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  • エホバの喜ばれることは栄える
    ものみの塔 1972 | 7月1日
    • するのは父親です。父親はその生命の営みを開始させますが,その生命を宿し,妊娠期間中,母体内で形造られてゆく胎児のからだに必要なものを供給して養うのは母親です。また出産後も,その子をさらに世話して養うおもな責任をになうのも母親です。ところが,エホバについていえば,そもそもエホバは単にそのしもべの創造者であられるだけではありません。ご自分のしもべに話しかけるにさいして,エホバは「あなたの創造者……あなたを形造ったかた……あなたの神……あなたの救い主……あなたがたを買い戻すかた……あなたがたの聖なる者……あなたがたの王」などの七つの異なった称号でご自身のことを呼んでおられます。エホバは形造る者としての役割を強調して仰せられます。「あなたを作った者,あなたを形造って,あなたを実に胎内にいるときから助けてきたかた,エホバはこう仰せられる」。―イザヤ 43:1,3,14,15; 44:2。また,イザヤ 44:21,24もご覧ください。

      16 (イ)神はどのように早くからその民イスラエルを形造り,買い戻されましたか。(ロ)この点でイザヤの時代にはどんな事態が見られましたか。

      16 このことは神の昔の民とともに始まりました。ヤコブの12人の息子から始めて,神は彼らを一族として形造りはじめ,長年エジプトに居住した間も彼らを生き長らえさせました。その期間は,彼らが律法契約に具現された国家全体を律する法典を与えられて,シナイ山で一国民として誕生する前のいわば妊娠の時期になぞらえられます。神はまた彼らを買い戻すかたとなり,その民を去らせることをパロが拒んだとき,神は彼らを力ずくで救出されました。事実,パロは自分自身の初子の息子の死という代償を,またエジプトはその軍勢を紅海で失うという代償を支払わねばなりませんでした。(出エジプト 4:23。イザヤ 43:3)7世紀後のイザヤの時代にはエホバのそれらの称号にさらに意味を付与する新たな事態が生じました。イスラエルとユダの王国はともにはなはだしい偶像崇拝と不法行為の罪を犯しました。ユダはバビロンに捕われた状態に陥り,バビロンはそのユダを永遠に奴隷として所有しようと考えました。いつくしみ深いことにエホバはご自分の民の違背をぬぐい去って,ご自身が,「あなたを買い戻す者,あなたを胎内にいるときから形造ったかた」(新)であることを宣明すると約束されました。また,それがどのように,そしてだれによってなされるか,つまりご自身が「クロスについては彼はわが牧者 すべてわが好むところを成しむる者なりといひ エルサレムについてはかさねて建られその宮の基すえられんといふ」者であることをもはるか事前に予告することさえなさいました。(イザヤ 44:21-28,新)やがてバビロンから戻った残れる者はそのすばらしいわざに加わりました。信仰の欠けた人たちが多かったとはいえ,ゼカリヤその他の忠実なしもべたちにとってそのわざを成功裏に仕終えるよう助けるのはなんという喜びだったでしょう。―ゼカリヤ 4:9,10。

      17 初期のクリスチャン会衆に関してどんな同じようなことが起こりましたか。

      17 初期のクリスチャン会衆に関しても同じようなことが起きました。バプテスマのヨハネの弟子たちから始めて,イエスの奉仕の期間全体を通じて神は,「聖なる国民」つまり霊的イスラエルとなる人びとの一団を整え,形造っておられました。(ペテロ前 2:9,新。ガラテヤ 6:16)その国民の誕生は西暦33年のペンテコステに起こり,その時,彼らは新しい契約に入れられ,聖霊を注がれました。ローマの人たちに書き送ったことばの中でパウロは,それら改宗した初期のクリスチャンはイザヤの指摘した『残れる者』のいっそうの成就をなす者であることを示しました。また,イザヤのことばを引用して,他の人たち,つまりユダヤ人でない者たちが加えられて,『[霊的]イスラエルが悉とく救はれる』ということをも示しました。―ロマ 9:27-29; 11:5,25,26。

