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  • エホバの業をエホバの方法で行なう
    ものみの塔 1979 | 2月1日
    • ていないでしょうか。そうではありません。わたしたちの堕落した心がいかに不信実であるかをよく知っていましたから,パウロは,「あなたがたの愛を偽善のないものとしなさい」と言っています。(ローマ 12:9)本当に正しい動機を持つ心から出たのではない愛を表現するのは容易なことです。だからこそパウロは,「偽善のない愛」による神の奉仕者のひとりとして自分を推薦することにしていたのです。(コリント第二 6:6)確かに,わたしたちの愛は,『清い心から出る愛』であることが必要であり,また使徒ペテロが言ったように,「偽善のない兄弟愛」でなければなりません。―テモテ第一 1:5。ペテロ第一 1:22。

      20 要約すれば,エホバの業をエホバの方法で行なうには,わたしたちにどんなことが求められますか。それはわたしたちにどんな結果をもたらしますか。

      20 エホバの業をエホバの方法で行なうことには,なんと広範な分野が含まれるのでしょう。エホバ神がわたしたちに求めておられるのは,わたしたちが自分の生活の中でそれを第一にし,賢明に,平和裏に,清い手と純粋の心をもってそれを行なうことです。そうするときにわたしたちは,今多くの喜びを得,近づきつつある新しい事物の体制においては,エホバ神の是認と終わりのない命を得ることができるのです。

  • 山上の垂訓 ―「求めつづけなさい」
    ものみの塔 1979 | 2月1日
    • 山上の垂訓 ―「求めつづけなさい」

      イエスは,仲間に不利な裁きをしないようにという諭しを聞き手に与えてから,次のように言われました。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます」― マタイ 7:7。a

      神のみ子は,これらの言葉を語られることにより,たゆまず祈るようご自分の弟子たちに勧められました。そうするための差し迫った必要があったのです。山上の垂訓がすでに明らかに示していた通り,神の目に義とみなされるのは,単に宗教的,また慈善的な行為をするというだけのことではありませんでした。(マタイ 5:20; 6:1)崇拝行為は,それが意味深いものであるためには,寛大さ,清さ,真実さ,愛など,心の正しい動機から出たものでなければなりません。(マタイ 5:22,27,28,33-37,43-48)これらの特質は罪深い人間の性向とは反対のものであるため,弟子たちは,真の崇拝の要求を満たす上で神の助けを定期的に求めることが必要でした。

      それゆえ,弟子たちは敬神の生活をする上での必要な力と知恵を『求めつづける』べきでした。(コリント第二 4:7。ペテロ第二 1:3)彼らは,隠された宝を探すように,それを『求めつづける』べきでした。(マタイ 13:44と比較してください。)弟子たちは,神の是認を得る者たちのために神が備えておられる祝福を確実に受けられるようにするため「たたきつづけ(なければ)」なりませんでした。―ルカ 13:24,25に注目してください。

      そうした祝福を熱心に祈り求め,祈りと一致して働く人は,イエスの次の言葉から励ましを得ることができます。「だれでも求めている者は受け,探している者は見いだし,まただれでもたたい

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