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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 7/1 413–415ページ

読者からの質問

● 「ものみの塔」を読みはじめて数か月になりますが,助言を頂きたいと思います。最近わたしは,聖書から見て正当と思われる根拠に基づく離婚の訴訟をおこしました。離婚が最終的に決まらないうちに,以前の配偶者以外の異性と“デート”をしたり,あるいはその関心をひくことに努めるのは,聖書から見て間違っていますか。―アメリカの一読者より

まず離婚に関して聖書の述べる事柄をはっきり心にとめておくほうが良いでしょう。神のことばによれば,再婚を許す離婚の唯一の根拠は配偶者の姦淫です。(マタイ 19:9)配偶者が姦淫を犯した疑いが濃いというだけで離婚できるとは,イエスは述べていません。配偶者の告白あるいは正しくない環境の下でひとりの異性と一晩をすごした証拠など,姦淫の確かな証拠がなければなりません。―箴言 5:8-11。

姦淫の証拠がなくて得られた法律上の離婚は,法律的には婚姻関係を解消するかもしれませんが,神の目から見て再婚の自由を与えるものではありません。(マルコ 10:9)配偶者の姦淫の証拠なしに法律上の離婚をした人の場合,再婚はエホバの目から見て姦淫を犯すに等しいことです。次のようにしるされています。「だれでも[姦淫の証拠なしに],自分の妻を出して他の女をめとる者は,その妻に対して姦淫を行うのである。また妻が,その夫と別れて他の男にとつぐならば,姦淫を行うのである」― マルコ 10:11,12。マタイ 19:9とくらべてください。

さて法的に離婚する聖書的な根拠が実際にあるものとしましょう。離婚が最終的に確定しないうちは,だれかほかの人と“デート”したり,“求愛”したりする自由は,その人にはありません。その人はなお結婚している者です。離婚の法律は土地によって異なります。ある国また州においては,離婚の当事者は直ちに完全に,また法律的に自由となります。他の場所では,6か月を経ないと離婚の効力は発生しません。さらには一時的すなわち中間の判決が下されてから,たとえば1年というかなりの期間を経ないと,離婚が確定しない土地もあります。

ある州で行なわれているこの最後の型について,法律の本に次のように出ています。「離婚を許すべきであると法廷が判断するならば,裁判ののちに中間判決が下される……これは1年間,有効であり,その期間中,当事者双方はなお夫婦である……最終判決によって当事者双方は独身者の立場をとりもどす」。このようにある期間が定められているのは,できるものなら和解の成立を促すためです。和解が不可能であれば,最終判決があって初めて当事者は法律的に自由となります。

この質問をされたかたのような場合,離婚はまだ確定しておらず,したがって当事者双方はまだ婚姻関係によって結ばれています。そして法廷は和解可能性があるかどうかを見るため,時を与えているわけです。それでこのような立場の人が,望むままに,“求婚”して結婚できる独身者のようにふるまう自由を持たないことは明白です。そのようなことをすれば,法的にも聖書的にも災いを招くだけです。(ヘブル 13:4)離婚が最終的に確定し,法律上,必要な場合には最終判決がおりてはじめて,人は独身者として行動する自由を得,再婚する自由を得ます。

この事情の下にあり,かつ神の是認を得ることを行ないたいと望む人は,現在の結婚を法律的また聖書的に解消してのちに再婚を望む場合,結婚についてエホバが教えていられることを心にとめるとよいでしょう。神がそのしもべに対して命ぜられたことばによれば,真の崇拝者は,神のことばの真理に一致してエホバを崇拝していない人との婚姻に同意してはなりません。(申命 7:3。ネヘミヤ 10:30)不信者との結婚は,イスラエルのソロモン王の場合のように神の不興を招く結果になることがあります。(列王上 11:4,9)神のことばは,真のクリスチャンが「ただ主にある者にのみ」,すなわち真のクリスチャンとのみ結婚すべきであると述べています。(コリント第一 7:39)そのため,結婚を目ざしての交際は限られても,それは神がまもなく地上に設けられる楽園に確実にはいるのを助けることになり,したがって永続する益となります。

ひきつづき聖書と聖書的な出版物を学ぶ時,人はエホバのみこころを知り,その証人たちとともに神に喜ばれる奉仕をする道を学ぶことができます。この質問をされたかたは今なお結婚している人であり,独身のだれかに対して愛情をいだくことのないように,どんな誘惑にも抵抗する必要があります。そして最終的に離婚してのち,もし再婚を望むならば,エホバに忠実に奉仕する配偶者を求めることが是非とも必要です。そのような道は天の祝福を得ます。―箴言 10:22。

● 姦淫を犯した婦人が悔い改め,自分の交わるクリスチャン会衆の委員に罪を告白して悔い改めを示したならば,罪を夫に告白する必要がありますか。―アメリカの一読者より。

