ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • わたしたちは「人をすなどる者」ですか
    王国宣教 1980 | 7月
    • しれません。旅行先で,または帰省した折に,あるいはもっと計画的にそうした区域で奉仕することができますか。

      6 上記の未割当て区域一覧表と共に送られた1980年4月1日付の手紙がみなさんの会衆でも読まれたことでしょう。それによれば,夏の何か月かの間,自費でこれらの区域に出かけ,宣べ伝える業を行なうことを願う開拓者,家族または会衆は,会衆の奉仕委員を通してその希望を協会に伝え,承認を求めることができます。すでに大勢のみなさんから申込みをいただいています。今からでも計画できる方があれば,わたしたちは喜んでそのお申し出を考慮したいと思います。

      7 多くのみなさんは,この夏,短い期間こうした町村の一つを訪れたついでに,その一部で家から家の証言をしたいと思っておられるかもしれません。前もって簡単な知らせをいただければ,喜んでそのことを承認したいと思います。もしかしたら,前述のような割当てを受けた人たちがすでにその区域で働いているかもしれません。もしそうであれば,そうした人たちと連絡が取れるように便宜をはかりたいと思います。一方,こうした区域にいる肉親や知人をだれかに訪問してもらいたいと思われる方は,その人の住所氏名を協会に知らせることができます。もしその町か村にだれかが割り当てられているなら,喜んで転送いたしましょう。未割当てである場合には,それらの再訪問依頼を将来のために保管しておくことができます。また,会衆によっては,これら未割当て区域をもらい受け,一年に何度か計画的に網らしたいと希望しているところもあるでしょう。よい見込みがあれば喜んでそのようなお申し出を考慮したいと思います。

      8 現代の「漁」全体の責任を担っておられる方は,漁獲を得るためにどれほどの労苦が必要かを知っておられるという点を思いに留めておくのはよいことです。その方はすなどる業に参加するわたしたちをいつもほめ,報いてくださいます。すなどる業のために定期的な時間を取り,魚を得ようと求め続ける時,わたしたち各自は自分の努力に対しエホバの導きと祝福を必ずや期待できることでしょう。

  • 『雄々しくありなさい』!
    王国宣教 1980 | 7月
    • 『雄々しくありなさい』!

      1 人々の家やその他の場所で人々に話しかけると,その家の男の人が,宗教のことは妻がやっている,と言うことが少なくありません。教会の出席者も今日では大半が男性ではなく女性によって占められているようです。しかし,エホバの証人の間では,男子が重要な役割を果たしています。聖書は,家族および会衆の霊的な益を顧みる責任を男性に課しているからです。―コリント第一 16:13。

      2 このように,男子が家族の霊的福祉に関心を払い,宗教活動において率先すると,それはしばしば他の人々の注目するところとなります。聖書研究をしたり集会に出席したりして男の人たちがわたしたちと交わるようになり,バプテスマ,さらには円熟へと進歩するのを見る時,わたしたちは喜びます。彼らをわたしたちの仲間に持つのは本当に喜びです。そして,彼らがさらに進歩を遂げ,会衆内の羊のような人たちを霊的に援助することに一役買うようになるのをわたしたちは楽しみにします。

      3 会衆内の長老たちは確かに重い責任を担っています。自分と家族を顧みるにとどまらず,他の人々が霊的に必要としているものにも関心を向けなければならないのです。他の人たちの問題を取り扱い,聖書からの助言を与えようと夜遅くまで腐心することも珍しくありません。長老たちは,聖書のどこを見れば正しい導きが得られるかを知っていなければならず,問題を愛のある親切な仕方で扱う方法も心得ていなくてはなりません。こうした兄弟たちは,会衆内のすべての人から深く感謝されています。

