人間を自由にする真理を見出す
1 人間を自由にするために神は何を与えましたか。それはあらゆる人種に対してどんな働きをしますか。
正しいことを愛する人々は,利己主義で悪らつな者たちの奴隷になるのを好みません。彼らは,自分にできるあらゆる良いことを自由に行ないたいと願います。人間の創造主は,公正なお気持から,人間が良いことをし,また創造主に栄光を帰すことができるよう,いつも自由であることを望まれました。人間が地球上に現われてから何千年このかた,無知と宗教上の偽りは,貪欲で圧制的な者たちや諸組織に人間を隷属させるために利用されてきましたが,人間を自由にする創造主の時は来ました。彼は,人間を無知から救い出し,人間を奴隷状態にとどめるいつわりから解放するために,真理をくださつています。その真理がいま出ているのは,すべての正義愛好者を自由にするためです。いまやその勝利を妨害しうる権力はひとつもありません。自由を得させる真理は宇宙的です。真理は,証明された科学的事実と同様に全人類のためのものです。真理は,アメリカ人だけのもの,ロシア人だけのもの,あるいは他のいずれかの国の人々だけのものではありません。真理は進歩的で,人を啓発し,すべての者が祝福されるという結果を生み出します。真理は,真理愛好者を集め,また一致させます。反対に,真理をかくしたり,真理を学ぶのを拒絶することは,真の進歩をはばみます。そうなると誤解が生じ,戦争が起きます。地上に住む人は,すべて真理を聞く道徳上の権利をもつていて,真理をさがし求める人々はこう約束されています,「また真理を知るであろう。そして真理は,あなたがたに自由を得させるであろう」。―ヨハネ 8:32,新口。
2 人間に対する神の御心は何ですか。真理に何が生じましたか。
2 この地とその中のゆたかな良き物とは,地球の創造主の御心に従つて,地のすべての住民のすばらしい財産となるべく定められています。そして地の住民は,親切な隣人で成りたつ一つの世界共同体の中で,共に平和に住むことになつています。人間は,働いて結んだ実を楽しむことにあこがれています。夢にも見ない高度の繁栄が行く手にあります。地の住民が,戦争や病気や死でわざわいされることはもうありません。また,いわゆる優越人種の群とか,国家ブロックによつて支配されたり利用されることもありません。科学的,霊的真理が少数者に専有されて,多数の者が害を受けることもないでしよう。この目的のために真理の水門はあけられているのです。そうして真理の水は,地の四隅に流れ渡つています。ですからあらゆる場所の人々が,こういう質問をするでしよう。この宇宙的真理はどこから得られるか。それは理解できるものか。その根源は信頼のおけるものか。この真理を得ることは,自分と自分の家族にとつて何を意味するか。この真理は,地上で人間の幸福な将来を示しているか,それともこの地球から宇宙のどこかに移住することになつているか。これらの質問に対する答を得るには私たちはみな,明白で否定不可能な諸事実を考慮しなければなりません。
3,4 宇宙的真理の偉大な源の一つは何ですか。そして,それがあらわすものは何を証明していますか。
3 真理は事実と一致します。真理は事物の実際の状態と調和しています。人間は今日,宇宙的真理の偉大な2つの源を手に入れることができますが,それらは互いに調和しています。その第一の源は,自然と呼ばれているもので,そこには巨大な事実の宝庫があります。長い間人間は,自然から多くの真理を学んできました。しかし,過去50年の間に,それまでの人間歴史中に解明された自然の秘密を全部合わせたよりも多くの秘密が解明されました。これらの発見は真の科学として知られています。この真実の知識は,全人類のものであつて,すべての人がそれを得られるようにすべきものです。天然の富をもつこの地球自体,真理を教える者です。同様に,宇宙にある地球の隣人である星も,人間に事実,すなわち真理を教える多くの物をもつています。自然の啓示する真理にはすべての矛盾がなく,秩序と調和があることを表わしています。
4 自然は,この地球のあらゆる場所で,そのいとなみにより同じ真理を教えています。すべてのものが,ひとつの完成体系の中に拘束されています。一つの遊星がその地軸を中心に回転する時,地上にあるものはみな,それと共に動き,1日に完全に1回転します。そのため,昼間は楽しい時で,多くの活動が行なわれ,次にやつてくる夜は休憩の時,元気を回復する時です。無生物である太陽の光は,絶えず莫大な熱とエネルギーを地球にそそいでいます。地球の表面は,無生物の陸地と太洋で成つています。にもかかわらずこれらは無生物ですから,それ自体は生きていません。これらの驚嘆すべき無生物をつくつた方は真に偉大な方に違いありません。ちようど物質のいすとかテーブルを作る人間が,その作る家具よりもすぐれているのと同じく,自然は,地球やその上のあらゆる物質的部分のつくり主が,その作られた物よりも偉大でなければならないという真理を教えます。
5 生物と,その創造主について自然は何を教えますか。
5 自然はさらに,無生物である地のちりから,植物という形態の生物が,つくり出されたことを教えています。地球上のあらゆる場所で,多くの異なつた形をもつ生きた植物が見られます。その一定の形態変化に従うと,まず種がまかれ,土が水でうるをされ,太陽の光で発芽して成長します。地は緑の植物と花の色で満ち,その風景は人間の目を楽しませます。各種類の花,草,木は,それぞれの栄えを得,次の生命の循環のために実を結び,地の富に貢献して,その一生を終えます。実際のところ,地球は,生きた植物を生み出すことによつて,食物,住居,衣服のための種々の物資を忠実に生産する巨大な工場となりました。ところで,私たちは,機械を生産するための工場が,偶然に出来ないということを,人間の経験から知つています。活発に動くそうした工場は,人間のすぐれた発明の才の結果として建てられるものです。これらの工場をつくるには,工場のすべの作業を立案する熟達した知性を必要とします。自然はそれと同様の真理を教えています。ある大叡知のみが,地球に属する生きた植物の工場組織を考え出し,発達させ得たのです。それは偶然の配列ではなく,創造主,すなわち造り手がいなければあり得ないことです。
6 どんなたとえが,創造の背後にある神の知恵を証明しますか。
