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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1964
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読者よりの質問

● 箴言 14章17節はどういう意味ですか。新世界訳聖書の表現は他と異るようですが。―アメリカの一読者より

新世界訳聖書によると,箴言 14章17節は次の通りです。「怒りやすい人は愚かなことを行ない,考える能力のある人は憎まれる」。欽定訳聖書ではこうなっています。「怒りにはやい者は愚かに振舞い,悪しきたくらみを抱く者は憎まれる」。さて,「怒りやすい人は愚かなこと行ない」,あるいは,「怒りにはやい者は愚かに振舞い」の部分に異論はありません。では,「悪しきたくらみを抱く者は憎まれる」の1節についてはどうでしょう。他の翻訳は意味の上で欽定訳と同じですが,「考える能力のある人は憎まれる」と訳した新世界訳は,他と異なる思想を伝えるようです。

まずはじめに,現代訳のいくつかをあげて,この部分がどうなっているかを調べましょう。ジェームス・モファット訳はこうです,「分別ある者は忍耐づよいだろう」。ペシタ(シリア語訳聖書)を用いたラムサ訳は,「賢い者は穏やかである」。アメリカ訳は,「思慮ある者は忍耐づよい」。また改訂標準訳も,「思慮ある者は忍耐づよい」。改訂標準訳で注意すべき事は,「忍耐づよい」の表現に脚注を付して,ヘブル語では「憎まれる」の意味もあることを示しています。いずれにしても,ここで明らかになるのは,前記の現代訳が,「分別ある者」,「賢い者」,「思慮ある者」などの表現を用いている事です。そこに横たわる思想は,「考える能力のある人」訳した新世界訳に極めて似ています。

ここにある「考える能力」という表現は,ヘブル語メジマの複数形を訳したものです。メジマの意味は,「はかりごとであり,普通は悪い意味(たくらみ)に,時おり,良い意味(総明)に用いられる」。それゆえ,このヘブル語は良い意味に用いられることもあり,「考える能力」という表現の中にはそれも含まれます。

では,良い意味で考える能力のある人さえ憎まれるのですか。世間一般の実際の傾向として,考える能力を働かせる人が特に好かれることはありません。真の知識人であり,物事を考える人が時に「インテリ」と呼ばれます。この言葉は,考える能力を正しく,また産出的に用いる人について,やや嘲笑的な気持をこめて使われることがあります。この種の人々が一般から敬遠されるのは,その理性を働かすためです。考えるのは骨の折れる仕事なのでおっくうがる人もあります。そうした人々は,精神面の能力を活用し,勤勉に理性を働かせる人をそれほど好みません。それゆえ,物事を良く考える人が憎まれるという事が時にあります。

次に示すアラン・バレンタインの「順応の時代」(The Age of Confromity)105,106頁からの引用は,一般の傾向をよく物語っています。「アインシュタインは,本来の意味からは甚だそれるかも知れないが,一種の国民的英雄であった。彼を理解した者はまずいなかったであろう。それでありながら,アインシュタインは数学の絶頂をきわめた偉大な冒険家であるとの一般の評価を,ほとんどすべての者が受け入れた。しかしながら,彼が一般に問題となっている事柄に何か意見を述べると,彼を称賛する者の数が減った。独立して思考することは民主主義に対する挑戦であり,『知識階級』とか』理論家』というのはほめ言葉ではない」。

もとより,考え深さをよそおうだけの人もあります。しかし,箴言 14章17節はそうした見せかけの知識人について語っているのではありません。その種の人々は,総明さをそなえた真実の知識人とはなっていません。自分の知力を周囲の人々に印象づける事を心に抱いて振舞い,また話す見せかけの知識人は,他の人々を疲弊させる事が多く,むしろ反発心を起こさせる結果となるでしょう。しかし,これは,他から憎まれる「考える能力のある人」ではありません。うわべをよそおった知識人の場合には,むしろ,コリント前書 8章1節の言葉があてはまるでしょう。「知識は人を誇らせ」。

しかしながら,真に考える能力をそなえた人が憎まれるというのは,エホバの証者の場合によく見られます。エホバの証者は,理性に従って,神の目的を深く考察し,また神と共に歩みます。(ミカ 6:8)エホバの証者は,神のことばを学んで知識とし,またそれに従って行動し,今日の組織制度に歩調を合わせることを求めません。(ロマ 12:1,2)深く物事を考える人がキリストを模範とし,神のみこころに従うと,他から憎まれます。それは彼らがこの世の人々にならわないからであり,彼らがこの世ものでないことを考えれば,少しも不思議はありません。エホバの証者は,物事を熟考し,各自の持つ精神能力を活用し,神のことばの正義の原則にのっとって行動することにより,この世に属さぬことを示します。―ヨハネ 15:19。

箴言 17章17節の「考える能力」という表現は,もとより,悪意をもってなされる思考にもあてはまります。悪事をたくらむ者,あるいは,悪意を胸にいだく者は,他から憎まれます。それゆえ,「考える能力」という表現に付せられた二様の用い方は,いずれも可能です。しかし,理性を働かせ,神およびそのことばと目的について考える能力を十分に用い,かつエホバと共に歩くクリスチャンが,「悪しき者の配下にある」今日の世界から憎まれるという事実を見のがしてはなりません。―ヨハネ第一 5:19。イザヤ 30:20,21。

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