイエスのおとうさんです。

ほかの人に仕えるのはむずかしくありません。よく注意して見ると,あなたがほかの人のためにしてあげられることはたくさんあります。うち,学校,そのほかどこでもすることがあります。

さあ,考えてごらんなさい。あなたは,何かおかあさんのお手つだいをすることはできませんか。おかあさんはあなたや家族のためにたくさんの仕事をしてくださっていますね。あなたはおかあさんのお手つだいができますか。おかあさんに,わたしもお手つだいができますかとたずねてごらんなさい。

あなたは,食事の前に,食卓にはしや茶わんをならべることができるかもしれません。それとも,食事が終わったあと,よごれた食器をかたづけることができるかもしれません。ゴミばこを毎日家の外に出す子もいます。あなたができることはどんなことでも,イエスがなさったように,ほかの人のためになっています。

あなたには弟や妹がいますか。もしいるならば,弟や妹にもつかえることができます。偉大な師であるイエスがご自分に従う人々につかえたことを思い出してください。弟や妹につかえるなら,あなたはイエスの手本にならっていることになります。そして,弟や妹に,ほかの人につかえることを教えているのです。

弟や妹にどんなことをしてあげられますか。遊び終わったおもちゃをかたずけるように教えてあげられるでしょう。または弟や妹が服を着たり,ねる用意をしたりするのを手つだうことができるかもしれません。そうしてあげると,弟や妹は,ちょうどイエスに従った人々がイエスを愛したように,あなたを愛するようになります。

学校でもほかの人につかえることができます。クラスのお友だちや先生につかえるのです。だれかが本を落としたなら,それを拾ってあげるのは親切なことです。黒板をふきましょうかといったり,何かお手つだいしましょうか,といって先生につかえることもできるでしょう。ほかの人のために戸をあけてあげるのも親切な行ないです。

あなたが何かをしてあげても,お礼をいわない人がときどきいます。そのために,あなたは良いことをするのをやめてしまいますか。いいえ,やめてはいけません。多くの人々はイエスの良いわざに感謝しませんでした。それでもイエスは良いことをするのをおやめになりませんでした。

ですから,ためらわずに,ほかの人々につかえてください,偉大な師であるイエスのことを思い出してイエスのもはんにいつもならうようにしましょう。

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