6 次に,私たちの周囲にいる動物のことをちよつと考えてみましよう。自然は,動物もまた地のちりの諸要素からつくられていることを教えています。また経験からたとえをあげて見ましよう。時間を告げるのに使われる腕時計や柱時計は,無生物の金属でつくられていますが,すでにでき上がつているその時計が地中で偶然に見つかるのではありません。そうではなくて,土から採られた金属で部分品を作るのには,時計職人がいります。それから,人間,すなわち時計をつくる者は,多くの歯車活動に関する一定の機械学上の諸法則に従つて,部分品を組み立てて,その歯車が,時間を示す針を動かすようにします。ほかの人がその時計を使う時,その時計をつくつた者は見えなくても,彼の仕事はいつまでも見えています。驚くべき海や空気,またこの地球上で人間と住居を共有する陸上動物などをつくることについても同じことが言えます。それらは,目に見えない創造主の目に見える証明です。彼らは,それぞれ創造された目的をもつていて,発展しつつある経済に貢献します。各生物には,本能とある程度の理知が備わつています。これらはみな,中に備えつけられている設計された法則に従つてその働きをします。
7 偉大な立法者は,これらの生物が,創造された形のままで存在をつづけるよう,どういう配慮をされましたか。
7 法則が法則自身をつくることはありません。ですからすべての法則は,法則をつくる理知をもつ立法者を必要とします。従つて,地のちりから,体の形の異なつたこのおびただしい生物をつくり,驚くべき自然の法則に従つて生存させるには,人間である時計製造者よりもはるかに偉大な立法者が必要でした。目に見えないこの立法者は,さらに他の法則によつて,生物がそれぞれ自分と同じ子孫を生み出すようにされました。族の中にはたくさんの種類がありますが,異なつた族と交配して新しい種類をつくり出せる族はひとつもありません。創造された種類で,偶然に存在するようになつたものはひとつもありません。目に見えない立法者,偉大なる創造主が働いておられたのです。
8 (イ)住む場所にかかわりなく,人間は基本的にどんな4つの属性をもつていますか。(ロ)これらの基本的属性は何を教えますか。
8 アジアに住もうと,アフリカ,ヨーロッパあるいはアメリカに住もうと,基本的に言つて人間の性質は同じです。動物よりも人間の方がすぐれているということは,あらゆる場所の人間の基本的属性に表われています。人間は,生まれつき,自分自身だけでなく,自分の配偶者と子供を「愛し」ます。だから,自分の家族を養い,保護し,教育します。人間は生来,善悪が何かについて,つよい正義感をもつています。また肉体の「力」のみでなく,知識をとりいれるための心と理性の力を生まれつきもつています。そして,その得た知識を自分の利益を増すために,実際的な方法で活用しようと試みるのも生まれつきです。これは「知恵」の道です。ではこれらの根本的事実は何を教えますか。それは,人間の性質が,人間の創造主の持つておられるのと同じ属性を表わしていることをはつきりと教えています。このように,自然が,偉大なる造り主,大叡知,目に見えない立法者の存在を教えているのに加えて,人間の性質は,その造り主が,「愛」と「正義」と「力」と「知恵」の権化であることを物語つています。天地とその中に満つるものの「第一原因」こそ確かに創造主にちがいありません。賢い人々はそれを創造主,真の神と呼びます。「神の見えない性質,すなわち,神の永遠の力と神性とは,天地創造このかた,被造物において知られていて,明らかに認められるからである」(ロマ 1:20)西暦第1世紀の一法律家はそう見ました。
9 アインシュタインは,目に見えない,知恵のすぐれた創造主に対する自然の証明についてどう感じましたか。
9 世界的に有名な科学者アインシュタイン ― 彼の相対性理論は,原子爆弾の発明に重要な役割を演じた ― は,目に見えない,知能の高い創造主に関する自然の証言について,こう言いました。「永遠にわたつて永続する意識ある生命の神秘を深く考え,また,われわれがぼんやりと感知できる宇宙の素晴らしい構造を考慮し,けんそんな心をもつて自然の中に現われている理知の微小な部分を理解しようと試みることで,私には十分なのである」。―「宗教は人類のために何を為したか」23頁。
10 自然はどんな重要な質問に答えないですか。その質問に対する答はどこから得られますか。
10 自然は,そのような偉大で「知能の高い」創造主の存在を雄弁に証言し,多くの物的事実を現わしました。しかし,多くの重要な質問に関しては何も語りません。私たちはどこから来ましたか。なぜここにいますか。どこへ行くのでしようか。生命の秘密は何でしようか。生命はどのようにして始まりましたか。何がそれを維持していますか。地上に,海中に,空に,多種多様の変化をもつこのすばらしい自然界はどうして生じたのでしようか。「罪」と呼ばれているもの,および不完全やあやまりはどこから来たのでしようか。人間のからだは,永久に活動しうるあらゆる可能性を示しているのになぜ死ぬのでしようか。世界はどうしてこんなにも混乱し,紛争が絶えないのでしようか。地球の運命は何でしようか。自然はこうした質問に答えることはできません。また人間も,人間としての経験からこれらの質問に答えることはできません。では,どのようにしたら,これらの重要な質問に対する答えとしての真理を知ることができますか。人間にとつて,ただ一つの方法は,自分より高い源からその真理を得ることです。
11 肉の父親が,子どものために備えをするように,真の神は人類のためにどのようにそれをなさいましたか。
11 宇宙最高の理知者が,みずから,その理知をもつ被造物に,そうした高い導きを与えられるということを期待するのは合理的でありませんか。もちろんそうです! 肉親の父親は,子供の未熟な経験からは学べないあらゆる必要な知識を子供に与えるのに時間をさき,関心を示しはしませんか。確かにそうです。驚くことに愛と知恵をもつ宇宙の真の神は,御親切にも,人間に超人間的な導きを与える巨大な真理の源を得られるようにして下さいました。
真理の源
12 真理の源はどんな異なつた名前で呼ばれていますか。
12 その真理の源はどこに見出されますか。多くの人は,この書かれている源を,自由の本とか,真理の本,神聖な図書,生命の書,聖書,聖なる書物,卓越しているという意味で「ザ・ブック」などと,呼んでいます。この真理の源は,霊感された本66冊が集まつたものですから,ギリシャ人はそれに,「多くの小さな本」という意味の「ビブリア」という名をつけました。誰もが知つているバイブルという言葉はこれから来ているのです。
13 聖書は現代に出来たものですか。他のいわゆる聖典にくらべてどのくらい広く配布されていますか。
