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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1962
塔62 3/15 165–168ページ

安息日 ― クリスチャンも守るか

イエスは,あるいは12使徒は安息日を守ることを命じましたか。このことに関してクリスチャンはどんな態度を取るべきですか。

1610年,独立するまえのアメリカでは,日曜日の安息を守らない者は,むちで打たれても仕方がありませんでした。1961年になってもやはり,ある地域では,安息日を破ると逮捕されることがあります。善意をもった宗教的な人々が活躍してそういう法律ができたのです。それは彼らが,安息日を守ることをキリスト教の基本的な要求と信じていたからです。ところが,日曜日に関する規定は,16世紀以上の昔,ローマ帝国で始めて作成されたものでした。「クラークズ・ビブリカル・ロー」によると,それが始まったのは,「コンスタンチン大帝が,諸都市のすべての裁判官と住民に,尊敬すべき太陽の日に休息せよという勅令を発した」時でした。この週のはじめの日は,異教徒のローマ人が太陽の崇拝にささげた日でした。ではなぜ,クリスチャンと自称する人々が,この日を安息日および聖日として守るのでしょうか。

主の日

日曜は,ミソラの崇拝者の聖日であったという事実が指摘されると,日曜日をクリスチャンの安息日と考えている人々は,その日が異教からとりいれられたものであることを否定するでしょう。彼らの論争点は,週のはじめの日はイエスが復活された日だから「主の日」であるということにあります。クリスチャンは,このすばらしい出来事を記念するためにその日を守ることになっていると彼らは信じているのです。そして,使徒たちは,イエスが復活された日に,すなわち日曜日に集まり,また1週間後の同じ日に集まっている。それは,彼らが週のはじめの日を,クリスチャンの安息日として守ったことを証明すると論じます。―ヨハネ 20:19。

しかしこれは,合理的な結論でしょうか。イエスの復活されたことを聞いて弟子たちが集まったのは当然のことではないでしょうか。彼らがそのことを話し合うために集まったのは理くつに合わないことですか。もしイエスが,ご自分の復活を記念するための安息日としてその日を弟子たちに守らせる積りであったなら,なぜ彼らの集まりに参加した日に,そのことについて何も言われなかったのですか。安息日を守ることがクリスチャンに対する神の要求であったなら,その日こそイエスにとってそのことをクリスチャンたちに命ずる絶好の時でした。しかし,聖書には,イエスがそのことについて何かを言われたことを暗示するものはありません。

その集まりは夕方のことでした。また,「八日ののち,イエスの弟子たちはまた家の内におり」と述べられています。(ヨハネ 20:26,新口)日曜日から数えはじめてその八日がつぎの日曜日で終わったと仮定しましょう。ということは,この二つの日の間に弟子たちは1回も集まらなかったということですか。起きたばかりの重大な事件を考慮にいれると,まる1週間も待ってから再び集まったと結論するのは非常に不合理です。弟子たちが,イエスの復活された週の初めの日と1週間後の同じ日に集まったと述べられていても,ただそれだけでは,その日に安息日が守られたという証明にはなりません。また,イエスが弟子たちと一緒におられたということもそれを証明するものではありません。イエスが復活されてから40日後 ― 彼が天の御父のもとに昇られた時 ― の別の集まりでも,イエスは弟子たちと一緒におられましたが,その日は平日であったことに注意して下さい。―使行 1:3,6。

安息日を守る人々は,使徒たちが,週の初めの日を安息日と認めていたということを証明するために,使徒行伝 20章7節とコリント前書 16章2節に書かれていることを引用します。最初の聖句は,パウロとトロアスのいく人かのクリスチャンが,この日に一緒に食事をしたことを述べています。週の初めの日に定期的に集まってその日を守れとイエスが彼の追随者たちに教えなかった以上,トロアスのクリスチャンたちが週の初めの日に集まったのは,日曜日を安息日として守ったからではなく,パウロがつぎの日にアソスに向けて出発することになっていたので,食事を共にしてクリスチャンの交わりをするためであったと見なければなりません。

コリント前書 16章2節はこうなっています,「一週の初めの日ごとに,あなたがたはそれぞれ,いくらでも収入に応じて手もとにたくわえておき,わたしが着いた時になって初めて集めることのないようにしなさい」。週の初めの日に,献金をたくわえておきなさいと言われたことは,クリスチャンたちがその日を安息日として守っていたという証明にはなりません。その献金は,集会所ではなく,家でたくわえられたのです。費用が予算にくいこんでいない週の初めの日は,献金を取り分けておくには絶好の時だったでしょう。また,パウロが大急ぎでそれを集めに来る直前まで待つよりはその方がよかったことでしょう。従ってこのことは,クリスチャンたちが個人的に予算をたてることを指摘しているものであって,安息日を守ることを言っているのではありません。

