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  • 『世からの汚点のない状態』にとどまりなさい

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  • 『世からの汚点のない状態』にとどまりなさい
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1984
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1984
塔84 10/1 14–19ページ

『世からの汚点のない状態』にとどまりなさい

「わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです」― ヤコブ 1:27。

1,2 清い崇拝に求められる事柄にはどんなものがありますか。

エホバは清い崇拝を求めておられます。(ヨハネ 4:23,24)とりわけ,汚れのない宗教は,困窮している人々に対する積極的で愛ある関心を促進します。(ガラテア 2:10)そうした崇拝には,世,つまり神から離反し,「邪悪な者[悪魔サタン]の配下にある」不義の人間社会から汚点のない状態に自分自身を保つことも求められます。―ヨハネ第一 5:19。

2 弟子ヤコブは,「わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです」と書き,こう続けました。「すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです」。別の訳は次のようになっています。「わたしたちの父なる神の目に清くて,損なわれていない宗教はこうです。すなわち,困っているときに孤児ややもめを助けに行き,世に汚されないよう自分を守ることです」― ヤコブ 1:27,エルサレム聖書。

3 今わたしたちはどんな質問を考慮しますか。

3 ではエホバの僕であるわたしたちは,どのようにすれば「世に汚されないよう」自分を守ることができますか。世の社会問題,教育上の取り決め,事業の進め方,レクリエーション活動などの問題について聖書はどのような見解を示しているでしょうか。

『世に汚されないよう守る』

4 ヨハネ 17章14節およびイザヤ 2章2-4節は,わたしたちとこの世との関係について何を示していますか。

4 エホバの証人であるわたしたちは「世のものではない」ので,わたしたちは不義の人間社会とは異なっていなければなりません。(ヨハネ 17:14)そのために一つには,世の政治問題に関して中立を保つことが求められます。世の暴力行為に巻き込まれることも避けなければならず,『その剣をすきの刃に打ち変えた』者として平和を追い求めなければなりません。―イザヤ 2:2-4。

5 (イ)コリント第一 6章9-11節,(ロ)エフェソス 5章3-5節は,この世に汚されない状態にとどまるため,どのような行動を取るべきであることを示していますか。

5 この世に汚されない状態にとどまることを願う民として,わたしたちは世の人々の間ではごく一般化していても,神の言葉とは調和しない話し方や行ないや態度を避けなければなりません。例えば,わたしたちの生活の中では,憎しみ,貪欲さ,恥ずべき行ない,卑わいな冗談などの占めるふさわしい場所はありません。(コリント第一 6:9-11。エフェソス 5:3-5)わたしたちの行動と態度が世の人々のそれと異なっていても驚くには当たりません。彼らはクリスチャンの希望を持っていないからです。

この世の秩序のための時は短い

6 コリント第一 7章29-31節を考え,エホバの証人は結婚生活,所有物,他の地的な事柄をどのようにみなすべきですか。

6 使徒パウロはこのように書きました。「時は短くなっています。これからは,妻を持っている者は持っていないかのように,嘆く者は嘆いていない者のように,喜びに満ちあふれている者は歓ばない者のように,買う者は所有者ではないかのように,世を利用した者はそれを用いない者のように振る舞いなさい。なぜなら,現在の世の秩序は過ぎ去りつつあるからです」。(コリント第一 7:29-31,現代語聖書)この聖句は,クリスチャンである夫は結婚に関する責務を果たさなければならないとはいえ,結婚生活を人生のすべてとすべきではないということを示しています。霊によって生み出されたクリスチャンは死に際して,地的な親族,喜び,悲しみ,所有物など,すべてを永久に後にします。現在でさえ,天的希望を抱いていようと地的希望を抱いていようと,クリスチャンは妻や物質上の所有物を失うかもしれません。加えて,「大患難」の時に保護されるのは,物質上の所有物ではなく命です。(マタイ 24:21。伝道の書 9:11)したがって,今日のエホバの証人はだれも,結婚生活,所有物,他の地上の物事を生活の中で第一にしてはなりません。むしろクリスチャンはすべてエホバ神との良い関係を築くことを最高に重要なこととすべきです。わたしたちは「終わりの日」に生きており,「現在の世の秩序は過ぎ去りつつある」ので特にこのことは真実です。―テモテ第二 3:1。

