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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 2/15 118–119ページ

キリスト教を自分の生きる道とする

西暦一世紀当時,イエス・キリストの追随者たちは,“この道”に属する者と呼ばれました。(使徒 9:2)真のクリスチャンに関して,今でも同じことが言えます。どうしてですか。それは,彼らの生活の仕方がキリストに対する信仰を中心としたものだからです。また,イエスと同様,エホバ神に心からの専念を表明しているからでもあります。それは彼らの生きる道です。

恐らくあなたは,エホバのクリスチャン証人と聖書を学び,土地の王国会館での集会に出席しておられることでしょう。もしそうなら,あなたは与えられる霊的な事柄に対して,喜びを感じておられるに違いありません。しかし,エホバの崇拝者であるということは,ただ特定の教義を信奉し,神とキリストを信じる人々と共に集まるだけの問題ではないことに気付いておられるでしょう。むしろ,真の宗教を実践することは,クリスチャンの生活のすべての面に影響を及ぼします。

中には霊的な事柄に深入りするなら,あまりにも拘束されるようになると考える人もいます。自分たちは,既に「カエサル」の税金の規定や,交通法規,その他多くの規則を守る義務があり,もうそれで十分だと考えるかもしれません。そうした人々は,自分は自由でありたいのだと言います。彼らは,『エホバの霊のある所には自由がある』ことをまだ悟っておらず,『そのおきては重荷ではない』ことを,まだ経験していないのです。―コリント第二 3:17。ヨハネ第一 5:3。

実際,神のご要求を守り,キリスト教を生きる道とすることから,大きな自由と幸福が得られます。例えば,雇用の問題を考えてみましょう。聖書は怠惰を非としているので,真のクリスチャンは勤勉に働きます。(箴 20:4)勤勉であれば,仕事もかなり熟達するでしょうし,ひいては,増し加えられた熟練性のゆえに仕事は一層安定し,あるいは昇進することになるかもしれません。

雇用者が人員整理を行なわねばならない場合でも,そのような人はきっと解雇されないで済むでしょう。良心的で熟練した労働者は求められているからです。適切にも神のみことばは,次のように述べています。「あなたはそのわざに巧みな人を見るか,そのような人は王の前に立つが,卑しい人々の前には立たない」― 箴 22:29,口。

しかし,雇用者が,顧客と取り引きをする際に不正直になるようあなたに求める場合はどうですか。それについて聖書はこう述べています。『偽りのはかりはエホバに憎まれる』。神は『偽りを言う舌』を憎まれ,『貧しき者は偽り人にまさる』。(箴 11:1; 6:16,17; 19:22)神を喜ばせようと努めるあなたは,きっと雇用者に,あなたのご命令ではあっても,わたしはだましたりうそをついたりはしません,とていねいに告げるでしょう。そのために職を失うことになるでしょうか。必ずしもそうではありません。一つの信念を持つ男女は,一層尊敬される場合が多いからです。その上大抵の雇用者は自分に対してうそをついたり,職場で物を盗んだりしないような働き手がいることをうれしく思うでしょう。

もちろん,正しい事に対するあなたの確固とした立場のために職を失うこともあります。そうした場合には,クリスチャンの良心に反しない他の職を探さねばならないでしょう。しかしエホバのみ手は短くありません。詩篇作者ダビデは,神の霊感のもとにはっきりとこう述べました。「わたしは,むかし年若かった時も,年老いた今も,正しい人が捨てられ,あるいはその子孫が食物の請いあるくのを見たことがない」― 詩 37:25,口。

キリスト教を生きる道としている学齢期の子供も,「すべてのことにおいて正直に」行動したいという同様の願いによって動かされています。(ヘブライ 13:18)そうした学生は試験中にカンニングをしないので,カンニングをする学生よりも,与えられる教育から多くの益を受けます。ですから,クリスチャンの道はより実際的であると言えます。その上,正直なクリスチャンは良心の責めゆえによく眠れないなどということがなく,『満たされて夜を過ごす』ことができます。―箴 19:23,新。

キリスト教を生きる道としている人々は,エホバを喜ばすことを願い,『神は淫行の者や姦淫を行なう者に[不利な]裁きを下される』ということを悟っているので,性の不品行をも避けます。(ヘブライ 13:4)今日,性の自由と思われているものを欲し,聖書に拘束されたくないと思う人は少なくありません。しかし,配偶者の不貞に対する心配など多くの問題から本当に解放されているのはだれですか。それはキリスト教を生きる道としている人々です。

聖書の箴言には,『知恵なき』もしくは良い動機に欠けた若者が,不道徳な女に誘われる様子が描かれています。それはこう述べています。『わかき人たゞちにこれに従へり あたかも牛のほふりばに行くがごとく……遂には矢その肝を刺さん 鳥の速かにあみに入りてその命を失ふに至るを知らざるがごとし』。(箴 7:6-23)実際,梅毒は,身体の他の器官を冒すように肝臓を冒すこともあります。こうした性病は致命的な結果を招きますが,キリスト教を本当に生きる道としている人は,身体的,精神的,霊的に害を及ぼす不道徳な行為を慎みます。

次に,あなたの家庭生活について考えてみてください。例えば,夫と妻の関係を考慮してみましょう。使徒パウロは次のように書きました。「あなたがたひとりひとりも,それぞれ自分を愛するように妻を愛しなさい。一方,妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」。(エフェソス 5:33)もちろん,夫に愛され感謝されるには,妻は夫にそうした感情を抱かせるような仕方で振る舞わねばなりません。また,夫も深い敬意を受けるにふさわしい仕方で行動しない限り,そうした評価を受けることはありません。

確かにクリスチャンの振る舞いは,どの夫婦関係にも益を与えるでしょう。家族内の各人が敬神の特質を表わすなら,家庭生活は大抵うまくゆくものです。どの家族も,その成員が愛,優しい同情心,親切,へりくだった思い,柔和そして辛抱強さなどの資質を表わすとき,幸福になるというのは至極当然なことです。―コロサイ 3:12-14。

キリスト教を生きる道とすることは,確かに多くの益をもたらします。しかもそれは,禁欲主義や極端な自己否定を要求するものではありません。例えば,クリスチャンは適度な娯楽のために幾らかの時間を費やします。聖書はこう述べています。『天が下のよろずの事には期あり……泣くに時あり 笑ふに時あり 悲しむに時あり 踊るに時あり』― 伝道 3:1,4。

神の言葉聖書に関する知識が深まるにつれ,クリスチャンの生活は本当に平衡のとれた,喜びの多い,満足のゆくものであることを,いよいよ認識されるでしょう。エホバのご要求を守る人は,厳しい規則に締めつけられるように感じることはありません。むしろ,そうした人は『真理を知り,真理がその人を自由にした』ゆえに,真の自由と幸福を知っています。(ヨハネ 8:32)それこそ,キリスト教を生きる道としたすべての人の受けるべき分です。

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