聖書はイエスの復活を記念するために,日曜日を安息日として守ることを少しも支持していません。また,この安息日と十戒に述べられている七日目の安息日を守ることとが対照されるかも知れませんが,それについても同じことが言えます。この点について,「ザ・ポピュラー・アンド・クリティック・エンサイクロピディア」が「『主の日』を守ることを規定した法律らしいもの,使徒の命令らしいものを全く見つけ出すことができない」と述べていることに注意して下さい。クリスチャンたちが,日曜安息日を守ったという証拠が全くない限り,それは,異教の太陽崇拝者たちの影響に示唆されたものと考えねばなりません。

七日目を守る

日曜日を安息の休みとして守ることを,聖書が命令もしなければすすめてさえいないということになると,土曜日はどうでしょうか。十戒の4番目の戒めに述べられているのが七日目である点から見て,クリスチャンたちはその日を安息日として守ることが要求されているでしょうか。

4番目の戒めが,七日目を安息の休みとして守れと命じていても,十戒は,シナイ山でイスラエルの国民に与えられた律法の一部であったことを忘れてはなりません。この律法契約は,他のどの国民にも与えられませんでした。そして,モーセは,その律法に含まれていた安息日を守ることについてこう言いました,「汝おぼゆべし汝かつてエジプトの地にどれいたりしに汝の神ヱホバ強き手と伸べたる腕とをもてそこより汝を導き出したまへりここをもて汝の神ヱホバなんぢに安息日を守れと命じたまふなり」。(申命 5:15)安息日がイスラエル人たちに与えられたのは,彼らが救い出されたのを記念し,また彼らと神との契約関係のしるしとするためでした。(出エジプト 31:16,17)クリスチャンに関してはそう言うことはできません。

クリスチャンは律法契約の下にいません。なぜならキリストが,苦しみの杭の上で死なれた時にその律法を成就されたからです。「キリストは…律法の終りとなられたのである」。(ロマ 10:4,新口)十戒を残りの律法から分離して,イエス・キリストは十戒を終わらせなかったので,クリスチャンはそれに拘束されているという主張を正当化する箇所は聖書には全くありません。使徒パウロは,律法契約と,またそれがどのように終わったかについて非常に多くの事を書いています。しかし,十戒は永久に効力のある別個の道徳の律法で,終わったのはそれ以外の儀式の律法であったとは一口も言っていません。

ロマ書 7章6節で彼は,クリスチャンたちが「律法から解放され」たことについて述べ,つぎの節で10番目の戒めに言及していますが,彼がそれを別個の律法と考えていたと思わせる点は少しもありません。それからロマ書 13章で,十戒の中のいくつかの戒めをあげて,それらは,イエスが与えた「互いに愛し合う」という新しい戒めによって全部完成されたと力説しています。―ロマ 13:9,10。ヨハネ 13:34。マタイ 22:39,40。

またイエスが,山上の垂訓の中で,十戒および十戒以外の律法から引用して,両者に区別をつけておられないことにも注目する必要があります。―マタイ 5:21-44。

イエスが安息日を守られたということは,クリスチャンに,それを守らすための模範を示されたという意味ではありません。イエスはそれを守る必要があったのです。なぜならイエスは律法契約の下に生まれ,彼の犠牲の死によってそれが成就されるまでは,すべての律法を守らねばならなかったからです。イエスが安息日を守られたので,クリスチャンもそれを守るべきだということになると,やはりキリストと同じようにクリスチャンも律法全体を守らねばならぬことになります。しかし私たちは,それがクリスチャンに要求されていないことを,聖書を読んで知っています。

初期クリスチャンたち

聖書の中には,クリスチャンたちが,ペンテコスト後,七日目を安息日として守りつづけたと述べている箇所はありません。ある人は,使徒行伝に,使徒パウロが安息日に会堂に行った時のことが出ているのを指摘するかも知れません。しかし,どうしてそのことは,パウロが安息日を守ったという証明になるのでしょうか。パウロがもし,安息日に聖会または集会を催すことをユダヤ人に要求した安息の律法に従って,会堂に行ったとすれば,それは彼が依然として律法の下にいることを示していたことにならないでしょうか。またパウロが,ユダヤ人としてではなくひとりのクリスチャンとして安息を守っていたとしても,仲間のクリスチャンたちと共に集まらないで,キリストを信じなかった者たちと集まったのはおかしなことではありませんか。

パウロが安息日に会堂に行った理由は,安息を守っていたからでなく,そここそ,多数のユダヤ人に,神の御国と神の御子についての良いたよりを伝道できる所であることを知っていたからです。従って使徒行伝 17章1,2節を読むと,パウロが,いまだにモーセの律法に拘束されていると考えていた人々と一緒に安息日を守っていたということよりもクリスチャンとしての宣教の任務を果たしていたということが伺われます。「パウロは例によって,その会堂にはいって行って,三つの安息日にわたり,聖書に基いて彼らと論じ…」。