      18 エホバはどのように現代のご自分の民を形造るかた,また買い戻すかたとなられましたか。

      18 すでに指摘されたとおり,今やわたしたちはこれらの預言の最終的な成就を伴う活動の最高潮を見,またそれにあずかる特権に恵まれています。現代の『残れる者』とはクリスチャン会衆の成員の残っている人たちであることが明らかにされています。彼らを形造ったかたとしてのエホバはそれらの人たちを集める予備的なわざを,1914年の何年も前に開始されました。それとともに,彼らを買い戻すかたとなってこられました。彼らは『神ご自身のみ子の血をもって買い取られた』だけでなく,第一次世界大戦の期間にさらに救出される必要が生じたときにも買い戻されました。彼らは『大いなるバビロン』に捕われたのです。彼らはほとんどキリスト教世界の諸教会から出て来てはいたものの,人間に対する恐れや被造物崇拝などの,ある種のバビロン的な特徴をなおも保持していました。そして,そのために神の不興を招き,懲らしめられ,清められなければなりませんでした。心の真実な人たちはそのことを感謝し,より大いなるクロス,イエス・キリストによって救出されたとき,歓喜して神のみ名をほめたたえ,恐れることなく王国の音信をふれ告げました。彼らの経験と感慨はいみじくもこう予告されていました。「エホバよわれなんぢに感謝すべし 汝さきに我をいかり給ひしかどその怒はやみて我をなぐさめたまへり 視よ神はわが救なり……エホバに感謝せよ その名をよべ その行為をもろもろの民の中につたへよその名のあがむべきことを語りつげよと エホバを頌うたへ そのみわざは高くすぐれたればなり これを全地につたへよ」。―使行 20:28,新。黙示 17:5。イザヤ 12:1-5。

      19 (イ)これはどんなすぐれた拡大をもたらしましたか。(ロ)わたしたちはどこに喜びと成功とを見ることができますか。

      19 このことは全地に知らされ,その結果,霊的イスラエル人ではない大勢の他の人びとが良いたよりに答え応じてきました。これらの人びとはみな,つまり残れる者も『大いなる群衆』もともに買い戻され,「ひとりの牧者」キリスト・イエスのもとにある「一つの群」として形造られてきました。(ヨハネ 10:16)これはエホバの証人の幸福な経験です。わたしたちは創造者の目的がまさにわたしたちの眼前で成し遂げられて全き成功を収めつつあるさまを見ることができます。それは創造者に大いなる喜びをもたらすとともに,統治している神の王キリスト・イエスに集められて結ばれている人たちにも喜びと慰めをもたらしています。エホバが約束されたとおりです。「わが…言もむなしくは我にかへらずわが喜ぶところを成し わが命じ遣りし事をはたさん」― イザヤ 55:11。

      20 どんな問題がわたしたちの注意を促しますか。

      20 自分自身の人生の目的が創造者のそれと同一であることをどうすれば見きわめられるか,またどうすれば同様の成功の保証にあずかれるかをさらに考慮する前に,イザヤの預言の中で問題となるある箇所をもっと詳しく調べてみたいと思います。それは苦しむことに関する事がらですが,しかも同時に,それは喜びとして述べられているのです。

  • 苦しむことを喜ぶ
    ものみの塔 1972 | 7月1日
    • 苦しむことを喜ぶ

      1 イザヤ書 53章はだれに適用されますか。このことはどのように証明できますか。

      イザヤはかつてエホバのしもべであり,今もそうであられるメシヤなるキリスト・イエスに関する数多くの預言を記録するために霊感を受けました。イザヤ書 53章全体はメシヤの苦しみと死と埋葬について述べています。これがこの章の霊感による適用方法であることは広く認められています。

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