7 一経済学者によると,教育の向上,収入の増大,その他の進歩に伴って,何も多くなりましたか。

7 多くの人は,「現在の世の秩序」の将来を憂慮しています。例えば,ジャーナリストのナンシー・ブラウンは,経済学者のエズラ・ミシャムが教育の向上と収入の増大に関して述べた次のような言葉を引用しています。「[それは]社会の向上をもたらさなかった。科学,教育,製品の進歩に伴って,社会には暴力,非行,軽犯罪,蛮行,殺人と自殺,卑俗な行為,わいせつ行為が多く見られるようになった」。この新聞記事の冒頭の表現は実に意味深いものです。「神の介入がなければ,世界の自滅を救うことはできない」― 1982年3月25日付タイムズ・コロニスト紙,カナダ,ブリティッシュコロンビア州ビクトリア市で発行。

8 わたしたちがこの世からできる限り得てはならないのはなぜですか。

8 エホバが地球を創造されたのは,不義の人間社会がそこを占拠するためではなく,義にかなった完全な人間がそこに住むためでした。(イザヤ 45:18。詩編 37:29,38)ですから神は,人類が自滅するのを許されません。とはいえ,この古い世の秩序が間もなく完全に過ぎ去ることに疑問の余地はありません。ですから,エホバの献身した僕たちは世を「十分に」用いるべきではないのです。あるいは別の翻訳が述べているように,「世を用いる際,それからできる限り得ようとしてはなりません。この世の現在の形態は過ぎ去りつつあるからです」― コリント第一 7:31,現代語による新約聖書,ウィリアム・F・ベック訳。

この世を全く用いてはならないか

9 (イ)エホバの民はどの程度までこの世を正しく用いることができますか。(ロ)マタイ 6章31-33節およびテモテ第一 6章7,8節を考慮し,わたしたちは物質的なものに対しどんな態度を取るべきですか。

9 では,献身したエホバの証人として,わたしたちがこの世から何かを得るのは正しいことでしょうか。正しいことです。パウロは,わたしたちが世を用いることはできても,それを十分に用いることはできないと指摘したのです。したがって,わたしたちの聖書的な責務を果たすこと,および王国の音信を宣べ伝える業に関係した合法的な世の備えを用いることができます。(テモテ第一 5:8; 6:17-19)とはいえ,わたしたちは『世からの汚点のない状態』にとどまることを願う以上,世の論争,デモ行進,冷たい戦争や熱い戦争,およびそれらに類する事柄に関係することをよしとするわけにはゆきません。秘密裏にであっても一方の側を他方より高めてはなりません。生計を立てることや物質的な豊かさに必要以上の関心を抱くべきでもありません。イエスはこう言われたからです。「思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。これらはみな,諸国民がしきりに追い求めているものなのです。あなた方の天の父は,あなた方がこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです。ですから,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなた方に加えられるのです」。しかもイエスは,ご自分の宣べ伝えた事柄を実践されました。きつねには穴があり,鳥にはねぐらがあるのに,イエスには頭を横たえる場所がなかったからです。それでわたしたちも,『王国を第一に求めつつ』,命を支える物と身を覆う物とで満足したいものです。―マタイ 6:31-33。ルカ 9:58。テモテ第一 6:7,8。

10 教育に関するどんな質問は祈りのうちに考慮するだけの価値がありますか。あなたなら,それらの質問にどのように答えますか。

10 では,世の経歴についてはどうですか。この世がわたしたちの時代のうちに過ぎ去ることを考えると,ひたすら出世のために人生を送るような計画を立てるのは道理にかなったことでしょうか。(マタイ 24:34)そのようなことは決してありません。そして,このような見方は確かに世の教育に対するわたしたちの態度に影響を与えるのではないでしょうか。基礎教育は必要ですが,高等教育を施す学校に行きながら,そこに行き渡っている世の考えの波にのまれないようにするのは不可能に近いと言えます。もちろん教育に関しては本人が決定を下さなければなりません。(ガラテア 6:5)しかし,次のような質問は祈りのうちに考慮するだけの価値があります。大学で過ごす年月の間,学生たちは『王国とエホバの義を第一に求め続ける』こともできているだろうか,彼らは真の信仰をむしばむ理論や哲学の影響を全く受けないでいるだろうか。(コロサイ 2:8)世の仲間たちは彼らに良い影響を及ぼしてきただろうか,それとも霊的に害を及ぼしてきただろうか。(コリント第一 15:33)高等教育を受けた多くの人は本当に謙遜さを保ってきただろうか。―フィリピ 2:2,3。