またある人々は,イエスがマタイ伝 24章20節で言われたことを指摘して,クリスチャンたちが安息日を守ったことの証明とするかも知れません。「あなたがたの逃げるのが,冬または安息日にならないように祈れ」。ここでイエスは,ユダヤ人の追随者たちに話しておられたということを心に留めておかねばなりません。彼らは,安息日に旅行を試みることのむずかしさをよく知っていたのです。なぜなら,その日にユダヤ人は,自分の町から2000キュビットより遠くに行ってはいけないという制限があったからです。

当時の人々がよく知っていたことがらをたとえにして教えるのはイエスの習慣でした。この場合にイエスは,冬または安息日に,パレスチナで長い旅を試みるという,当時のだれにとっても非常にむずかしい事柄をたとえに選ばれたわけです。ですから,安全への脱出は,手おくれになるまえに行なわねばならないということです。クリスチャンたちは,イエスの助言に従って,西暦70年のエルサレムの崩壊の少しまえに逃げました。彼らは,タイタスのひきいるローマの軍隊がだれも脱出できないように町を包囲するまで町にとどまっていませんでした。つまり手おくれになるまえに逃げたわけです。イエスが,安息日と冬をたとえに使われたので,聞き手であるユダヤ人は,イエスの論点をすこぶる明確に理解しました しかし,そのことは,クリスチャンたちが,その後の時代において,安息日の遵守を期待されたことを証明するものではありません。ここでは,安息日を守ることについての論議さえされていません。イエスの言葉に,クリスチャンが安息日を守らねばならぬことを証明するものは何もありません。

クリスチャンの立場

クリスチャンが安息日を守ることを命ぜられたとか,ペンテコスト以後使徒たちの生存中それが守られたという証拠がない以上,クリスチャンはこのことに対してどんな態度をとるべきですか。クリスチャンは,聖書に基づいて,安息日の遵守はクリスチャンに要求されていないと主張することができます。コロサイ書 2章16,17節のパウロの言葉は,この点を明確にしています。「だから,あなたがたは,食物と飲み物とにつき,あるいは祭や新月や安息日などについて,だれにも批評されてはならない。これらは,きたるべきものの影であって,その本体はキリストにある」。

新月や安息日 ― 七日目の安息日をも含む ― を守ることを規定した律法契約は,キリストに導き,キリストと共に終わった影のようなものでした。律法契約が,キリスト教時代にまではいりこんでクリスチャンにそれを守る責任を負わせなかったのと同じように,安息日を守ることもキリスト教時代にまで持越されなかったのです。だからこそ,エルサレムの統治体は他の事柄はいくつか述べていても,安息日を守ることを非ユダヤ人のクリスチャンたちに要求していないのです。このことは,使徒行伝 15章19,20節に記録されています。これらの聖句の中にも,また後に非ユダヤ人のクリスチャンたちに与えられた指示にも,安息日を守ることについては何も言われていません。もし安息日を守ることが,神の是認を受けるのに重要であったなら,そのことは,必ず指摘されたに違いありません。

使徒パウロは,「神のみ旨を皆あますところなく,あなたがたに伝えておいた」と言いました。(使行 20:27,新口)すべての助言と指示をクリスチャン会衆に与えたにもかかわらず,彼は安息日を守ることがクリスチャンに要求されていると言ったことは一度もありません。テモテとテトスにあてた手紙で,クリスチャン会衆の監督の地位に任命された人々への要求を詳しく述べていますが,安息日を守ることについては何も言っていません。クリスチャンに対する「神のみ旨をあますところなく」告げたというのに,安息日を守ることについては何も述べていないのですから,神はクリスチャンがそれを守ることを要求されていないと結論しなければなりません。―テモテ前 3:2-7。テトス 1:7-9,新口。

イエスのユダヤ人の追随者たちは,ペンテコスト以後,日と季節を守ることをやめました。それと同じく,クリスチャンになって異教から離れた異邦人もそれをやめました。彼らは1週のうちの1日だけではなく,毎日神を崇拝し神に奉仕しました。1週に1日だけを安息日として守ることは,彼らにとっては,パウロがガラテヤ書 4章9,10節,5章1節に述べてる通り初歩の事柄にもどることであり,そのどれいになることです。

週毎の安息日を守ることは,イスラエルの国民だけに関係のあったもので,過去のものです。クリスチャンは過去のうちに生きているのではなく,将来に備えて生きているのです。将来,安息日により予影されたキリストの千年統治は,従順な人類に休みと平安をもたらすでしょう。彼らは,週毎の安息日を守る代わりに,「安息日の主」の支配下の大いなる安息を喜びをもって待ち望んでいます。―マタイ 12:8,新口。

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