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目ざめよ! 1973
目73 5/8 28–29ページ

「あなたのみことばは真理です」

エホバの考えは人間の考えよりも高い

自分自身の考えや行動に照らして他の人のことを考えたり批判したりするのは珍しいことではありません。自分個人にあてはまる規準に基づいて,神の行動の正当性をさえ批判しようとした人は少なくありません。不忠実なイスラエル人が昔行なったのは,ほかならぬそのことでした。

しかし,宇宙の最高至上者,エホバ神は,それらイスラエル人が『神は自分たちにさも似たもの』で,自分たちと同様の仕方で物事を見るかただと想像するままに放置することはなさいませんでした。エホバは彼らを『責めてその罪を彼らのまのあたりにつらね』ました。(詩 50:21)どのようにしてですか。西暦前8世紀の昔,エホバ神は預言者イザヤを通してこう言明されました。『わが〔考え〕はなんじらの〔考え〕とことなり わが道はなじらのみちと異なれり 天の地よりたかきがごとく わが道はなんじらの道よりも高く わが〔考え〕はなんじらの〔考え〕よりもたかし』― イザヤ 55:8,9〔新〕。

これらのことばは,人類に対するエホバの取り扱い方に関して,背教したイスラエル人のいだいていた間違った見方に注意を引きました。どんな意味においてですか。とりわけ,イスラエル人は,エホバからの不利な裁きが執行されるさい,人はその時どんな状態にあるかによって滅びを免れるか,それとも滅ぼされるかが決まるということを正しく認識していませんでした。もし人がほんとうに悔い改めて,自分の生活を神の道に一致させているなら,過去の悪行の記録があっても,そのために不利な立場に立たされることはありません。一方,神からの不利な裁きが執行されるさい,もし人が神の道に反して歩んでいることがわかった場合,それまでの義にかなった行為のゆえに面目を施すということはありません。

エホバが不忠実なイスラエル人に対して,自分たちの利己的な道を捨て,エホバの道に従った生き方をするよう訴えて,次のように述べたのはそのためです。『なんじら会うことをうる間にエホバを尋ねよ 近くいたもう間によびもとめよ 悪しきものはその道をすて よこしまなる人はその〔考え〕をすてゝエホバに帰れ さらば憐れみをほどこしたまわん 我らの神にかえれ 豊かに赦しをあたえたまわん』― イザヤ 55:6,7〔新〕。

西暦1世紀にクリスチャン会衆が設立されたとき,エホバ神はご自分のしもべたちを用いて,あらゆる国の民に彼らの間違った道を捨てるよう勧めはじめられました。古代ギリシアのアテネのアレオパゴスに集まった人たちに向かって,使徒パウロはこう言いました。『かく神の裔なれば,神を金・銀・石など人の工と考えとにて刻める物と等しく思うべきにあらず。神はかかる無知の時代を見過ごしにしたまいしが,今はいずこにてもすべての人に悔い改むべきことを告げたもう』。(使行 17:29,30)悔い改めには,神の道ではなくて自分自身の道を取ってきたことに対する心からの後悔が関係しています。

もちろん,古代のイスラエルや西暦1世紀当時の場合と全く同様,今日,多くの人びとは神の道が自分たちのそれよりも高いことを認めようとはしません。それらの人びとは,自分自身の規準に従って物事を行なうのを好みます。

中には,「かなり良い」生活をするためには不正行為に訴えてもかまわないと考える人びとがいます。そのような人びとは,雑な仕事をしたり,貧弱な材料を使いながら,良質の材料の品物並の代金を請求したり,雇用者の物品を盗んだり,その他の仕方で自分が所有する権利のないものを入手しようとしたりするかもしれません。『われわれはできるだけ自分自身を大事にしなければならない。神はわれわれのために生計を立ててくれるわけではない』というのが,そうした人びとの態度です。したがって,そのような人たちは,聖書の次のような命令に従いたいとは思いません。『盗みする者は今よりのち盗みすな,むしろ貧しき者に分け与えうるために手ずから働きて善きわざをなせ』― エペソ 4:28。

しかし,多くの人びとの歩んでいる不正な道は,神の道よりもすぐれていますか。確かにそうではありません。不正行為は仲間の人間のうちに確信や信頼の念を築くものではありません。かえって,人びとは極端に用心深くなり,他の人に利用されはしまいかと恐れるようになります。だまされた人たちは失望し,多くの場合,苦々しく思い,立腹させられます。また,雑な仕事をしたり,貧弱な材料を用いたりしたために,死傷事故さえ生じています。

不正行為からは何ら益が生じません。不正行為をして得をしていると考えている人は,同時に他人の不正行為のために損をしています。そして,従業員が盗みを働くために,商品やサービスに対して高い料金を支払わされるのです。こうして,不正行為は悪循環を招きます。人びとが他人を利用すればするほど,失意や失望,暴虐や死傷事故が増してゆきます。

多くの人びとが,当然自分自身の道に従うことができると考えている別の分野は,性道徳の分野です。そのような人たちは,同性愛行為・姦淫・淫行・不品行などを非とする聖書の戒めは,人生から喜びを得る自分たちの権利を侵害するものだと感じます。―コリント前 6:9,10。ガラテヤ 5:19-21。

しかし,確かに不道徳は悪い実しかもたらさなかったのではありませんか。不道徳をして結婚関係や家庭生活を改善した人がいったいいるでしょうか。性の不道徳は多くの場合,別居や離婚や家庭の分裂を招きます。今日,忌まわしい性病が疫病のように広まっており,性的暴行はふえています。しっとに燃えた愛人が暴力に訴えるあまり,殺人を犯す場合もあります。また,不本意な妊娠が起きたり,私生児が生まれたり,「合法的」また不法な堕胎が行なわれたりしています。身体的危害のほかにも,性の不道徳を行なう人びとの多くは,精神的・感情的障害を招きます。淫行や姦淫によって生まれる子どもは普通,真の愛や愛情を受けずに成長してゆきます。

結婚前の関係の中で自制を保たない婚約中の男女は,つかの間の快楽を求めたことが原因となって後日問題を起こす場合がよくあります。淫行,あるいは淫行と紙一重の不品行は,しっかりした基礎を持つ結婚生活を始めさせるものではありません。そうした行為は相互の敬意の念を傷つけ,したがって幸福な家庭の土台をむしばみます。

このようなわけで,自分自身の道ではなく神の道に従う人は害を受けないように守られていることがわかります。それは,創造者の定めた理法は人間の幸福と福祉を確保するために設けられたものだからです。聖書中に見いだされる種々の命令は,神の益のためにそこにしるされているのではありません。単に,ある人間が神の道を指針とする歩みを選んだからといって,宇宙の主権者としての神の立場が何らかの点で強化されるわけではありません。一方,人びとが神の道を無視して自分自身に害をもたらしたからといって,神の立場が変わるわけでもありません。人間の側のそうした失敗は,神の義をいっそうきわだたせるにすぎず,神の道が不完全な人間の道よりも高いことを実証するにすぎません。

自分自身の利己的な道に従っていながら,自らに益がもたらされることを欲している人はすべて,悔い改めて自分たちの道を捨て,神の道によって自分たちの生活を律するよう努力すべきです。もしわたしたちが今,神の道と調和した生活を営むなら,健全で幸福な家庭生活はもとより,仲間の人間とのより良い関係をも享受できます。また,神と人との前で清い良心を保てます。しかも,わたしたちの前には,理知ある被造物すべてが神の高潔な道に従って生きる,義の新秩序で永遠の命を受ける輝かしい見込みがあるのです。

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