11 受けている教育がどんな性質のものであろうと,動機を試すためのどんな助けがここに与えられていますか。

11 この問題に関して言えば,職業学校に通う人々で,ある職業に熱中するあまり,エホバへの奉仕にもはや多くの時間を費やせなくなってしまう人がいます。ですから,受ける教育がどんな性質のものであろうと,多くのことが本人の動機に依存しています。独立と富に対する願望が主要な要因ですか。その教育は,エホバへの奉仕を大きく削り取るような結果を招きますか。それとも神聖な奉仕に携わる上で支えになるようなものですか。クリスチャンは世からの汚点のない状態にとどまる義務を負っているのに,あなたは実際にはこの事物の体制における自分のための安住の地を得ようとしていますか。それとも,本当に王国の関心事を一心に生活の中で第一にし続けていますか。

12 高等教育を受けたある人々は何に動かされて王国の真理を受け入れましたか。

12 高等教育を受けた人が王国の真理を受け入れることにわたしたちは喜びを覚えますが,彼らがそうしたのはその高等教育のゆえではありませんでした。むしろ彼らは,高等教育があっても,神を持たず確かな希望もなかったために人生が無意味であることを悟るようになったのです。今や彼らは,『多くの賢い者,強力な者,高貴な生まれの者』が神の是認を受けていないことをわきまえています。(コリント第一 1:26-31)それでも,彼ら自身としてはエホバの証人としてついに人生の真の目的を見いだしたことを喜んでいます。

「生活のためのもうけ仕事」

13 テモテ第二 2章3,4節は事業の追求と献身したクリスチャンについて何を示唆していますか。

13 わたしたちはこの世に汚されない状態にとどまりたいので,事業の追求に対してどんな態度を取るべきでしょうか。使徒パウロはテモテにこう告げました。「キリスト・イエスのりっぱな兵士として,苦しみを共にしてください。兵士として仕えている者はだれも,生活のためのもうけ仕事などにかかわりません。自分を兵士として募った者の是認を得ようとするからです」。(テモテ第二 2:3,4)クリスチャンはまじめに働いて,自分と自分の家族のための必需品を備えなければなりません。しかし,献身したクリスチャンが,主に奉仕者としてよりも事業の経営者として語られるなら,それはおかしなことではないでしょうか。何よりもまずその人は王国宣明者として,また「キリスト・イエスのりっぱな兵士」として知られるべきではありませんか。

14 ヘブライ 13章18節をわたしたちの事業の進め方にどのように適用できますか。

14 したがって事業に携わる状況においては,さまざまな方法で自己吟味をすることが必要です。その一つとして,わたしたちが世の利己的な人々と接触しているとしても,その事実は,彼らの抜け目のない不正直な習慣や悪い言葉を取り入れてもよい理由にはなりません。むしろわたしたちは,「すべてのことにおいて正直に行動」しなければなりません。(ヘブライ 13:18)なるほど,この世の無感覚なビジネスマンから返礼としての良い扱いを受けることはないかもしれませんが,わたしたちの正直な歩みをエホバが祝福してくださることを確信でき,これこそわたしたちが「救い主なる神の教えを飾る」ことのできる一つの方法なのです。―テトス 2:9,10。

15 個人的な投機的事業に関し,どんな聖書的な諭しが与えられていますか。

15 この世に汚されない状態にとどまることを願う者として,わたしたちは『すべての人,ことに信仰において結ばれている人たちに対して,良いことを行なう』べきです。(ガラテア 6:10)しかし,神の民の中の友人を利用し,彼らから利益を上げるために利己的に何らかの個人的な投機的事業を推し進める人は,この聖句にかなった行ないをしていません。もとよりクリスチャンは『賢い者として歩む』べきです。(エフェソス 5:15)兄弟と呼ばれるだれかが一獲千金をねらう計画を持ってわたしたちのところに来ても,安々と話に乗り,金銭を手放したりしてはなりません。わたしたちの霊的な兄弟であると唱えながら,エホバの「羊」を不当に利用しようとする人々に対し,神の組織が時折,警告を与えてきたことにはもっともな理由があるのです。

あらゆる点で,世的なものを避ける

16 わたしたちが『世からの汚点のない状態』にとどまっていることを示す方法として,どんなものがありますか。

16 もちろん,どのような点でエホバの証人が「世から汚点のない状態」にとどまっているか,そのすべてを挙げることはできませんが,言うまでもなく,アルコール飲料に過度にふけること,極度に対抗心をあおる,あるいは暴力的なスポーツに熱中すること,暴力団員や殺人者や他の不道徳な人物が主役を演ずる映画やテレビ番組を見るために時間を費やすこと,どこを開いても性が強調されている本を読むこと,暴力的なテレビ・ゲームをすることはこの世からの汚点のない状態にとどまる方法ではありません。(コリント第一 6:9,10; 15:33。ガラテア 5:19-26。ペテロ第一 4:3)エホバはご自分の証人たちが,この世の不節制,不道徳,暴力などを避けるように期待しておられます。ですからわたしたちは,世の邪悪な事柄に関する知識や経験を求めるのではなく,「悪に関しては[無邪気な]みどりご」であるべきです。―コリント第一 14:20。ヨハネ第一 3:2,3と比較してください。

