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イエスのどんな点に異議が唱えられたか目ざめよ! 1983 | 6月22日
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の間に広く行き渡っていた期待を反映したものにすぎませんでした。
ですから,1世紀のユダヤ人には,苦しみに遭ったり死んでいったりするメシアという後代の概念は明らかにありませんでした。事実,ユダヤ人の学者ヨセフ・クラウスナーは,「死に処せられることになるメシアという概念全体は……ユダヤ人にとって……理解しかねるものであった」と結論付けています。イエスがメシアであると信じた少数のユダヤ人たちでさえ,イエスが苦しみに遭ったり死に処せられたりすることを予期してはいませんでした。―マタイ 16:21,22。
ですから,イエスの教えに引き寄せられていたような人々も,イエスがローマ政府を打倒せず,王としてイスラエルを支配することもなく,それどころかそのローマ政府によって死に処せられたという事実に心を乱されていたに違いありません。クラウスナーは,「十字架に掛けられたイエスは,存命中のイエスに従ってきた人々の大半にとって失望となった」と説明しています。初期のキリスト教の宣教者タルソスのパウロが,「杭につけられたキリスト……これは,ユダヤ人にとってはつまずきのもとで(す)」と述べたのももっともなことです。―コリント第一 1:23。
ところが,イエスの生涯とユダヤ人の期待との間にはっきりとした違いがあったにもかかわらず,当時生きていたユダヤ人のうち幾千人もの人々がイエスはメシアであると信じるようになったのです。それにはどんな理由があったのでしょうか。
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メシアは苦しみに遭い,死ぬことになっていたのか目ざめよ! 1983 | 6月22日
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メシアは苦しみに遭い,死ぬことになっていたのか
既に見てきたように,1世紀のユダヤ人が期待していた指導者とは,ローマ政府を打倒し,イスラエルにユダヤ人の王国を設立して神からの平和と祝福の時代をもたらす人でした。ナザレのイエスは結局そうしたことを成し遂げなかったので,ユダヤ国民はイエスをメシアとして受け入れようとしませんでした。
しかし,イエスの教えに引き付けられたユダヤ人の中には,イエスの死後もイエスがメシアであったと信じ続けた人が少なくありませんでした。
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