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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 9/1 515–516ページ

他の人を自分よりも先にする

「わたしが先だ。一番はわたしだ」。このとおりのことを言わないまでも,これは今日の人々によく見られる態度です。たいてい,若い時から相手をしのぐ,つまり,仲間をだしぬくことが勧められており,自分のほうが他の人よりすぐれていると教えられることさえ,しばしばあるのです。

しかし,考えてみてください。より望ましい,より良い友となるのは,どちらの人ですか。いつも一番重要な者であろうとして,自分のやり方を主張する人ですか。それとも,他の人を自分よりも先にする,思いやりのある人ですか。

このことを理解する助けとして,よくある経験の一つを考えてみましょう。たとえば,ふたりの人がほとんど同時にドアに近づき,一方の人が荒々しく先がけし,ドアを押して通る場合,先がけして行く人をあなたはどう思いますか。その人の人柄をやや低く評価するのが普通ではありませんか。他の人を自分よりも先にすることを考える,思いやりのある人のほうが望ましい友であることは,言うまでもありません。

日常の会話でも,他の人を先にする習慣を身につけることができます。すべての人がそうしているわけではありません。他の人の話に口をはさんだり,会話をひとりじめにしようとしたりする人をよく見かけます。しかし,無理に聞かせようとするかわりに,他の人の意見を歓迎,もしくは求めさえして,人の話に注意深く耳を傾ける人のほうが,はるかに望ましいと言わねばなりません。

一般に公開される大会などで,普通の座席,あるいは望ましい座席が限られている場合,他の人を自分よりも先にする機会があります。座席をゆずって,年老いた人を自分よりも先にする光景は,なんとうるわしいものでしょう。

クリスチャンは,神のみことば聖書のすぐれた助言を受けていますから,他の人を自分よりも先にして,互いにそうした思いやりを示す動機づけが与えられています。クリスチャンは,愛とは,「己の利を求め」ないものであることを思い起こします。また,聖書は,「おのおの自分自身の益ではなく,他の人の益を求めつづけるべきである」とのすぐれた助言を述べています。―コリント前 13:5; 10:24,新。

とは言っても,クリスチャンは自分自身の事柄をなおざりにする,あるいは顧みないという意味ではありません。クリスチャンには,顧みなければならない個人的な事柄があります。たとえば,自分自身の霊的な事柄,また,結婚しているなら,自分の家族の霊的な事柄を顧みなければなりません。―マタイ 5:3。

しかしそれとともに,「他の人の益を求め(る)」という聖書の原則に従う人は,他の人を自分よりも先にすることを考えるでしょう。こうした態度は家族の中でも表わせます。たとえば,夫はある場所に行って休暇を過ごしたいと考えていますが,妻は別の場所に行きたいと願っているような場合,夫は,かしらの地位をたてにして,物事をいつも自分本意に決めようと思えば,そうすることもできます。(コリント前 11:3)一方,愛の心から,時には妻の希望をいれて,妻の考えを自分のそれよりも先にすることができるでしょう。そうすれば,妻はどんなにか喜んで応ずるでしょう。

同様に,めんどうな問題が起きたり,聖書の原則が犯されたりするおそれがなければ,クリスチャンの監督は,クリスチャンの兄弟たちの希望や願いを自分のそれよりも先にして,兄弟たちの愛と支持を得ることができるでしょう。監督はいつでも最もすぐれた人でなければならないとか,自分自身のやり方を通さねばならないというわけではありません。神に従う主要な監督,イエス・キリストは,ご自分の追随者たちの足を洗うことさえして,彼らをご自分よりも先にし,謙そんという事柄を追随者に銘記させました。―ヨハネ 13:5。

今日のクリスチャンは賢明にも,そうした謙そんな心の態度を示しています。ある時,社交的な集まりに出席していた,エホバの証人の円熟したクリスチャンの一監督が,そうした態度を表わしました。その立場から見て,テーブルの上席に監督がすわるものと考えられていましたが,彼は,自分よりも年配の献身した別のクリスチャンにその座をすすめ,相手が断わるまもなく,テーブルの別の席についたのです。(レビ 19:32)他の人を自分よりも先にする,そのふるまいは,まわりで見ていた人々にとって,たいへん快いものでした。もとより,監督が,主要な,あるいは第一の席につくようにとの勧めに応ずるのがふさわしい場合のあることは言うまでもありません。

クリスチャンの監督,また,神との友好関係を得たいと願う人はみな,有名な族長アブラハムが,ある時に示した模範から益をくみ取れるでしょう。アブラハムとその年下のおいであるロトは,事情があって,おのおのの羊の大群を引き連れて,別れることになりました。アブラハムがその事態をどう処理したかに注目してください。彼はロトに言いました。「なんぢもし左にゆかば我右にゆかん またなんぢ右にゆかば我左にゆかん」― 創世 13:9。

年長者で,かしらだったアブラハムには当然,優先権,つまり土地を最初に選ぶ権利がありました。しかし,彼は自分の希望を第一にしませんでした。それどころか,自分の目下の者に優先権をゆずったのです。謙そん,また,他の人に対する思いやりのなんとすぐれた模範でしょう。

この世界では先がけしたり,最も重要な者になろうとしたりするのは,あたりまえのことです。しかし,他の人を自分よりも先にしようとする態度が,いっそう望ましいのは明らかなことです。それは弱さのしるしではなく,真の謙そんの証拠です。それは,イエス・キリストやアブラハムその他の,神を恐れる人々の模範に見習うことなのです。他の人を自分よりも先にすることを習慣にすれば,すぐれた益が得られるでしょう。

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