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目ざめよ! 1979
目79 8/8 12–13ページ

警察や裁判所は解決策となるか

家庭内暴力が広く見られるのを知っていることと,それに巻き込まれないようにすることとは別問題です。その背後にある原因の幾つかを知ることと,家庭内暴力に対処したり,自分の家庭でそれを未然に防いだりする方法を知っていることも,やはり別問題です。

暴力沙汰とは縁のない家庭で暮らしている人は,警察を呼べば解決するだろうとか,もし必要なら離婚すればよいと簡単に言うかもしれません。しかしそれほど簡単な問題なのでしょうか。

虐待された妻(や夫)の多くは,それと知りつつ,配偶者の残虐行為に目をつぶって一緒に居ることを選びます。なぜでしょうか。ある人にとって,それは子供たちのためです。暴力沙汰はあっても,崩壊した家庭よりはましだと考えるのです。性のパートナー,つまり相手を失い,一人で生きてゆかねばならなくなるのを恐れる人もいます。次に起きるであろう報復に対する恐れにしばられている人も少なくありません。残忍な仕打ちを受けた妻たちの中には,夫に対する愛を捨てかね,夫は変化するだろうとの希望に力付けられている人もいます。また,自分で生計を立ててはゆけないという心配にとりつかれている人も大勢います。

スーザンはその一例です。18歳の時に,アレックスと結婚しましたが,その後間もなく,アレックスの粗暴な面が表面に出てきました。スーザンはこう語っています。「あの人は私をこき使いました。アレックスは批判というものを受け入れることのできない人でした。特に飲んだときはだめです。それはほとんど毎晩のことです。あの人は,炊事,掃除,子供の世話,性の相手など,あの人の望む事柄を何であれ,あの人の望むときに行なうよう求めました。それは本当に刑務所の監房にいるような生活でした。……私が従わないと,あの人は私を殴って,傷付けたものです」。別れない理由ですか?「私は本当にあの人を愛していたのです。あの人が変わると思っていました。……後日,ようやく目が覚めて,あの人は決して変化しないということに気付いたときには,行く当てもなく,お金もありませんでした」。

たたかれた妻が警察を呼ぶことは珍しくありません。しかし,警察が来たところで,普通警官にできるのはせいぜいその時の争いをやめさせることぐらいです。20分かそこらで,家庭の根本的な状況を変えることなどどうしてできるでしょう。妻の打つ次の手は,裁判所へ行って,保護命令か和合保証を取り付けることです。虐待された婦人の多くは,そうすると脅しはしますが,実行しません。しかし,実行すれば,暴力を振るう夫は,『今度殴り付けたら,刑務所行きになりかねない』と考えて,ためらうこともあるようです。

そのような保護のための方法を試した後(あるいはそれを試さずに),配偶者にたたかれる人の中には裁判上の別居や離婚の申請を出す人もいます。オハイオ州クリーブランドで行なわれた調査によると,女性の36%は離婚を求める理由として身体上の虐待を挙げています。しかし,ニューヨーク市家庭裁判所の保護監察部長エイリーン・マック夫人は,暴力の絶えない結婚生活を送っている夫婦についてこう述べています。

「もし人々を裁判所へ追い立てているなら,それはその人たちに対する親切な行為ではない。解決策は家庭を崩壊させることにではなく,当事者同士に問題の話し合いをさせることにある」。

さらに,たたかれても,神の言葉は離婚をよしとしてはいないことを知っているクリスチャンの場合はどうですか。イエスは,聖書的に再婚の自由を当人に与える,離婚の唯一の根拠は配偶者の側の淫行(姦淫)である,と言われました。(マタイ 19:9。マラキ 2:10-16)また,使徒パウロは,未信者の配偶者を救うという希望を抱いてその下にとどまるようクリスチャンに勧めています。―コリント第一 7:12-16。

この助言は,残忍な行為や非情な怒りを神がきっぱり非としておられることと照らし合わせて比較考量できるでしょう。詩篇 11篇5節(新)はこう述べています。「暴虐を愛する者を,彼の魂は必ず憎みます」。聖書は,闘争や激発的な怒りや口論を,人を神の王国から締め出す,「肉の業」と呼んでいます。―ガラテア 5:19-21。マタイ 5:22。

それで,パウロが次のように記しているのは納得のゆくことです。「信者でない夫のいる女で,彼が妻とともに住むことを快く思っているなら,彼女は夫を去ってはなりません」。(コリント第一 7:13)妻たちはこう自問してきました。『夫が暴力を振るって自分の妻を虐待することは,夫が妻と共に住むのを「快く」思っている証拠だろうか』,と。そのような目に遭ったクリスチャンの中には,そうではない,との結論を出した人もいます。そして,聖書的に再婚の自由がないことを承知の上で,裁判上の別居や離婚に踏み切って保護を求めました。

代案があるか

前述の通り,配偶者に虐待された人の中には,その配偶者と別れないでいるやむを得ない理由があると考えている人がいます。特に幼い子供がいる場合に,暴力を振るう未信者の夫のいるクリスチャンの妻は,裁判上の別居や離婚を求めることをためらってきました。そうした妻たちは,命を与える聖書の真理を子供に教える機会を失わないようにすることに関心を抱いていました。ですから,家庭内暴力に対処する別の方法があるか,というもっともな質問が起こります。これは,夫婦双方が暴力に訴えてきた,どの結婚生活にも当てはまる質問です。変化をもたらし,暴力を克服することができますか。

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