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塔64 6/15 355–356ページ

なぜ聖書を読むべきですか

『私は聖書を読んだことがあります。子供の時にも読み聞かされましたしいまは礼拝の時に聖書の話を聞きます』とあなたはおっしゃるかもしれません。

でもそれで十分でしょうか。

たしかに子供の時に聖書を読み聞かされたのはよいことでした。あなたのご両親が,子供の心に神のみ言葉を植えつけなさいとの聖書の命令を守ろうと努力されたことがそれによって伺えます。(申命 6:4-9。エペソ 6:4)しかしずっと昔に聞かされたことが,クリスチャン生活を営む十分の備えとなりますか。聖書を絶えず読むことも必要ではないでしょうか。

たとえば,子供が自分の行動に関係のあることについてあなたに尋ねる場合,あなたは神の権威あるみことばに即した助言を与えることができますか。それとも仕方なしに自分の目から見て正しいと思われることを話しますか。またあなた自身がいろいろなことを決める場合はいかがですか。あなたの下す決定には聖書的裏付けがありますか。『人の目に正しく見えても,その終りは死に至る道がある』という霊感による警告は,聖書をとおして言われる神のことばに頼ることの重要性を銘記させるものです。―箴言 14:12; 3:5,6。

また,神のみことばの良き物を他の人に分かつというクリスチャンの責任も考慮を要する事柄です。あなたはこのことを行なうのに必要な聖書の知識をおもちですか。イエス・キリストご自身も,この知識の重要なことを強調して次のように言われました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります」。―ヨハネ 17:3。

聖書を効果的に使うには,常に聖書を読む必要があるのはおのずと明らかでしょう。たえず復習しないと真理は心から容易に抜け出るものです。聖書を読む必要性は,礼拝に定期的に出席することによって埋め合わせのつくようなものでもありません。キリストの弟子であったルカは,ベレア人について書いた時そのことを指摘してこう書いています。「〔ベレアの住民は〕テサロニケの者たちよりも素直であって,心から教を受けいれ,果たしてそのとおりかどうか知ろうとして日々聖書を調べていた」― 使行 17:11。

ベレア人が,宗教的集会に出席し,かつ,『日々聖書をよく調べた』ことに注意してください。聖書がすすめているのはこのことです。しかし現在の状態はどうですか。

アメリカ北西部の教会に出席したある新聞記者は,現在の状態が昔とはだいぶ違うことに気づきました。彼によると,聖書を持参する人はまずなく,みな教会に備えつけの聖書を読み,礼拝が終わったら戻します。その新聞記者は,「家で聖書がいらないのだろうか。聖書は日曜日の朝1時間だけ読むものだろうか」と質問しています。a

あなたはどう思われますか。人が聖書の教えに不案内なら,聖書はその人の生活の導きになりますか。神の要求を知らないで,どんな決定を下すべきかどうしてわかりますか。将来の希望についてはどうですか。永遠の生命という聖書の約束について読んだことがないなら,その約束に確信がもてますか。また,聖書を入念に研究したことがないなら,聖書の良い音信を仲間の人間に分かつことによって自分のもつ希望の理由を説明し,また他の人々に希望をもたせることがきますか。

特別寄稿家ルイス・カッスルが,きちんと教会に行く人々について書いていることを読むと,このような疑問がわきます。彼はこう言っています。「その60パーセントは四福音書の名をあげることができなかった。75パーセントは,カルバリがイエスのはりつけになった場所であることを知らなかった。ある会衆は少しましかも知れない。しかしそんな会衆はたくさんない。今日の大多数のアメリカ人は,聖書に対して無知である。とにかく彼らは,聖書は『神のことば』だと言いながら,決して読もうとはしない」。b

人々はこのように聖書を読むのを怠っていますが,あなたが聖書を読まねばならない大切な理由があります。聖書はまことに神の言葉だからです。イエス・キリストのひとりの使徒は確信をもって,「聖書は,すべて神の霊感を受けて書かれたもので」あると私たちに告げています。―テモテ後 3:16。

あなたはほんとうに聖書を信じますか。もしそうなら毎日聖書を読むことを習慣にしてください。そうすれば神の言葉はあなたが正しい決定をくだせるようにしてくれます。また,神の義の御国のもとで永遠の生命を与えるという神の御約束に対する確信をいっそう強めてくれます。―マタイ 6:9,10。

しかし聖書を読むことからこうした益を得ようと思えば,多くの人がよくやるような読み方をしてはいけません。ある人は,読む事柄を信仰の基礎にするのでなく,自分の信仰の裏付けになるものを見つけ出すために聖書に目を通します。そうかと思うと,神のみ旨を学ぶためでなく,聖書はひととおりを読みましたと言いたくて,読むだけの人もいます。

しかし神が聖書の読者を次のように励ましておられることに注意してください。「あなたはそれを昼も夜も小声で読まなければならない。それはそこに書かれていることをことごとく守り行なうためである」。(ヨシュア 1:8,新世)そうです,読みながら,そこに書かれていることが自分の生活にどのようにあてはまるかを考えるのです。考えながら読み,いろいろ自問してみるならば,聖書に書かれている出来事がどのように自分の生活に影響するかがわかります。そして全能の神の御旨にそうためには自分の態度や行為を変える必要があるかどうかに気づくでしょう。

聖書は辞書のように使うためではなく,読むために書かれました。たしかにイエスとその使徒たちは,特定の論点を証明するために,聖書のあちこちから多くの聖句を集め,そうすることによって正しい先例を残しています。しかし,同時に,聖書をとおして読むことも大切です。聖書をとおして読めば,前後関係を無視して聖句を曲解するような間違いを防ぐことができます。―ルカ 24:27。使行 17:2,3。

聖書のページの中にはなんという宝があなたを待ちうけているのでしょう。聖書はもっともすぐれた読物です。そのページに見られる神の知恵は「真珠よりも貴し」と賢明な箴言の記者は書きました。まことに「知恵は,これを捕える者には命の木」です。であれば,あなた自身のしあわせのために,いつも聖書を読まねばならないのは当然ではないでしょうか。―箴言 3:13-18。

[脚注]

a 1963年4月3日のシャトル・ポスト-インテリジェンサー

b 1961年4月15日のサン・マテオ・タイムス

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