      4 自分の家族を顧みる点で,兄弟たちは大きな,また重要な任務を授かっています。時々その任務は,子供たちが集会に出席する務めやクリスチャンの正しい良心を培う務めに消極的な態度を取ればなおのこと,割の悪い任務に思えることがあるかもしれません。ある父親の例が思い出されますが,その人はある時期,子供たちにほとんど完全に自由を与え,霊的な人格を培う面で何も求めませんでした。その後,その人は何かをしなければならないことを悟りました。十代の二人の息子が述べるように,その人は子供たちに聖書をまじめに勉強するようにと言いつけ,「断固としてゆずりませんでした」。最初のうち,それは容易なことではありませんでした。しかし,子供たちによれば,「父のき然とした,愛をこめた声の調子から,わたしたちは父が聖書の知識に関して真剣な気持ちを抱いていることを理解できました」。これらの子供たちは知識において成長を遂げ,次のように語っています。「わたしたちはエホバに献身し,バプテスマを受け,すぐに開拓奉仕を始めました。それ以来9年がたちましたが,わたしたちは父がわたしたちに対して『断固としてゆずらなかった』ことをくやしく思ったことは一度もありません」。聖書の原則を適用したことが報いをもたらし,子供たちのうちに感謝の念を持たせたのを見て,その父親がどれほど感謝したかを想像できますか。

      5 多くの若い兄弟たちが霊的に良い進歩を遂げ,一層大きな責任を目ざしている人たちもいるのを見るのはうれしいことです。会衆内で役立つ奉仕をしている人々もいれば,奉仕のしもべや長老として任命を受けた人たちもいます。しかし,すべての人は兄弟たちおよび家族の成員の益のために働こうと努めているのです。現在の世の大多数の人と同じようになって,宗教のことを婦人たちにまかせるかわりに,これらわたしたちの兄弟たちは,「忠実で思慮深い奴隷」級にとって,ゆだねられた主の関心事を世話してゆく上で大きな助けとなっています。わたしたち皆が彼らの愛の労苦から益を受けられるよう,エホバがこれからも彼らを祝福し,まだ残されている時の間に彼らの数を増し加えてくださいますように。

  • もう試してみましたか
    王国宣教 1980 | 7月
    • もう試してみましたか

      1 家から家で,またその他の場所で行なうわたしたちの宣べ伝える業の目的は,人々と意思を通わせることです。できれば会話を始めて,わたしたちが人々のために携えている王国の音信になんとかして関心を起こさせたいとわたしたちは願います。そうすることはいつもそれほどやさしいわけではありません。

      2 わたしたちの助けとして,4月以来,「目ざめよ!」誌には「考えてみたことがありますか……」という記事が,会話を励ますことを意図した質問を伴って載せられています。過去数か月の間に,次のような質問がありました。「神が愛であるなら,なぜ悪を許しておられるのですか」。「エネルギー危機に真の解決策はありますか」。「家族の一致は何によって保てますか」。「わたしには真の友が何人いるだろうか」。「生活費が上がらなくなる時は来るのでしょうか」。

      3 これらの質問は,多くの人々が喜んで話し合いに応じるものであると思われませんか。主題の質問を述べてから最初の節の全部か一部を読む方法を試してみたことはおありですか。最初の節は大抵短いもので,家の人の注意を引くように工夫された内容になっています。それにより,会話を始めるのが容易になります。また,最初の節のあとにある肉太活字の質問をそのまま使えば,家の人に考えを述べるよう促すことができます。こうすれば,会話は証人だけが話をする一方的なものとはなりません。

      4 7月の特別号にはこの記事が載っていませんが,これは将来まだまだ続きます。例えば,8月8日号では,「十二宮図は信頼できる導きですか」という質問が扱われます。今日の人々は信頼の置ける導きを求めています。この質問は優れた会話への道を開き,聖書が手に入るものの中で最も優れた導きであることを示すのを可能にしてくれるでしょう。

      5 雑誌のこの記事を活用すれば,多くの人々と生き生きした会話を始めることができるでしょう。わたしたちは,それを試してみない限り,それがどれほどうまくゆくかを知ることは決してできません。あなたはもう試してごらんになりましたか。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする