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前途のわざに備えて奉仕を強化するものみの塔 1972 | 1月15日
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現体制に残された時間はわずかですが,エホバの証人にはなすべきことがたくさんあります。現体制にあてた『壁の上の手書きの文字』を見ている思慮ある人々,また王国の良いたよりを聞く必要のある人々がたくさんいます。「神のお名前」大会の準備をした人々は,取引きをした実業家たちが一般に,「過去におけるように商売一点張り」でなくなってきている,という印象を受けました。「実業界には将来性がない」という意見を述べた人もいました。キリスト教世界の諸教会が衰退しつつあることに気づいている人も少なくありません。エゼキエルの預言が示すように,そうした人々がキリスト教世界の崩壊を生き残るには,それら諸教会を捨てねばならない,という聖書の警告を伝えてあげねばなりません。
シンシナチのある会衆の監督は,大会の終了にさいして,出席者の一般の気持ちをよく言い表わしました。その人はエゼキエルの預言を鮮明に心にとめていたらしく,次のように言いました。『キリスト教世界は,啓示された真理に従って変化することをがんこに拒絶して倒れるのです。しかしエホバの証人の社会は,エホバの道に一致するよう再調整を行なうので成長し,そして永遠に栄えるのです。「神のお名前」大会は長く記憶に残ることでしょう』。
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おさな子のようになるべき時ものみの塔 1972 | 1月15日
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おさな子のようになるべき時
おさなごのようになりたいと願う人がいますか。十分に成長し,円熟した状態こそ最も望ましいものではありませんか。たしかにそのとおりです。次のようにしるした使徒パウロが指摘したとおりです。「われ童子の時は語ることも童子のごとく,思ふことも童子の如く,論ずる事も童子の如くなりしが,人と成りては童子のことを棄てたり」。―コリント前 13:11。
身体,精神また感情面での円熟は有益かつ肝要ですが,それよりもなおいっそう重要な別の種類の円熟があります。それは霊的な成熟,すなわち霊的な円熟です。この面で円熟している人はものごとの正邪を区別できます。また霊的に円熟していれば,クリスチャンは矛盾する教えや誘惑,また圧力に面しても確固とした態度を保てます。霊的に円熟している人は,「目を覚し,堅く信仰に立ち,雄々しく,かつ剛」くなれます。―コリント前 16:13,新。ヘブル 5:14。
霊的な円熟はクリスチャンにとってきわめて肝要であるため,クリスチャンには次のような命令が与えられています。『知恵においては子供となるな。知恵においては成人となれ』。(コリント前 14:20,新)確かにイエス・キリストは,『或人を使徒とし 或人を預言者とし,或人を伝道者とし,或人を牧〔者〕・教師として与へ給へり。これ聖徒を全うして職を行はせ,キリストの体を建て,我等をして全き人に至らせ』,不安定で容易に食い物にされる『幼童ならぬためなり』。―エペソ 4:11-14,〔新〕。
しかしそれでも,聖書はある点で子ども,またおさなごのようであることがたいへん望ましいことも示しています。どんな点で,またそうした点に関して子どものようであることはなぜ肝要なのですか。
悪についてはおさなごとなる
おさなごのようになることを聖書がクリスチャンに勧めている場合の一つは,悪に関するものです。たとえば「知恵においては子供となるな」と書いた使徒パウロは続いて,『悪においては幼児となれ』と述べています。―コリント前 14:20。
このことには疑問の余地がありません。悪はクリスチャンが経験する必要のない,また経験してみたいと考えてはならない事柄です。人をだましたり,偽善者を演じたり,性の不道徳や倒錯で人に知られ
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