13 この本に関する事実とは何ですか。聖書は地上で断然いちばん古い本です。また最も普遍的な本です。どうしてそう言えますか。それは,地球上のあらゆる場所に,何億冊も配布されてきたからです。地上には,2796の言葉がありますが,聖書は,あるいは聖書のある部分は,1125の主な現用語に訳されて来ました。これは,現在,95.6パーセントの地の住民が理解できる言葉で聖書が手に入るという意味です。(1958年度の「世界年鑑」265,727頁と,1938年にアメリカ聖書協会が発行した「千の言葉に訳された本」(英文)23-35頁とを比較して下さい)。聖書は,配布に限界のある他のいわゆる聖典のように,過去の死語のなかにかくされたままに放置されませんでした。数ヵ国語に翻訳された回教の聖典コーランでさえ,次のように言つて聖書を推せんしています。すなわち,コーランは,「コーラン以前に啓示されることを確証しているものである。〔神が〕前に律法と福音〔聖書〕を降して下さつたのであるから……神が,〔彼らに〕聖書と知恵,律法,福音を教えられるであろう」。(ジー・セイル訳「コーラン」86,89頁)あらゆる時代,あらゆる期間の人間に,広く語りかける能力をもつ聖書の偉大さには,およそどの本もおよびません。まことに聖書は,その広大な預言の分野によつて,常に生きている本です。その預言は,私たちの時代に至るまで漸進的に成就しています。
14 (イ)キリスト教国の悪と偽善は聖書のせいだと考えるべきでない理由を述べなさい。(ロ)人はなぜ,聖書を信じ,それに従つていると主張する者の犯罪と偽善のゆえに,聖書の教えを拒否すべきではありませんか
14 聖書は生きるためにたたかつて来ました。聖書の破滅を願い,その流布を妨げようと試みた聖書の敵とは,人もあろうに,キリスト教国内の聖書の教師と主張する人々でありました。ですから,今日のキリスト教国に見られる悪と偽善は聖書に起因するのだ,という思いちがいをする人があつてはならないのです。聖書は非常に率直で,真理にみちていますから,キリスト教国の指導者たちは教えることができず,ましてや従うことができません。真理と正義のためには妥協しない聖書は,彼らが偽教師であることを暴露しています。いわゆる異邦の人々は,聖書に口先だけの奉仕をする宗教的偽善者たちの犯罪の故をもつて,聖書を拒否すべきではありません。ある人間が罪を犯した時に,ある辞書または新聞を持つていたとしても,人はその男の犯した罪で辞書または新聞の発行者を非難するでしようか。もちろんそういうことはしません。ではなぜ,キリスト教国の悪行や犯罪行為のために,聖書の神または聖書そのものを非難するのでしようか。実際には聖書は,全世界の人間に自由を与える神の賜物なのです。そして偏見を捨てて読み検討すべきものです。聖書に含まれている知識は生命を意味します。自由をもたらします。この混乱した世界に何が起こるかを間違いなく教えます。聖書だけが,幸福と栄えに満ちた将来の希望を示しているのです。
15 聖書を編さんするために,どんな昔の記録が使われましたか。
15 あなたの先祖である最初の人間アダムが,あなたの言葉で話しかけるのが聞けるのをご存じですか。そんなことは不可能だと言われるかも知れません。ところが不可能ではないのです。私たちの最初の母親エバが創造されて,アダムのところにつれて来られた時,アダムは喜びに感動して,次のような詩的な言葉を口にしました,「これこそついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉。男から取つたものだから,これを女と名づけよう」。(創世 2:23,新口)ほかのどの本が,そんな昔の出発点にまで私たちを連れもどして,目撃者の簡潔な記録を私たちに提供できるでしようか。そんな本は1冊もありません。しかし,アダムのこれらの言葉はどのようにして知ることができたのでしようか。それは次のような方法によります。実際のところ聖書は非常に古く,今から4000年昔にあつたノアの時代の洪水よりも前に書かれた3つの記録を有しています。最初のものは,神がアダムに口で言つて書き取らせた,地球の創造に関する基本事実の記録です。「アダムの歴史の本」(創世 5:1,新世)と呼ばれている2番目の記録は,アダム自身が書きました。そして,洪水中は忠実なノアによつて箱舟に保管され,最後にモーセに与えられました。モーセはその記録を,創世記の一部として聖書に編入しました。第3の記録は,私たちの共通の先祖で,大洪水の生残者ノアが書きました。ノアの3人の息子は第4の記録を書きました。それは,大陰年で,1年と10日の世界的大洪水の間の箱舟の旅行に関する驚くべき「航海日誌」もしくは記録です。(創世 10:1)これはみな信ずることができない,とあなたは言われるでしよう。あなたは,聖書を読んで,信頼し得る驚くべき多くの記録の有無を調べたことがないために,そう考えられるのかも知れません。しかしながら聖書には貴重な知識がかくされていて,あなたはそれを調べ出さねばならないのです。
16 (イ)聖書の記録が正確に伝えられたことをどのように知りますか。(ロ)どんなすぐれた書き方が,著者の偉大さを証明していますか。
16 ところであなたは次にこう言われるかも知れません。聖書中のこれら昔の記録が,全く正確に伝えられたということをどうして知り得るか。長年月の間には,記録の意味を曲げる多くの誤りがなされたことだろうと。すばらしいことに聖書は,不完全な写本家の仕事にもかかわらず,比較的わずかな句の改悪を経験したにすぎません。それのみでなく,やさしい言葉で,しかも日常生活にありふれたたとえや預言的象徴を用いて書かれているので,もとの音信の強い力をそこなうことなく,多くの言語に翻訳することができました。哲学の本にせよ宗教の本にせよ,他の本をそのようにすることは不可能でした。なぜなら,そうした本は,最初の翻訳で,もとの真意を多分に失つてしまうからです。もとの音信の真意を高度に維持する聖書のこの能力は,その背後にある偉大な方,その一人の著者,すなわち真の神の叡知をさらに証明するものです。優秀な聖書学者フレデリック・ケンヨン卿が,聖書の内容の正確さについて下した結論に注目して下さい,「最初の著書の日付と,現存する一番古い証拠とのへだたりはごくわずかであるから,実際には全然問題にする必要がない。聖書が,書かれた時と同じく正しくわれわれにまで伝つて来たということに対する疑いの最後の土台は実質的にはなくなつてしまつた。その「確実性」と「全体に元のままである」ということは……ついに確証されたものと考えても良いであろう」。―1940年,F・ケンヨン著「聖書と考古学」288,289頁。
