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なぜ寄付を集めないかものみの塔 1965 | 8月1日
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か。宮のさいせん箱にわずかな価値の硬貨2枚を入れたやもめのことを話した時,イエスはこの原則をたとえによって示されました。彼女はだれよりもたくさん入れました。人々はあり余る中から献金しましたが,彼女は「その乏しい中から,持っている生活費全部を入れたからである」。この原則はわずかしか与える事のできない人に大きな励みを与えます。神はそれを十分とみなし,同時に多く持つ人には多く与える事を励ますからです。このようにしてみなが分に応じて与える事になります。―コリント後 8:12。ルカ 21:1-4。
この点に関する聖書の他の原則は「神は喜んで施す人を愛」されるという事です。これは金銭の施しに限らず,私たちに罪を犯す人にゆるしを与える事をも含め,あらゆる種類の施しに適用される原則です。「慈善をする者は快く慈善をすべきである」。心からの施しは惜しみない施しです。―コリント後 9:7。ロマ 12:8。
エホバのクリスチャン証者は聖書の原則に従って施すため,彼らの法人組織である,ものみの塔協会は,全世界の伝道,宣教活動のため,毎年数百万ドルの経費を支払う事ができるのです。マタイ伝 24章14節の成就として御国のよいたよりが全世界に伝道される事を願う人は,御国会館にある寄附箱に入れるだけでなく,余裕に応じて支部事務所に寄附を送ることができます。わざを効果的に計画するため,協会は,定期的に寄附できる人にこれから1年間に大体どれ程の寄附をしたいと望まれるか年に一度,手紙で知らせて下さるようすすめています。そうしたからとて寄附の催促があるわけでなく,また実際に寄附したかどうか調べる事もありません。それは誓約書ではなく,単に「寄附の見込み」です。ただ手紙か葉書で一こと,これからの1年寄附したい旨を知らせて下さればよいのです。日本に住む人は東京都高輪局区内港区芝三田豊岡町1,ものみの塔聖書冊子協会宛に寄附の見込みを送る事ができます。
これは寄附の請求でもなく,また施す人に義務を負わせる事でもありません。寄附の見込みによって,協会はわざを効果的に計画する事ができるのに加え,それを支持したいと望む人は自分がどれくらい寄附できるかを考え,また使徒のすすめに従ってそれを実行して行くことができます。「各自は惜しむ心からでなく,また,しいられてでもなく,自ら心で決めたとおりに」,また,神と隣人への愛に動かされ,自分の事情がゆるす範囲でそうすべきです。そしてこの実際的な計画は聖書のすすめるところです。初期クリスチャンは次のようなさとしを受けました。「一週の初めの日ごとに,あなたがたはそれぞれ,いくらでも収入に応じて手もとにたくわえておき,わたしが着いた時になって初めて集めることのないようにしなさい」。寄附を集める事にパウロも賛成ではありませんでした。―コリント後 9:7。コリント前 16:2。
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集会の出席を認識するものみの塔 1965 | 8月1日
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集会の出席を認識する
◆ 昨年7月イランのテラン全衆の一伝道者は戸別伝道の際にアッシリア人の家族に出合いました。家族の中でかなりの興味を示したのは一人息子でした。御国奉仕の提案に従って「楽園」の本を配布してその場で研究を始めました。毎週の研究を約束したこの青年はものみの塔研究に出席し,組織と交わる招きを受けた時に問題に直面しました。日曜日は出勤日でありしかも仕事先が町から100キロもあるからです。しかし真理への理解が深まるにつれて,さらに進歩するために集会の出席が必要である事を悟りました。そこでその青年は仕事を都合して,毎週日曜日のものみの塔研究に出席するはっきりした取りきめを設けました。それから木曜日の集会に来はじめた彼は間もなく神権宣教学校にはいり,話しの割当てでよい進歩を示しました。いまでは定期的によいたよりを伝えるわざに参加しており,最近開かれた小さな巡回大会で浸礼希望者として立ち上った3人のうちの一人となった事は全衆にとって大きなよろこびでした。この事はみな1年以内に生じたのです。「御国奉仕」にある協会の提案に従い興味を持つ人を組織に導く事の大切さがよくこの例からもわかります。
― 1965年度エホバの証者の年鑑から
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