夫がクリスチャンであると否とを問わず,それは必要であると同時に賢明なことです。

姦淫が神から罪されることを,クリスチャンはよく知っています。(申命 5:18。コリント第一 6:9,10)あえてそれにふける者は,エホバの民の清い会衆内で容赦されません。道徳的に汚れたこのような人は,会衆内の人々を保護するためにも,妨げを受けることなく神の霊が会衆に働くためにも,会衆から排斥されるべきであると,聖書は命じています。―コリント第一 5:5,9-13。

しかしこれは真のクリスチャンであると公言するすべての人がいつでも神の正義の要求を完全に守るという意味ではありません。そのことを望んでも,判断をあやまったため,あるいは肉の弱さのために由々しい罪を犯すことがあります。(ローマ 7:21-23)たとえば会衆内の一婦人が誘惑に負けて姦淫を犯した場合,この悲しむべき罪に対して心を深く刺されなければなりません。しかし罪の許しを得,また援助を受けるために何をしなければなりませんか。

最も大切なのは,使徒ペテロが当時のユダヤ人に告げているように,悔い改めによって神の許しを得ることです。「だから,自分の罪をぬぐい去っていただくために,悔い改めて本心に立ちかえりなさい」。(使行 3:19)このような罪をふたたび犯さないことを決意し,また再犯を促すようなものを一切避けることを決心しなければなりません。祈りによって罪を神に告白することも必要です。心から告白し,悔い改めるクリスチャンはエホバの許しを得るという事実は,わたしたちの心を強めます。―ヨハネ第一 1:9。

大きな罪を犯した者は,神に告白するのに加えてもう一つのことをしなければなりません。聖書はそのことを教えており,ヤコブの手紙 5章13節-16節には次のように述べられています。「その人は,教会の長老たちを招き……祈ってもらうがよい……その人が罪を犯していたなら,それもゆるされる。だから,互に罪を告白し合い,また,いやされるようにお互のために祈りなさい」。今日エホバの証人の各会衆には3人の円熟したクリスチャンから成る委員会がおかれ,罪を犯しても心から悔い改めた人を助け,あるいは罪をならわしにして罪を悔い改めず,神の許しを得ない人が会衆の道徳的な清さをおびやかす時,そのような人を排斥する責任を委ねられています。

しかし神に祈り,会衆を代表する人々のもとに行く,それがなすべきことのすべてですか。この例のような場合には,会衆にかわって行動する霊的に古い人々のもとに行く前にすべきことがあります。姦淫の罪は婦人の夫とも関係があります。彼女は夫に貞節を誓いました。彼女と性関係を持つ権利は夫だけのものであり,この権利が侵害されています。箴言 5章15,18節は,婚姻の分を自分の井戸の水にたとえ,結婚している人は自分の配偶者から清い性関係という結婚の分を受ける権利を有することを示しています。この“水”は姦淫によって汚されてはなりません。もし汚されたならば無実の配偶者はそのことを知るべきです。そのうえ,姦淫を犯すならば,尊ばれるべき婚姻の床が汚されます。―ヘブル 13:4。

罪を犯した配偶者は,夫がどんな反応を示すか,また許すかどうかを恐れて告白することをためらうかもしれません。しかしそれは姦淫という結果を招いた事態に陥る前に考えるべきことだったのです。

会衆の司法委員に悔い改めを告白する意図が彼女にあれば,委員は悔い改めの証拠を得ようとするでしょう。たとえば真に悔い改めているなら,罪を犯した相手のことを隠さないはずです。その者も会衆の一部であれば,委員は神の前における会衆の良い立場を保つため,その方向にも問題を追求します。しかしこの場合,無実の配偶者に罪を告白して助けを求めることは,その婦人が心から悔い改めていることを示す別の証拠となります。罪を犯した者がこのようにして謙遜さを示し,また自分の罪に対して責任を負うことをしないならば,ほんとうに悔い改めているとは言えないでしょう。

献身したクリスチャンが,姦淫を犯すに至った事態にみずから陥ったとすれば,それは彼女が援助や監督を必要としている証拠です。会衆内の円熟したしもべたちは彼女を霊的に援助する備えを設け,彼女の霊の思いを強め,クリスチャンとして生きる力を強めるように努めます。(ガラテヤ 6:1)しかし夫は彼女と一体であり,また一緒に生活しているゆえに,彼女に明らかに必要な援助,励ましを与え,また監督する適任者です。夫は,罪を犯した相手の者との交際を避けるように彼女を援助できます。(創世 2:24)たとえ信者でなくても,夫は彼女が誘惑に抵抗し,あやまちをふたたび犯すような状態から遠ざかっているようにおそらく援助できます。

ゆえに配偶者の許しと援助を求めることは賢明であり,また悔い改めを示す道です。そしてこれは,罪を犯した者が妻であっても夫であっても言えることです。またこれは神およびクリスチャン会衆と自分との関係を正しくするために必要なことでもあります。

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