17 聖書が,どのように歴史的に真実で,科学的に確かなものであるかを示しなさい。
17 聖書には,唯一の真の宗教の教理が書かれています。また預言の本であるのに加えて,神の律法と義の原原のすぐれた本でもあります。その上に,地上で最も信頼の置ける古代の歴史の本です。たとえば,中東のメソポタミアにあつたバベルの塔の大失敗を最初に報告しているのは聖書です。考古学は,この塔の遺跡らしいものを発見しました。地球とその生物を科学的に研究する地質学も同様に,聖書に書かれている創造の順序と,ノアの時代の洪水の記録を確証しています。歴史や科学の面で聖書が与える資料の不正確なことが証明されたことはありません。一例をあげると,3000年以上もまえに聖書は,地球が空間にかけられていると述べました。ちよつと次の説明を聞いてごらんなさい,「彼(神)は北の天を空間にはり,地を何もない所に掛けられる」。(ヨブ 26:7,新口)また,コロンブスが,地球のまるいことを証明するため,スペインからアメリカまで航海したよりも,2000年以上もまえに,地球がまるいことを聖書はすでに述べていました。この古い自由の本はこう言います,「円形の地の上にすわられる方がある。地に住む者はいなごのようである」。(イザヤ 40:22,新世)化学製品であるガラスが,2500年以上の昔に使われことも述べられています。というのは,聖書はヨブの時代に,「金もガラスもそれ〔知識〕にくらべることができない」と述べているからです。(ヨブ 28:17,新世)3000年昔のソロモン王の時代にも,真の化学的知識が知られていました。真理の本はこう述べています,「寒い日に衣服を脱ぐ者は,曹達の上に酢をそそいでいるようである」。(箴言 25:20,新世)ですから,偏見を持たないで,まだまだたくさんある真理と自由の基礎的事がらが聞かれるように,聖書に機会を与えましよう。そして,真理の宝をとり入れるため,いつも心を開いていましよう。
真理の本を試みる
18,19 今のどんな世界の状態のゆえに,この偉大な本をどんな試験にかける必要がありますか。
18 地球上のどこに住んでいようと,人間が結果を刈取るべき時代に住んでいるということは一属明らかになつて来ています。今日のあらゆる国々は,犯罪,戦争,偽善,まちがつた宗教の歴史を持つています。人間の支配する正しい国家は地上に一つもありません。善を行おうと誠実に試みる人々も多くあり,また多くの善がなされてきましたが,それでも,悪と増加しつつある不法の方が善行をしのいでいます。諸事実は,全人類が,長い間積み重ねられて来た,おおいかぶさつている社会的流血の罪の世界的審判の時代に入つていることを示しています。ですから今は,悪が現在こんなにもはびこつている理由を知るために,最初の出発点に関する事実を知り,過去の世代の信頼できる歴史を知るべき時です。聖書だけが,遠い過去からのそのような背景を述べている唯一の記録です。これらの聖なる書物は,そのひどい悪が生じた理由と原因を知らせるのみでなく,今日,少数者すなわち誠実な心をもつ人に開かれている,合法的な逃れ道を明らかに示しています。
19 では,この古い自由の本を試験して見ましよう。この本が,真理と事実の他の偉大な源である自然と肩をならべ得るかどうかを見てみましよう。また,自然が黙して語らない質問を聖書に尋ねて,はたして,より高い真理の導きがすぐに得られるかどうかを見ましよう。
20,21 誰が天をつくりましたか。彼の独特の名前は何ですか。それに対してどんな聖書的支持がありましたか。
20 誰が天と地をつくりましたか。これに対して聖書の最初の言葉は,「元始に神天地を創造たまえり」と力強く答えています。―創世 1:1。
21 この創造の神とは誰ですか。彼は,独特の個人的名前を持つていますか。聖書の最初の記録の結論的言葉は,彼の名前を示して,その名前と彼の創造の活動とをむすびつけています。それは次の通りです,「これは,ヱホバ神が地と天を造られた日に,天と地が創造されたその歴史である」。(創世 2:4,新世)後になつて預言者モーセは,聖書の中で,こう言つて神に話しかけています,「『わたしがイスラエルの人々のところへ行つて,彼らに「あなたがたの先祖の神が,わたしをあなたがたのところへつかわされました」と言うとき,彼らが私に,「その名は何というのですか」と尋ねたなら,なんと答えましようか』。そこで神はまたモーセに言われた,『イスラエルの人々にこう言いなさい「あなたがたの先祖の神,アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神ヱホバが,わたしをあなたがたのところへつかわされました」。これは永遠にわたしの名前である』」。(出エジプト 3:13,15,新世)ですから,ヱホバこそ,その独特の名前であつて,彼を真の神として,聖書に出てくる他のすべてのいわゆる神々から区別するものです。
22 ヱホバはなぜ地球を創造しましたか。
22 ヱホバ神が地を創造された目的は何でしようか。これに対する答として私たちは,聖書の頁を通して私たちに話しかけられる生ける神ご自身の証言を聞くことができます。「ヱホバ,イスラエルの聖者イスラエルを造れる者かく言い給う。後きたらんとすることを我に問え,またわが子らとわが手のわざとにつきて汝らわれに言わせよ。われ地をつくりてそのうえに人を創造せり。われみずからの手をもて天をのべ,その万象をさだめたり。ヱホバは天を創造したまえる者にしてすなわち神なり。また地をつくり成してこれを堅くし,いたずらにこれを創造したまわず,これを人の住所につくりたまえり。ヱホバのたまう,われはヱホバなり,われのほかに神あることなし。われは隠れたるところ……にて語らず」。(イザヤ 45:11,12,18,19)これで分りました。原子爆弾や他の核装備を用いて地を破壊しようとする今日の人間の微弱な努力にもかかわらず,神はこの地球を永久の住居として造られたのです。
23 聖書によると,人間とは何ですか。科学はそれに同意しますか。
