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「奉仕者」であるとはどういう意味ですかものみの塔 1976 | 3月1日
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特定の奉仕に任命されたわけではありません。それでも全員が,コリント第一 12章12節から30節で使徒が指摘しているとおり,全部が共に協力し「互いに対して同じ気づかいを示す」多くの肢体のある一つの体のように,共に奉仕しました。
27 神および仲間の人間に対する奉仕に関して,わたしたちすべては今日どんな健全な態度を喜んで取るべきですか。
27 それでわたしたちは,特定の奉仕や責任に正式に任じられる資格を持ちそれに任じられていてもいなくても,わたしたちすべてが,この時代に対する神のご意志を成し遂げるために協力して奉仕することができますように。わたしたちはみな,真理を他の人々に語る共通の特権を大切にし,それを熱心に用いて,わたしたちの生活に光と希望をもたらした良いたよりを他の人々と分かち合いましょう。
「目は手に向かって,『わたしにあなたは必要でない』とは言えず,頭も足に向かって,『わたしにあなたがたは必要でない』とは言えません。それどころか,実際には,体のなかでほかより弱く見える肢体がかえって必要なのであり,また,体のなかでほかより誉れが少ないと思う部分,これをわたしたちはより豊かな誉れをもって包みます」― コリント第一 12:21-23。
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読者からの質問ものみの塔 1976 | 3月1日
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読者からの質問
● アブラハムがシェケムに埋葬所を購入した,と述べている使徒 7章16節の記述と,創世 23章15節から19節の言葉を,どのように調和させることができますか。
アブラハムがシェケムに埋葬所を買ったと述べる使徒 7章16節と,ヘブロンの近くのマクペラにそのような地所を購入したと伝える創世 23章15節から19節は,食い違うように思えるかもしれません。しかし,考えうる説明は幾つかあります。まず,問題の詳細点を少し調べてみましょう。
アブラハムが約束の地に入って間もないころ(西暦前1943年),彼は,後日サマリア市の建てられた北部地方のシェケムにしばらくの間住んだことがありました。(創世 12:6-8)後日,アブラハムの妻サラが死ぬと(西暦前1881年),アブラハムは,エルサレムの南方ヘブロンの近くにある,マクペラの野とほら穴を埋葬地として購入しました。こう書かれています。「アブラハムはその妻サラをカナンの地にあるマムレ,すなわちヘブロンの前のマクペラの畑のほら穴に葬った」。(創世 23:15-19,口)やがて,アブラハム,イサク,リベカ,そしてレアも,そこに葬られました。―創世 25:9; 49:29-32。
アブラハムの孫ヤコブも一時期シェケムの近くに住み,そこに土地を購入し,祭壇を築きました。(創世 33:18-20)エジプトで臨終の床にあったヤコブは,シェケムではなく,アブラハムがヘブロンの近くに購入した地所に,先祖と共に自分を葬るよう,息子たちに命じました。(創世 49:29-32; 50:12,13)シェケムでなされた埋葬については,ヨシュア 24章32節に,約束の地に入って後,イスラエル人がヨセフの骨を,「ヤコブが……買い取ったシケムのうちの地所」に葬ったことが述べられています。その地所は,ヨセフの息子マナセに割り当てられた土地の一部でした。
こうした歴史を念頭に置いて,使徒 7章15節と16節に注目できます。クリスチャンの弟子ステファノは,その巧みな弁護の言葉の中で,こう述べました。「ヤコブはエジプトへ下りました。そして彼は没し,父祖たちも没しました。そして彼ら[「父祖たち」]はシェケムに移され,アブラハムが銀子を払ってシェケムのハモルの子から買った墓に横たえられました」。ですから,ヤコブではなく,アブラハムがシェケムにある土地を購入したとステファノは述べているように見えるかもしれません。ところが,創世 23章17節と18節は,アブラハムがヘブロンの近くのマクペラに墓所を買ったと述べているのです。
ヘブロンに購入した土地に加えて,アブラハムが,自分の前にエホバの現われた地,また自分がその後に祭壇を築いた地であるシェケムを購入したことも考えられる,とする学者もいます。(創世 12:7)そうであれば,それは,創世 33章18節と19節で,ヤコブが,当時その地を管理していた者たちから買い取ったとされている土地と同じであったかもしれません。この見解からすれば,使徒 7章16節に関する問題はすべて解決します。
ステファノは単に,創世 23章15節から19節に記されているアブラハムの取り引きと,創世 33章18節と19節に見られるヤコブによる購入を結び付けてこの二つの記述を要約していたにすぎない,という見方もあります。使徒 7章7節において,ステファノがアブラハムに語られた神の言葉とモーセに語られた神の言葉を明らかに結び付けているという事実は,その可能性をいっそう大きくするものです。(創世 15:14。出エジプト 3:12)ですから,使徒 7章16節は,使徒 7章7節と同じく,ステファノの話の目的に十分かなう要約,あるいは省略された言葉であると言えるかもしれません。
考えうるもう一つの解釈があります。創世 33章18,19節ではヤコブがシェケムのその土地を購入したと記されていますが,アブラハムはヤコブの祖父でしたから,ステファノは族長のアブラハムが購入したものとみなしたのかもしれません。聖書の他の箇所で,先祖の名前が子孫に適用されたりまた用いられたりしている他の例は,この説を信ずるに足るものとしています。―ホセア 11:1,3,12。マタイ 2:15-18。
こうした可能性はいずれも,使徒 7章16節と創世 23章15節から19節の間に見られる表面上の食い違いを解決するものとなるようです。納得のゆく説明が幾つもあることを考えると,だれにせよ,今日すべての事実を把握せずにステファノを誤りとするのは,道理にそわないことであると分かります。
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まず世界の滅び ― それから世界の平和ものみの塔 1976 | 3月1日
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まず世界の滅び ― それから世界の平和
世界の滅びはどのようにしてもたらされますか。何が滅ぼされるのですか。その滅びをもたらすのは人間ですか。それとも,そうするのは神の目的なのでしょうか。
上記のような主題の章を収めた,「真の平和と安全 ― どこから得られるか」と題する192ページの本をお読みください。どうしたら生き残れるか,またどのようにして世界の平和が確立されるかを学んでください。この本は,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」とともにわずか450円のご寄付でお求めになれます。108 東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔聖書冊子協会(振替 東京 5-138022番)にお申し込みください。
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