17 わたしたちが世からの汚点のない状態でいることは,他の人との関係にどんな影響を及ぼすはずですか。

17 この世からの汚点のない状態を保つことはわたしたちの生活のあらゆる面に及び,他の人との関係も確かにそこに含まれます。苦々しいねたみ,闘争心,自慢すること,偽りを語ることなどはこの世ではごく一般化していますが,わたしたちの間では占めるべき場などありません。ヤコブが次のように書いているからです。「あなた方の中で知恵と理解力のある人はだれですか。その人は,知恵に伴う温和さをもって,自分のりっぱな行状の中からその業を示しなさい。しかし,あなた方が心の中に苦々しいねたみや闘争心を抱いているなら,真理に逆らって自慢したり偽ったりしてはなりません。それは上から下る知恵ではなく,地的,動物的,悪霊的なものです。ねたみや闘争心のあるところには,無秩序やあらゆるいとうべきものがあるからです」。(ヤコブ 3:13-16)「知恵に伴う温和さ」を示し,『すべての人に対して平和を追い求める』のは何と重要なことでしょう!(ヘブライ 12:14)確かに,エホバの忠節な証人としてわたしたちは,単なる個人的な意見の相違ゆえに,信仰にあるわたしたちの兄弟姉妹たちとの関係を損なうことはできません。むしろ,『互いに忍び,エホバが惜しみなく許してくださったように互いに惜しみなく許し合う』べきです。(コロサイ 3:13)これは,他の人と接する際のこの世の一般的な方法ではありませんが,間違いなく敬虔な道です。

18 わたしたちが世から離れていることは,わたしたちが何を行なう時にひときわ明らかになりますか。

18 クリスチャン会衆内外の人々に対して平和を追い求めるのは,わたしたちがこの世から汚点のない状態にあることを示す一つの重要な方法です。しかし,わたしたちが世から離れていることは,神からの霊的な武具を完全に身にまとい,『平和の良いたよりの装備を足にはく』イエス・キリストの勇敢な兵士としての立場を保つ時,ひときわ明らかになります。(エフェソス 6:11-18)命を与える王国の音信を渇望している人はまだ大勢います。ですから,この体制が終わるまでなお残されている短い時の間,「良いたより」をふれ告げる壮大な業に無私の態度でわたしたちの所有物や能力や力を用いたいものです。―マタイ 24:14。

19 矢のように過ぎてゆくこの終わりの時代にあって,わたしたちはサタンが何を行なうことを予期できますか。しかし,わたしたちは神の助けを得て,何を首尾よく行ないますか。

19 矢のように過ぎてゆくこの終わりの時代に,この世の神であるサタンはエホバの忠節な証人であるわたしたちにさらに猛攻撃を仕掛けてくるでしょう。わたしたちの神への神聖な奉仕からわたしたちを引き離すための死力を尽した努力の一環として,悪魔は世の物質的な富や華やかな魅力,高等教育にとどまらず,さらに多くのものをも誇示するでしょう。しかし,わたしたちは信頼できる神からの助けを得て,「世から汚点のない状態」に首尾よくとどまり,わたしたちの聖なる神エホバに賛美をもたらします。

どのように答えますか

□ ヤコブ 1章27節によれば,真の崇拝に求められる事柄にはどんなものがありますか

□ この世に汚されないよう守る方法にはどんなものがありますか

□ この世が過ぎ去りつつあるという事実は,高等教育に対するわたしたちの見方にどんな影響を及ぼし得ると考えられますか

□ 事業の進め方に関し,どんな点における自己吟味が必要ですか

□ エホバの証人は,自分たちの行ないと他の人との関係について『世からの汚点のない状態』にあることをどのように示せますか

[15ページの図版]

エホバの証人はクリスチャンの中立の立場ゆえに,世の暴力行為を退ける

[16ページの図版]

神からの是認をもたらすのは,この世での出世ではない

[18ページの図版]

エホバは,ご自分の証人たちが,この世の不節制,不道徳,暴力行為から汚点のない状態にとどまるよう期待しておられる

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