23 人間は,創造者なる神によつてどのように造られましたか。聖書ははつきりとこう言つています,「それからヱホバ神は土の塵から人間をつくられ,人間の鼻に生命の息を吹き入れられた。そして,人間は生ける魂になつた」。(創世 2:7,新世)また他の箇所ではこう述べています,「最初の人間アダムは生きている魂となつた。……第一の人は地から出たもので,ちりでつくられた」。(コリント前 15:45,47,新世)ですから人間は明らかに魂です。人間は,牧師が偽つて主張しているような,不滅で転生するはずの別個の魂を持つてはいません。科学者たちは,90以上の地の元素が,人間の肉体の中にあることを証明して,聖書の記録を確証しました。そのわけで人間は実際にちりから出て来たわけです。それと調和して神は,不忠実なアダムに死を宣告された時,彼にこう言われました,「あなたは顔に汗してパンを食べ,ついに土に帰る,あなたは土から取られたのだから。あなたはちりだから,ちりに帰る」。―創世 3:19,新口。
24 ヱホバは,男と女をつくつた目的をどのように示されましたか。そして,最初の人間夫婦との通信はなぜ可能でしたか。
24 神は男と女に,彼らを創造したどんな目的をつげられましたか。聖書はそれに答えています,「神は彼らを祝福して言われた,『生めよ,ふえよ,地に満ちよ,地を従わせよ。また海の魚と,空の鳥と地に動くすべての生き物とを治めよ』」。(創世 1:28,新口)人間は,神のかたちとさまに似せてつくられたので,神は男と女に,彼らに対するご自身の目的が何であるかを正確に告げることができました。限定された知能しかない下等動物に,そのような目的や仕事を伝達することはできませんでした。したがつて,最初の人間夫婦からはじめて,1億9694万平方マイルのこの地球全体に,完全な人間を住まわせるのが神の御心でした。それから増加の必要はなくなつて止まるでしよう。
25,26 どの程度まで人間は,「地を従わせる」ことになつていましたか。聖書は,人間が他の遊星を従わせることになつていたということを示していますか。(ロ)人間は天に住むようにつくられましたか。
25 神はどういう意味で,アダムとエバに,「地を従わせよ」と命令されたのでしようか。聖書は,神がどんな意味で言われたかを,合理的に示しています,「ヱホバ神はエデンの東の方に庭園をつくられ,そしてそこにつくつたところの人間を置かれた。それから,ヱホバ神はその人間を取つてエデンの園に定住させ,人間に園を耕させ,管理させた」。(創世 2:8,15,新世)アダムとエバから生まれる人間家族の増加と共に,狭いエデンの園は,全地球を取りまくまで拡大されなければならないでしよう。こうして地は治められて楽園の状態となり美しい場所となります。ついでに言えば,宇宙にある日やその他のものを人間が「従わせる」のが神の御心であるとは,ひとことも述べられていません。人間は地上の人間であつて,地上で気らくに安全に住むようにつくられているのです。他の遊星を征服したり,それに植民したりするために,宇宙服を着て,人為的な生活をするようには,人間は定められていないのです。
26 死によつて人間を,天またはあの世に移し,楽園の地球から人口を減らすのは神の御心でしたでしようか。聖書は,神の選民に対する次の言葉をもつてこれに答えています,「願くはヱホバなんじらを増し加え,なんじらと汝らの子孫とをましくわえ給わんことを。なんじらは天地をつくりたまえるヱホバに恵まれる者なり。天はヱホバの天なり,されど地は人の子にあたえたまえり」。(詩 115:14-16)とすれば,天は,疑いなく神と天使たちのためのものでありますが,地は人類のものと創造主によつて定められているのです。人間が,将来他の遊星に移住すべき任命を受けていないということには,確実な証拠があるのです。
なぜ死にますか
27,28 アダムはなぜ死にましたか。なぜ人間は今に至るまで死ぬのですか。
27 聖書が述べるアダムの伝記とはどんなものですか。なぜアダムは死にましたか。聖書が明らかに示すところによると,神は,エデンの園における人間の自由をおきてによつて拘束されました。この法的拘束は,神の子としてのアダムに次の事を思い起こさせるためのものでした。すなわち,アダムは,神の御心,天の御父の御心を行うという目的をもつ,従属的被造物であるということです。人間生活に対するこの導きは,人間に最大の幸福をもたらすものです。神は,子のアダムに言われました,「園にあるどの木からも満足するまで食べてもよい。しかし,善と悪を知る木からは食べてはならない。その木から食べる日に,あなたは必ず死ぬからである」。(創世 2:16,17,新世)不敬にもエバとアダムは,天の主権者に反逆して不従順となり罪を犯しました。そして,前もつて警告されていた死という罰を自分の上に招きました。聖書はさらにこう述べています,「ヱホバ神彼(アダム)をエデンの園よりいだしその取りて造られたるところの土を耕えさしめたまえり。……アダムその妻エバを知る。彼ははらみてカインを生みて言いけるは,われヱホバによりて一個の人を得たりと。彼またその弟アベルを生り。……アダム百三十歳におよびてその像にしたがいて己に象りて子を生み,その名をセツと名づけたり。アダムのセツを生し後の齢は八百歳にして男子女子を生めり。アダムのいきながらえたる齢はすべて九百三十歳なりき。しかして死ねり」。―創世 3:23,24; 4:1,2; 5:3-5。
28 今日では100年以上生きる男女さえ,あまりいません。なぜ人間は今に至るまで死ぬのでしようか。アダムのこの罪と,罪の宣告は,自然の遺伝という神の法則の下に,アダムのすべての子どもに伝えられ,彼らからまたその子孫へと代々伝わつてきたのです。聖書は言います,「このようなわけで,ひとりの人によつて,罪がこの世にはいり,すべての人が罪を犯したので,死が全人類にはいり込んだのである」。―ロマ 5:12,新口。
29 将来永遠の生命の希望がありますか。ヱホバの御言葉はアブラハムに関連させて,そのことをどのように述べていますか。
29 これで,なぜ諸国の人々が,罪と死ののろいによつて不利な立場にあるかが,わかつてきました。それにしても神は,将来の生命という希望を彼らに与えられていますか。もちろんそうです。だからこそ多くの人々は聖書を生命の本とも呼ぶのです。聖書は,ユダヤ人にも非ユダヤ人にも,あらゆる国の人々のための永遠の生命に関する神の御言葉を示している唯一の記録です。ノアの時代の洪水から約300年後に,聖書の真の宗教に偉大な信仰をもつた人が住んでいました。その人の名前はアブラハムでした。ヱホバ神は彼に,義に満ちた天の御国が来ることを約束されて,それに誓を加えられました。その御国を建設されるのは神です。それは,幸福と清さの支配する輝かしき都に似たものとして表わされています。都に似たこの御国の支配の下に,アブラハムとその子孫,および諸国の正しい人々は,永遠にこの地上に住むのです。では,聖書が述べる簡潔な説明を聞きましよう,「信仰によつてアブラハムは,受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむつた時,それに従い,行く先を知らないで〔カルデヤのウルの町から〕出て行つた。彼は,ゆるがぬ土台の上に建てられた都を,待ち望んでいたのである。その都をもくろみ,また建てたのは,神である。これらの人〔アブラハム,イサク,ヤコブ〕はみな,信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかつたが,はるかにそれを望み見て喜び,そして,地上では旅人であり寄留者であることを,自ら言いあらわした。……しかし実際,彼らが望んでいたのは,もつと良い,天に属する場所であつた。だから神は,彼らの神と呼ばれても,それを恥とはされなかつた。事実,神は彼らのために,都を用意されていたのである」。―ヘブル 11:8,10,13,16,新世。
