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理性を働かせることは平和への道ものみの塔 1962 | 6月1日
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23 迫害されて反対を受けるとき,クリスチャンは,どんな態度を取るべきですか。彼らはどんな助言に従うべきですか。
23 おそらく,理性的であることを示すことに対するいちばん豊かな報いは,私たちが逆境,反対そして迫害に苦しむとき,あるいは御国の良いたよりを教える宣教のわざが官憲によって禁ぜられている国々で伝道するときです。道理にかなった奉仕者は迫害のもたらされる理由を理解します。彼は積極的な,楽観的な見解を持つでしょう。クリスチャンは,そのようなものを期待すべきであることを彼は認識するでしょう。それは預言の成就です。それは多くの場合,迫害を加える者が正しく事情を知らないためです。それで,道理にかなった仕方で事態を検討し,迫害を加える者たちがまどわされていることを認識するとき,彼は迫害を加える者たちに対して復しゅう心,報復しようという気持ちをもたないでしょう。彼は,人々の心をくらまして,良いたよりの光を見させない者が悪魔であることを忘れません。したがって,クリスチャンは人間に対して戦うのではなく,またその武器は人間の武器,すなわち,報復心,きびしいこと,悪口雑言,そして肉の武器ではありません。(コリント後 4:4; 10:4,5。エペソ 6:11,12)クリスチャンは,聖書のロマ書 12章14,17,19-21節(新口)に述べられている行動について考えをめぐらすでしょう,「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して,のろってはならない。だれに対しても悪をもって悪に報いず,すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは,できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。愛する者たちよ。自分で復讐をしないで,むしろ,神の怒りに任せなさい。なぜなら,『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が復讐する』と書いてあるからである。むしろ,『もしあなたの敵が飢えるなら,彼に食わせ,かわくなら,彼に飲ませなさい。そうすることによって,あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである』。悪に負けてはいけない。かえって,善をもって悪に勝ちなさい」。
24 私たちは,どのように善でもって悪に打ち勝つことができますか。
24 悪事がなされても,あなたはけんかをしたり,腹を立てたり,嫌悪の気持ちを抱くべきではありません。たとえ,悪に対して悪を返す力を持っていても,あなたは善でもって悪に打ち勝ちなさい。預言者エリシャは,この良い手本を示しました。スリヤ軍の一隊が彼を捕えに来ましたが,エホバは彼を守るために彼らを一時のあいだめくらにしました。イスラエルの王は彼らをその場で殺そうと思いました。しかし,エリシャは彼の考えを矯正して,こう語りました,「撃ち殺してはならない。あなたはつるぎと弓をもって,捕虜にした者どもを撃ち殺すでしょうか。パンと水を彼らの前に供えて食い飲みさせ,その主君のもとへ行かせなさい」。これは,悪で報いたよりも,良い結果をもたらしました。記録は言葉をつけ加えています,「スリヤの略奪隊は再びイスラエルの地にこなかった」。―列王紀下 6:14-23,新口。
25 ペテロ前書 3章15節に述べられているペテロの助言に全く従うために,私たちはいま何をすることができますか。どんな希望をいだいて?
25 時には,探究心に富んだ善意者が親切な質問をする代りに,官職につく者が手きびしい要求をするかも知れません。そのような場合,次のことをするべきであると使徒ペテロは述べています,「あなたがたのうちにある望みについて説明をもとめる人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい。しかし,やさしく,慎み深く,明らかな良心をもって,弁明しなさい」。(ペテロ前 3:15,新口)いま神の御言葉を研究し,それに一致する奉仕活動によって,そのような事柄を前もって準備するのは,健全な考えと言えます。いまは行動すべき絶好の時です。聖書の示すところによると,サタン悪魔は近い将来に,神の民に最終的な攻撃を加えるでしょう。道理にかなう考えをするとき,私たちはいまこの世のものを十分に楽しむことができません。いまはクリスチャンの戦争の時です。この世の有様は変わっています。私たちには,栄光に輝く将来の新しい世の希望があります。このこと,およびその近いことを考えるとき,使徒の言葉はかつてないほどに今の時代にあてはまります,「望みをいだいて喜び,患難に耐え,常に祈りなさい」。―ロマ 12:12,新口。コリント前 7:29-31。
26 クリスチャンが道理にかなった行いをするとき,会衆にはどのように平和がもたらされますか。
26 したがって,理性を働かせることは,自分自身に平和をもたらすだけでなく,もっと大切なことはクリスチャン会衆に平和をもたらします。ロマ書 12章4,5節に述べられている密接な関係のゆえに,私たちの行為は会衆に影響します,「なぜなら,一つのからだにたくさんの肢体があるが,それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように,わたしたちも数は多いが,キリストにあって一つのからだであり,また各自は互に肢体だからである」。道理にかなった行動により,会衆はコリント前書 1章10節(新口)に述べられている完全な平和と一致を保つことができます。「さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって,あなたがたに勧める,みな語ることを一つにし,お互の間に分争がないようにし,同じ心,同じ思いになって,堅く結び合っていてほしい」。―コリント前 12:26,新口。
27 理性を働かすことは,どんな面で平和をもたらしますか。
27 道理にかなった行いの結果は,心の平和,神との平和,私たちの隣人との平和,私たちの奉仕における平和,でき得るかぎりクリスチャン信者でない者たちとの平和をもたらします。聖書は次のように命じています,「あなたがたは,できる限りすべての人と平和に過ごしなさい」。―ロマ 12:18,新口。
28 クリスチャンはだれをよろこばせることに努めますか。前途にはどんな見込みがありますか。
28 クリスチャンは,エホバ神をよろこばすことに努力します。箴言 16章7節に,その原則が述べられています,「ヱホバもし人の途を喜ばゞその人の敵をも之と和がしむべし」。私たちの理性の力をもってエホバの道に従うことにより,私たちは悪に打ち勝ちます。そのとき,善以外の何があるでしょうか。理性を働かすことは,上からの知恵の一部です。神の御言葉にみちびかれるとき,それは私たちを幸福な状態にみちびくでしょう。次の言葉を述べたパウロは,クリスチャンたちにその幸福な状態を希望しました,「最後に,兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば,愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう」。―コリント後 13:11,新口。ヤコブ 3:17。
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気おちした者へのなぐさめものみの塔 1962 | 6月1日
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気おちした者へのなぐさめ
「全く憂うつだ。どうしてこんなことがあるのだろう。私はいったい何をしたんだろう。他人を慰めながら自分が慰められないのはどうしたことだろう。許しがたい罪でも犯したのだろうか。私は神に捨てられたのだ!」。意外にも意気消沈した自分を発見したクリスチャンの口から,あなたはこういう訴えを聞くことがあるかも知れません。
意気消沈したときの気持ちはみじめです。しかし珍らしいことではありません。たとえば,一定の激しい勉強の期間が終りに近づいた時,円熟した監督が,突然憂うつな気分に捕われます。自分の責任を果たすために一生懸命働く中年の婦人が,悲しそうな顔をして落胆しています。会衆の熱心な監督が,多くの生きたすいせん状をもちながら,
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