有害な欲望に気をつけなさい
あなたは,賢明な道を歩み,正しいことを行ないたいとお考えですか。「もちろん,そうです」とお答えになるでしょう。では,神のことばである聖書の助言を無視するわけにはいきません。聖書は,現代とは無関係の,時代遅れの本であるどころか,それが書き始められた3500年ほど昔の時代と同様,20世紀後半の現代の生活にもあてはまります。
たとえば,使徒パウロは,預言者モーセの時代のイスラエル民族の愚行にわたしたちの注意をひいて,賢明な警告を与えています。「これらの出来事は,わたしたちに対する警告であって,彼らが悪をむさぼったように,わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである」。現在はたしかに,人々が史上かつてないほど悪をほしいままにする時代です。―コリント第一 10:6-10。
人間にとって有害なものは少なくありませんが,そのひとつとして喫煙があげられます。ニューヨーク州の衛生局長イングラハム博士によると,タバコは,「人の命をとる非常に危険なもの」です。「小銃弾や細菌やビールスが危険だといっても,タバコほど多くのアメリカ人を殺しているものはない」。英国やイタリアが,テレビによるたばこの宣伝を禁じたり,米国政府が,国内で販売されるたばこの箱全部に,「警告: 喫煙はあなたの健康にとって危険かもしれません」という注意書を入れさせているのも不思議ではありません。にもかかわらず,1966年のアメリカにおけるタバコの出荷量は,前年を2.2パーセント上回り,総量5225億本,18歳以上のアメリカ人一人当たりの数量は年間平均4296本でした。―1967年2月28日のニューヨーク・タイムス紙。
人々がしだいに多く使用するようになっているもうひとつの有害物は,「ハルシノジン」と呼ばれる幻覚剤です。ダナ・L・ファーンズワース博士は,この幻覚剤についてつぎのように報告しています。「ハルシノジン患者を扱うわれわれの日々の経験からして,この麻薬が人の精神〔性格〕をそこない,生涯の無能者にしてしまうほどの力を有することには,疑問の余地がない」。1967年4月27日のニューヨーク・デーリー・ニュース紙にのせられた,LSD服用者2人の青年にかんする記事は,ファーンズワース博士の言葉が正しいことを証明しています。そのうちのひとりである,ハンサムな19歳の青年は,「鏡を見ると,自分の顔が無数に見える」と言っています。判事が州立精神病院に入れるように指示したときその青年は半ば無意識で,ベッドにくくりつけられていました。もうひとりは,21歳で,テキサス大学の優秀な学生でした。判事は,彼を90日間精神病院に入院させるよう命じました。
また,相手を選ばぬ性行為も有害です。そういう自由は,強烈な快楽を約束してくれるように思えるかもしれませんが,しばしば,強い欲求不満,痛恨,性病などにつながっています。婚前交渉にも,人々がもはやまゆをひそめなくなったスウェーデンは,性病の増加の世界一早い国で,過去10年間に3倍になり,患者の52パーセントは15歳から19歳までの若者です。私生児出生率は12パーセントで,他の国,たとえばカナダの3倍です。そして20歳以下の花嫁の92パーセントは,結婚のときにすでに妊娠しています。
こういうまちがいをするのは若い人だけではありません。相手を選ばぬ性行為は非常にはびこっており,英国国教会の監督や大監督の集会の席上で英国の副監督のひとりは,「諸君のうち,生涯一度も妻以外の女性に欲望を感じなかった人がいるだろうか」とさえ語っています。しかし,危険なまねにうつつをぬかす人は,自分自身,自分の愛する者たち,そして他の人々を傷つける,道ならぬ事に深入りするようになるかもしれません。
欲しい物,たとえば自動車なども,未熟な若者に与えるならば有害物となる恐れがあります。それは,致命的な自動車事故を起こすティーンエィジャーが,割合から言って,25歳以上のドライバーの2倍であることからもわかります。その典型的な例は,1967年4月9日の真夜中,ニューヨーク市外で死んだ5人のティーンエィジャーです。5人とも別々の家庭の子どもでした。彼らは踏切まで汽車と競争し,しゃ断機が下りているのにそれをよけて通ろうとさえしました。興奮やスリルを味わうために自動車を使えば,自動車は危険な道具になります。
悪をほしいままにすることは,危険をおかすだけの価値のない勝負と言えます。それなのに,なぜ多くの人はそうするのですか。人間の最初の両親の罪のせいです。ノアの時代の洪水直後,創造者であるエホバ神は,「人が心に図ることは,幼い時から悪いからである」と自ら述べていられます。この罪を受け継いでいるために,人間には,利己的に快楽を求める傾向があります。そしてそれらを支配する神のおきてに当然の注意を払おうとしません。創造者はある目的をもって人間に命を与えられました。それは快楽を追求することだけではありませんでした。したがって,悪をほしいままにすることは,まちがいであると同時に愚かなことです。自分が傷つけば必ず他人に影響をおよぼすからです。―創世 8:21。マルコ 12:31。
ではどうすれば,悪をほしいままにしないよう注意できますか。神のことばを勉強することです。しかもこれは三つの面で助けになります。第一に,悪をむさぼれば神の怒りを引き起こす,という聖書の警告を信ずることができます。「わたしたちは主よりも強いのだろうか」― コリント第一 10:22,5。
第二に,神のことばは,どんな事が有害で,人を傷つけるかを示し,たとえ不道徳なことでなくても,それを愚かなこととして避けるように教えています。それで,その律法や原則,歴史的記録をとおして,わたしたちは教育を受けます。霊感を受けた詩篇記者は,ずっと昔つぎのように書きました。「あなたのみ言葉はわが足のともしび,わが道の光です」― 詩 119:105。
そして第三に,聖書は,よき良心と永遠の生命の希望をもたらす善,真実,また,まじめに働くというような健全な事柄,健全な家庭生活,神の崇拝などの価値を人の心に銘記させて,悪事に注意するようわたしたちを助けてくれます。そして「信心があって足ることを知るのは」現在でも大きな利得であることを教えてくれます。こうしたことはすべて,わたしたちが悪をほしいままにしてはならない理由であり,またわたしたちがそうしないための助けです。―テモテ第一 6:6。伝道 9:7-9。ローマ 6:23。