諸国民に対する祝福の約束
30 アブラハムを通して諸国民を祝福すると言うヱホバの誓によつて,どんな3つの重要な条件が概説されていますか。
30 神がアブラハムにされた約束は,正確に言つて何だつたのでしようか。また,それは古代のユダヤ人だけに限られていたのでしようか。これは良い質問です。実際のところアブラハムは,イスラエルというユダヤ民族の始祖であつたのみでなく,イシマエル人とか,ミデアン人のような多くの異邦の国民の先祖でもありました。そして今でさえ,アブラハムは中東の多くのアラブ民族の先祖として認められています。将来諸国民を祝福すると誓をもつて約束された神の御言葉を,聖書は明確にこう記録しています,「ヱホバは述べられる。私は私自身を指して誓う。あなたがこのことを行ない,あなたの独り子を惜しまなかつたという事実により,私は確かにあなたの裔(子孫)を増して天の星のごとくし,海辺の砂粒のごとくするであろう。そして,あなたの裔は彼の敵の門を取るであろう。それから,あなたの裔によつて,地のすべての国民は,まちがいなく,自分みずからを祝福するであろう。それはあなたが私の声に従つたからである」。(創世 22:16-18,新世)この約束の3つの重要な条件に注目して下さい。第一は,ある不定数の裔または子孫がアブラハムから出て来るということ。第二は,その指導者の下にあるこの裔の群れが神と人間の大敵を滅ぼすということ。第三は,すべての国民は,選ばれたこの裔の群れを通して自分みずからを祝福する,従つて,この地上での生命の希望が,国際的に,全人類にさしのべられているということ,です。
31 (イ)アブラハムの子孫を通して来ることを約束された,裔になる支配者とは誰ですか。(ロ)イエスの地上の母親に話しかけたヱホバの天使は,創世記 49章10節の成就をどのように示しましたか。
31 アブラハムから出て来るこの主要な裔なる支配者が誰であるかを聖書は示していますか。その通りです! アブラハムのまごヤコブは,死の直前に,神の霊感を受けて,彼の息子ユダに関する次のような預言をしました,「つえはユダを離れず,立法者のつえはその足の間を離れることなく,シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う」。(創世 49:10,新口)その預言から1700年の後,シロすなわちイエス・キリストと,彼のパレスチナにおける活動に関する他の300の預言が成就しはじめました。ヱホバ神の天使は,ユダのベツレヘムでの彼の誕生を予告した時,未来の母親にこう告げました,「その子をイエスと名づけなさい。この者は偉大な者となり,最高者の子と呼ばれるであろう。ヱホバ神は父ダビデ(ユダの支族)の座位を彼に与え,彼はヤコブの家の永遠の王となるであろう。彼の御国は終りがない」。(ルカ 1:31-33,新世)イエスがベツレヘムで生まれると,羊飼たちは,「いと高ききところでは,神に栄光があるように,地には善意者のうちに平和があるように」と天使たちが,賛美するのを聞きました。(ルカ 2:14,新世)イエス・キリストは,将来に来たるべき彼の天の御国を宣明する,出来事の多かつた地上での宣教生活を終えて死に,それから復活して天に戻りましたが,その後のイエスについて聖書はこう述べています,「見よ。ユダ族のしし,ダビデの若枝であるかたが,勝利を得た」。(黙示 5:5,新口)従つてイエス・キリストが地に来られたのは,御国なる都が支配するこの地上の生命へ,信仰をもつユダヤ人のみでなく,全世界の正しい人々を,導き入れる指揮者としての資格を得るためでした。その都とは,真の宗教と一致してアブラハムに約束されたものでした。イエスはこれから人間の大敵である死と,サタン悪魔を滅ぼして完全な勝利を得ます。
32 誰が,またいく人が,裔の部分としてイエスとの交わりに入れらていますか。
32 イエス・キリストとともに誰が,アブラハムに告げられた裔の群れを形成するでしようか。そして,その数は何人でしようか。アブラハムが望みを置いたところの,都のごとき御国を形成するに当り,シロ,すなわち王なる指揮者イエス・キリストが仲間をもつということは,彼に対する神の恵みに満ちた御心でありました。1900年昔,地上で宣教しておられた間,イエスは,天の御国で彼と共になるご自分の献身した弟子たちを,招待しはじめられました。イエスは彼らのことを「小さい群れ」と呼ばれ,こう言われました,「恐れるな,小さい群れよ。御国を下さることは,あなたがたの父のみこころなのである」。(ルカ 12:32,新口)後になつて聖書は,この小さい群れの弟子たちに,「もしキリストのものであるなら,あなたがたはアブラハムの子孫であり,約束による相続人なのである」と述べています。(ガラテヤ 3:29,新口)このことは,小さい群れが副次的な部分となつて,「神の小羊」であるキリスト・イエスと共に完全な「アブラハムの裔」を形成するという事実を確証します。しかし,彼らの数はどのくらいでしようか。このことは,アブラハムの時から,聖書の最後の本が書かれるまで,長い間かくされていました。天的シオンでイエスと共になる人々の数は,ついに示されました。その最後の本を書いた者はこう述べています,「なお,わたしが見ていると,見よ,小羊(イエス・キリスト)がシオンの山に立つていた。また,十四万四千の人人が小羊と共におり,その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。……彼らは…小羊の行く所へは,どこへでもついて行く。彼らは,神と小羊とにささげられる初穂として,人間の中からあがなわれた者である」。―黙示 14:1,4,新口。
