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宗教は兄弟関係にどんな影響を及ぼしてきましたか目ざめよ! 1982 | 1月8日
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ます。これらの戦いの期間中,幾百幾千万ものキリスト教世界の成員やユダヤ教徒,仏教徒,ヒンズー教徒などが互いに膨大な数の人命を奪い,不幸をもたらしました。ところが,戦いのどちらの側にいる僧職者たちも神の祝福を祈り求めていたのです。
この世の諸宗教が真の兄弟愛を促進する力としての役割を果たし得なかった理由は,次の根本的な誤りから出ています。それは,神がそのみ言葉聖書の中で述べておられる事柄を行なう代わりに,人間の指導者とその考えに従うよう人々を導いてきたという誤りです。―ヨハネ 12:43。
ですから,そのようなこの世的な宗教が真の宗教であるはずがありません。霊感を受けた聖書筆者ははっきりとこう述べています。「父なる神のみまえに,清くけがれのない宗教の行ないとは,貧しい孤児とやもめを見舞い,世の汚れにそまず,自ら清く保つことである」。(ヤコブ 1:27,バルバロ訳)この言葉には愛と兄弟愛の精神が息づいています。しかし,一方,不純な偽りの宗教の引き起こした武力行為や迫害のためにやもめや孤児にさせられた幾百幾千万もの人がいることを考えてみてください。しかもそれは,そのような宗教が『世の汚れに染まった』ためなのです。
そうであれば,キリスト教世界の諸教会が主要な部分を占めている偽りの宗教によって,真の世界的な兄弟関係が確立されるのを見るという希望は決してないことが明らかになります。諸教会は幾世紀にもわたってそのための権力を握り,その機会に恵まれてきました。ところが,その結果として存在する世界は犯罪とテロと戦争に苦しみ,政治や国家主義,人種的優越感,そして幾千もの宗派などでひどく分裂した世界なのです。
では希望はないのでしょうか。事態が非常に悪いので,人間同士の兄弟関係は単なる夢に終わってしまうのでしょうか。「なぜ」と題する流行歌の次のような物悲しい歌詞に同意する人は少なくないことでしょう。「だれかが人間同士の兄弟関係を築くためのプランを失い,もはやだれもそれを見付けようとはしない」。
しかし勇気を出してください。「人間同士の兄弟関係を築くためのプラン」は決して失われてはいないのです。事実,人類を兄弟関係で結ぶための中核はすでに形造られているのです。
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兄弟関係の模範目ざめよ! 1982 | 1月8日
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兄弟関係の模範
西暦33年の春のある寒い晩のことでした。男性の小さなグループがエルサレムに集まり,食卓に着いていました。その指導者イエス・キリストは33歳になる男性で,情け深く,果断で,威厳がありました。イエスは追随者に肝要な教訓を与えていました。このグループは人類の真の兄弟関係の最初の中核となったからです。
そのグループには温かい愛の精神が漂っていました。イエスは自分の死期が近いことを知ってはいましたが,自分のことで心配してはおられませんでした。むしろ,弟子たちと共にするこの最後の夕食の機会を冷静かつ愛ある仕方で利用し,励ましと教訓を与えました。―ヨハネ 13-17章。
謙遜さと仕える態度
イエスはしばしば言葉だけではなく,行動によって教えました。このとき,イエスは突然水の入ったたらいとふき布を取って,一人一人の足を洗い,弟子たちを驚かせました。
しかし,ペテロは,「わたしの足をお洗いになることなど,決してあってはなりません」と言って足を洗わせまいとしました。しかし,イエスはペテロを正し,忠実な弟子たちの足を洗ってから,「わたしはあなたがたのために模範を示しました」と説明しました。―ヨハネ 13:8,15。
イエスは真の兄弟関係の模範を示していたのです。謙遜で,愛のある精神,およびどれほど卑しく不快な務めであっても,偏ぱなく喜んで仕える態度を示されたのです。―ヨハネ 13:1-17。
愛と一致
その晩に,イエスが弟子たちと話し合った主な話題は何でしたか。それは人間同士の真の兄弟関係のしるしである愛,つまり純粋の兄弟愛です。イエスが,「あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」と言われた通りです。(ヨハネ 13:35)これこそ真の宗教であるかどうかをテストする決定的な手段です。
キリスト教世界の諸教会はそのテストに首尾よく合格しますか。世の諸宗教はどうですか。決して合格しません。「カエサルの」国家主義的な戦争で殺し合うことを会員に勧めている諸宗教がどうしてこのテストに合格できるでしょう。
真の愛は家族内にも地域社会にも一致を醸し出します。ですから,その記念すべき晩にイエスの取り上げた別の話題が一致であったのは筋の通ったことです。イエスは弟子たちが『一つになる』よう祈りました。(ヨハネ 17:11,20,21)後日,使徒パウロも同様にこう書いています。「愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。(コロサイ 3:14)そうです,真の兄弟関係は一致したものでなければならないのです。
この点で,キリスト教世界の状態は実に惨めなものです。南アフリカだけでも,自らを非常に敬虔であると唱える教会組織や宗派などが少なくとも4,000あるのです。キリスト教世界が兄弟関係で結ばれておらず,お話にならないほど分裂している事実だけでも,それがキリスト教のものではないことの証拠となります。それゆえ,クリスチャンであると自称する人はみな,「内部で分裂している家は倒れます」というイエスの警告を至極真剣に考慮すべきです。―ルカ 11:17。
だれがその兄弟関係を支配するのか
しかし,『謙遜さと愛と一致に関するこの話はどれも立派なことのようだが,だれがそのような兄弟関係を支配するのか』と言われるかもしれません。それはもっともな質問です。
姉妹たちをも当然含む兄弟関係は“家族”関係なので,完全な支配を行使し,“子供たち”の愛ある敬意を勝ち得る“父”が必要です。それはだれですか。カエサル,ヒトラー,スターリン,などのような人物ですか。法王でしょうか。そのような人間の“父”による支配の結果そのものが答えとなっています。聖書の指摘するように,「自分の歩みを導くこと(も)……その人に属していません」。―エレミヤ 10:23,新。
ですから,真の兄弟関係の“父”は天的な方,全能の神でなければなりません。真の兄弟姉妹になるには,この父を認め,その方に服することが絶対必要です。
この点で論理に合わない事は少しもありません。神は目に見えませんが,引力や電気など目に見える結果を生む多くの強い力も目に見えませ
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