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なぜ真理をおそれますかものみの塔 1962 | 8月15日
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宗教的真理というのは,個人的意見ではなく,神ご自身が,記録された御言葉の中に確立されているところのものです。イエスは,そのことを示して「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理です」と祈っておられます。(ヨハネ 17:17,新口)神の御言葉は,宗教的真理を計る基準です。この基準に合わない宗教的信仰をがんこに保持する人々が,真理を恐れるのは理解できます。彼らは,自分の大事にしている信仰が,先祖代々伝わってきた,人間の想像から出た単なる虚構にすぎないという事実に,大胆に直面することを望まないのです。アルテミスの熱心な崇拝者たちの場合もそうでした。彼らは,アルテミスの彫像が,天から落ちてきたと信じて,それを美しい神殿にまつっていたのです。いまその当時を振返ってみると,彼らが空想を信じていたこと,しかし使徒パウロの彼らに話したことが真理であったことは,容易に分かります。いまの時代には,他の空しい考えが普及しています。
真理の益
人々はなぜ真理を恐れねばならないのですか。真理は,人々を恐しい迷信とか,わずらわしい宗教儀式にしばりつけることはありません。重いくびきを負わせることもしません。ものも言えない偶像にむだな献身をさせたり,金銭を浪費させることもありません。真理は人を自由にさせるものです。パウロの話を聞き,彼の伝道した真理を信じた人々は,囚人が獄から釈放された時と同じほどの自由を経験したのです。預言者イザヤは,そのことをこう述べています,「主ヱホバの霊われに臨めり,こはヱホバわれにあぶらをそそぎて貧しき者に福音をのべ伝ふることをゆだね,我を遣して心の傷める者をいやし,とらわれびとにゆるしをつげ縛められたるものに解放をつげ…」。(イザヤ 61:1)イエスは,この言葉をご自身に適用して,キリスト教の宣教を開始されました。真理は,人の人生観を高め,この世の利己的な目標よりも,もっと高い生きる目標を与えます。この不安定な時代において,心から頼ることのできるしっかりしたものを与えます。また,高い道徳の標準と同時に,全世界の同じ信仰を持つ人々との,暖かい,平和な信頼できる交わりを与えます。これこそエホバの証者が,新世社会の中で経験していることです。キリスト教の真理に従う人々の前には,永遠の将来に通ずる命の道が開けています。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエスキリストを知ることであります」。ヨハネ 17:3,新口。
エホバの証者は,パウロと同じ目的をもって,つまり,人を自由にする神の御言葉の真理を他の人々に伝えるために勤勉に伝道活動を行なっています。彼らがあなたのお家を訪れる時,パウロが,エペソ,アンテオケ,ルステラその他の町々で,人々に真理を話そうと努力したことを思い出して下さい。恐ろしがって聞くのを拒絶するようなことをしないで,よきベレア人のようにして下さい。ベレア人は,パウロが話した時,「心から教を受けいれ,果してそのとおりかどうかを知ろうとして,日々聖書を調べ」ました。―使行 17:11,新口。
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平信徒の意味を取違えるものみの塔 1962 | 8月15日
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平信徒の意味を取違える
デンマークのラジオ放送で,神学者のケイ・イー・スキヅガード教授は,教会の平信徒について,次のような意見を述べました。「私の考えでは,これは,教会とは何かに関する正しくない見方から生ずる間違った,破壊的な知識である。もしわれわれが,これらの言葉に全く異なった理解をもつように進歩しないなら……現在の停滞した状態から抜け出すことはないであろう。……神聖な奉仕を行なうのは,全会衆であって,牧師だけではない。日曜日は人々の集まる時である。しかし,彼らはここから送り出されるべきである。……そのことにこそわれわれは,人々の唯一の使徒職を見るのである」。―1960年12月号「メニヘスレイデンス・ブラッド」
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