33,34 (イ)14万4000人よりも多くの者が,キリストのあがないという御準備から益を受けることを,どの聖句が示していますか。(ロ)更にいく人が,生命という祝福を受けますか。どこで? この祝福には,いくつの国民が関係していますか。
33 人類の中から,献身して洗礼を受けたクリスチャンの14万4000人だけがあがなわれて天に行き,キリストと共になるとすれば,他の人々にはどんな希望がありますか。すでに気づいた通り,前節に引用した聖句は,人間の初穂が天に行くと述べています。しかしながら聖書は,人類の中から最後の実が,地上における永遠の生命へと集められることも啓示しています。これらの他の実のことをイエスは「他の羊」と言われました。「わたしにはまた,この(小さい群れの)囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも,わたしの声に聞き従うであろう。そして,ついに一つの群れ,ひとりの羊飼となるであろう」。(ヨハネ 10:16,新口)ですからイエス・キリストは,王および指揮者として,これらの他の羊を,天ではなくて地上の,羊の群れのごとき社会の中に集めなければならないのです。
御国の地的国民に対する祝福
34 これら他の人々の数には制限がありますか。彼らはどこから来ますか。聖書は,使徒ヨハネの預言的まぼろしを通してこう答えています,「わたしが見ていると,見よ,あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから,数えきれないほど大ぜいの群衆が,白い衣を身にまとい,しゆろの枝を手に持つて,御座と小羊との前に立ち,大声で叫んで言つた,『救は,御座にいますわれらの神と小羊からきたる』。……『この白い衣を身にまとつている人々は,だれか。また,どこからきたのか』。……すると,彼はわたしに言つた,『彼らは大きな患難をとおつてきた人たちであつて,その衣を小羊の血で洗い,それを白くしたのである。』」。(黙示 7:9,10,13,14,新口)これによると,大患難の生残者の数は非常に多く,定められていないことが分ります。また,彼らは,真の神ヱホバの支持者であることと,小羊イエス・キリストの指導権を受け入れていることを証明する衣を身にまとつていなければならないことが分ります。信ずる者のこの数えきれない大群衆は,悪魔の古い世が大患難にのぞむ終りの時代中に,そこから出て神の側に来ます。そして彼らが,地上のあらゆる国々から出て来ることに注目して下さい。そういうわけで私たちは,聖書の真の宗教だけが,実際に地上の普遍的宗教であることを悟ることができます。
35 「小羊の血」とは何ですか。誰の条件によつて生命が与えられますか。
35 では,述べられているこの「小羊の血」とは何でしようか。ヱホバ神は人間のあがないとなるよう天から御子を与えられました。それは,イエスのあがないの犠牲に信仰を置く多くの人々を罪と死から回復するために,イエスの人間としての生命を与えるためでした。それは19世紀の昔になされました。その時,預言者,洗礼者のヨハネは,「見よ,世の罪を取り除く神の小羊!」といつてイエスを紹介しました。(ヨハネ 1:29,新口)聖書はさらにこう述べています,「神はその独り子を与えるほどに世を愛された。それは御子に信仰を働かす者がみな滅ぼされないで,永遠の生命を得るためである」。(ヨハネ 3:16,新世)ですから,家族と共に,地に生き残るこの大群衆の一部となる資格を得たいと願う人は誰でも,神の自由の本である聖書を研究しなければなりません。そして,彼らの保護のための神の適正な御準備に関する真理をよく知らねばなりません。その保護はイエスの流された血に対する信仰と結びついています。それらは,生命を与えるための神の条件です。死に行く,堕落した人間が,条件を出すことはできません。私たちは,愛に満ち,理にかなつたこの御準備を受け入れるか拒絶するかの選択権を与えられています。私たちは,これを受け入れることによつて感謝を示し,永遠に幸福に生きたいと願つています。
36,37 死人のために希望がありますか。その希望はいつ実現しますか。
36 しかし,死んでいる愛する者たちはどうなるのでしようか。イエス・キリストに指導される「他の羊」の一部として,この地上に住める希望がありますか。あります。死人の中からの復活こそ,神に記憶されている,改心の見込みある死人の大きな希望です。これもやはり,イエス・キリストによつて可能となりました。この点について聖書は明白に述べています,「キリストは眠つている者の初穂として」死人の中からよみがえつたのである。それは,死がひとりの人によつてきたのだから,死人の復活もまた,ひとりの人によつてこなければならない。アダムにあつてすべての人が死んでいるのと同じように,キリストにあつてすべての人が生かされるのである」。(コリント前 15:20-22,新口)「これを怪しむな。記憶の墓にいる者がみな彼の声を聞いて出て来る時が来る。善を行なつた者は生命に復活し,悪を行なつた者は裁きに復活するであろう」。―ヨハネ 5:28,29,新世。
37 地上に住む人々の復活が始まるのは何時でしようか。使徒ヨハネは,新しい世のまぼろしの中でこう言つています,「また見ていると,大きな白い御座があり,そこにいますかたがあつた。天も地も御顔の前から逃げ去つて,あとかたもなくなつた。また,死んでいた者が,大いなる者も小さき者も共に,御座の前に立つているのが見えた」。(黙示 20:11,12,新口)古い天と古い地の組織が,敵の一部として,指揮者キリスト・イエスにより征服されて「逃げ去る」まで,または破滅するまで,地的人間が復活して再び立つことは起こりません。
「新しい天と新しい地」
38 どの天と地が滅ぼされますか。その滅びはま近かですか。
38 滅ぼされることになつているこの天と地とは何でしようか。使徒ペテロは,それらは象徴的な天と地であると説明しています。象徴的天とは,悪魔の目に見えない制度を形成しているもので悪鬼で成立つています。象徴的地とは,悪魔の見える地的機構で,人間と,人類を暗黒と混乱の中にとどめている彼らの支配者たちで成つています。ペテロは,この時代の嘲笑的な不信者について告げ,こう言つています,「彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し,地は神の言によつて,水がもとになり,また,水によつて成つたのであるが,その時の世界は,御言により水でおおわれて滅んでしまつた。しかし,今の天と地とは,同じ御言によつて保存され,不信仰な人々がさばかれ,滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで,そのまま保たれているのである」。(ペテロ後 3:5-7,新口)今日における聖書の他の預言の成就は,その古い天と地がハルマゲドンという神の大いなる戦いにおいて,滅ぼされる時の近いことを示しています。―黙示 16:14,16。
