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    ものみの塔 1954 | 5月1日
    • ものも罪人と叛逆者を処刑します。ロマ書 16章20節に予言されていますように,ヱホバこそサタンを打ち砕かれる方です。しかしそうするのに,彼は刑執行者としてキリスト・イエスを用います。このようにしてヘブル書 2章14節(新世)の成就がなされます。『その死を通して,死をひき起す手段を持つ者,すなわち悪魔を彼は亡ぼすためである。』

      サタンがハルマゲドンの時に千年間底の無い坑に入れられることは,キリストの千年統治の時と同時に起きるということについて,聖書ははつきりと確証しています。また,最後の試験をするためにサタンが解き放たれるのは,千年統治が終つて,キリストが御国政府をヱホバ神に渡されて後であるということもはつきり確証されていますが,しかしこの最後の試験が,ヱホバの7000年の休息の日に来るか,またはその後に来るかは現在では判りません。私たちは待つて,何時ハルマゲドンが終り,千年統治が始まるかを見なければなりません。その時になつて,千年の終りにある最後の試験が,7000年の日に関係しては何時頃来るかはつきりと判ります。アダムの時より6000年経たない前にハルマゲドンが終るならば,1000年統治は7000年の休息の日以前に終るでしよう。それですから,最後の試験は7000年の日の中に起るでしよう。しかし,このことについては明白に言うことはできません。7000年の日に関係して試験の期間が何時あるかということを間違いなく発表するには,ヱホバに待ちのぞみ,私たちが時の流れのどこにいるかということをヱホバから教えていただなけばなりません。

  • 街頭に立つて
    ものみの塔 1954 | 5月1日
    • 街頭に立つて

      この題の下に,新教徒<プロテスタント>監督教会の3月10日号の教会ニユースは次のような論説を発表しました。今,同教会の賛成を得て,ここに引用いたします。

      ※『大都市で最も賑やかな場所の何処にでも彼等は居る。ボストンの大会の時に,彼等は一番混んでいる街頭に立つて,忍耐強くそして,丁寧に『ものみの塔』を提供した。可成り多くの牧師が好奇心に駆られて,買い求め,後になつて読むためにポケツトに入れていた。

      ※ところで,ヱホバの証者達は旗に敬札せず,また戦争に行くよりは牢獄に行くので,人々からあまり好感を持たれていない。我々は十二分に理性があり,尊敬せらるべき者であるが,我々の傾向は彼等を我々の意識から追い払つてしまい,「それらの無法の者共」に非難を言い,そして,別のお茶を注ぐか,二番目のコツクテイル(外国の飲料)を入れることである。

      ※しかし,仮りに今『ものみの塔』を読むとしよう。そして,それらの『特別な者達』にとつてはどのようにこの世が見えるかを研究して見よう。彼等は,信仰の為に牢獄に行くことも,街頭に立つことも等しく喜んでするのである。先づ第一に,証者の宣明する救いにとつては,英語の知識は必要ではないということを知る。『ものみの塔』は40の他の言葉でも発行されている。それらの中には,インドネシヤ語,タガログ語,シロジ語,ツイ語,そしてヨルバ語(言語の名前を我々は書き記しているのではない)を含んでいる。これと同じことが新教徒監督教会の教会ニースに就いても言えることを我々は非常に強く望むものである。

      ※『ものみの塔』を読む時に,全記事に流れている感じを,どんな言葉が一番良く表現するだろうか? 恐らく,『緊急』という言葉であらう。ヱホバの証者はキリストは1914年に戻られ,目には見えないが,現在統治していることを信じている。又彼等は,我々は12時5分前に生存して居り,歴史の終局的な最高潮は明白に完成されつつあり,今の時か,それとも永久に機会を失うかのどちらかであると信じている。― すなはち,神を選び,義しき者の復活に与るか,あるいは神を否定し,あなたの存在を無くし,破滅に落ち入るかのどちらかである。

      ※ヱホバの証者は急いでいる。彼等は時が非常に短いことを信じている。又,各自がする決定は明白な「ハイ」か「イイエ」であり,「ハイ」は永遠の生命への言葉であり,「イイエ」は滅亡の案内言葉なることを信じている。

      ※彼等は他の者よりも正しいかも知れぬ。神の定められた予定の事柄に関して監督教会は干渉しないのであるから,キリスト再臨の時を我々は敢えて予言し得ないのである。しかし,キリストは再び戻るというキリストの約束を我々は持つている。個人に関する事について言うならば,現在の世の毎秒は証者達の言う通りに,永遠の緊急で満ちているのである。我々は今,此の日,此の瞬間を選んでいるのである。我々の大きな決定も,小さな決定も,最後の決定に合計されているのである。

      ※我々がこのことを骨身に徹するまでに,良く知るようになると,何か新しいことが地上の表面に見えるであろう。すなはち,監督教会の人達(牧師も一般信徒も)が手に冊子を持つて街頭に立つであろう。そして街路越しに,『ものみの塔』を提供している者を見,親しい挨拶を送るであろう。どんなに彼等が違つていようと彼等は緊急者に属する同胞兄弟の一員である。』

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