39 預言者イザヤと使徒ペテロは,古い天と地にとつて代るものが何であると述べていますか。
39 古い天と地の組織が,ハルマゲドンの宇宙戦争で過ぎ去つたならば,何がそれに取つて代るでしようか。ペテロは再び聖書の中でこう答えています,「しかし,わたしたちは,神の約束に従つて,義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる」。(ペテロ後 3:13,新口)預言者イザヤは,新しい天と新しい地の創造に関するヱホバの厳粛な保証を,つけて,こう述べています,「主ヱホバかく言い給う。……見よ,われ新しき天とあたらしき地とを創造す。人さきのものを記念することなく,これをその心に思い出ることなし。されどなんじらわが創造するものによりて永遠にたのしみよろこべ」。(イザヤ 65:13,17,18)これは,すべての人々に大きなよろこびを与えるものです。宇宙の神が保証されている通り,この新しい世は永遠につづくのです。
40 誰が新し地の市民を構成しますか。どうしてそれがわかりますか。
40 永遠につづくことになつている新しい地は誰によつて形成されますか。それを形成する人々は,今真理を学んで,聖なる自由の側に立つ,あらゆる国々から来る善意者,従順で,教えを聞くすべての人々です。従順なあなたがたは,偏見を少しももたない神といま和を求めるべきです。神は,あらゆる国籍の人々に,救いの道を開かれています。この自由のため時に関する聖書の言葉,また,間近かにせまるハルマゲドンの大嵐を通過して,地上で永遠に生きられる可能性について聖書の語る言葉に耳を傾けて下さい,「すべてヱホバの律法を行なうこの地のへりくだるものよ,汝らヱホバを求め公義を求めけんそんを求めよ。さすれば汝らヱホバのいかりの日にあるいはかくされることあらん」。(ゼパニヤ 2:3)聖書はまたこうも言つて保証を与えています,「悪しき者はただしばらくで,うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。しかし柔和な者は国を継ぎ,豊かな繁栄をたのしむことができる。正しい者は国を継ぎ,とこしえにその中に住むことができる」。(詩 37:10,11,29,新口)次には,解放と自由の大ヨベルの時代が訪れ,平和をもつて永久にこの地をつつむでしよう。ずつと昔に予影されていたこのヨベルについて聖書はこう述べています,「国のすべての住民に自由をふれ示さなければならない」。―レビ 25:10,新口。
41 誰が新しい天を構成しますか。この新しい都はなぜ新しいエルサレムと呼ばれますか。それを通して神はどんなすばらしい事がらを行なわれますか。
41 まだ新しい天を考えて見なければなりません。これはいつたい何でしようか。これは,イエス・キリストを王にもつ,14万4000人の新しい天的支配者の群れです。多くの預言,およびその予言を成就している今の時代の諸事実が示している通り,イエス・キリストは,1914年以来,天で王位につかれています。聖書の中でこの新しい都は,エルサレムと呼ばれています。これは,ずつとまえ,ダビデ王の首都であつた昔のエルサレムから取られたものです。ダビデは,より偉大なるダビデのごとき王キリスト・イエスを予影していました。聖書は,その新しいエルサレムが,この地を支配して,美と健康にあふれる楽園をこの地に復興する状態を,予言的まぼろしの中に描き出しています。使徒ヨハネはこう言います,「わたしはまた,新しい天と地とを見た。先の天と地とは消え去り……また,聖なる都,新しいエルサレムが,夫のために着飾つた花嫁のように用意をととのえて,神のもとを出て,天から下つてくるのを見た。また,御座から大きな声が叫ぶのを聞いた,『見よ,神の幕屋が人と共にあり,神が人と共に住み,人は神の民となり,神自ら人と共にいまして,人の目から涙を全くぬぐいとつて下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない。先のものが,すでに過ぎ去つたからである』。すると御座にいますかたが言われた,『見よ,わたしはすべてのものを新たにする』」― 黙示 21:1-5,新口。
42,43 生命を愛する人々はみな,今なにをすべきですか。それはどんな益を現在と将来にもたらしますか。
42 楽園回復の何というすばらしいまぼろしでしよう。このまぼろしこそ,自由の本である聖書の巻未の主題の一部です。それは,イエスの教えた,「御国が来ますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」という偉大な祈りに対する全き答であります。(マタイ 6:10,新口)しかしながら,私たちは,聖書に書かれている真理の広大な分野をかすかに見はじめたに過ぎません。それは全くすばらしいものなのです! 自然からこれらの知識を得ることはできません。生命と自由を愛するすべての人々が,聖書を手に入れて,その生命を与える音信を学びはじめる時は今です。聖書は,はつきりと述べています,「永遠の生命とは,唯一のまことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。―ヨハネ 17:3,新口。
43 あなたはすでに聖書をお持ちですか。それを定期的にお読みになりますか。もしそうでないなら,すみの方の棚から聖書を取りおろして,ほこりをはらつて下さい。そして毎日の生活の導きとしてそれを使いはじめて下さい。聖書は,いま新しい世に備えるあなたの家族の生活の仕方に,助けとなるでしよう。世界中にあるヱホバの証者の新世社会に訪れた幸福と一致を見て下さい。あなたも,それと同様の喜びと満足と,霊的健康をもつことができるのです。あなたがお持ちの他のどの本も,またはどんな財宝も,そうした永続する心の喜びを生み出さず,そのような自由を与えることもないでしよう。なぜ聖書の援助とその益を拒絶なさるのですか。聖書の真の宗教を受け入れて,真理を得て下さい。それに従つて自由を得て下さい。そして,幸福な将来,すなわち,神の御国の下なるこの美しい楽園の地での永遠の生命を確かに自分のものとして下さい。