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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1961
塔61 3/1 141–146ページ

楽園外の結婚

1 エデンの外で結婚生活がつづけられたことは,どんな結果をもたらしましたか。アダムのどの息子の子孫が,ノアの日の大洪水に生きのこりましたか。

追い出された夫婦アダムとエバはエデンの楽園外で結婚生活をつづけました。そのときから,それが平和にみちる結婚でなかったことはたしかです。両人はのろわれた地で罪を持つ子供たちを産みはじめました。子供たちは生まれたときから死にゆく状態でした。アダムは「男子と女子の父になった」。(創世 4:1; 5:4,新世)時たつ中に,新しい結婚が行なわれました。成熟したアダムの息子たちは,成熟したアダムの娘たちと結婚しました。それで,アダムとエバの長男であるカインは,後になって「その妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ」と記録されています。聖書の中にはカインからの6代が記録されています。カイン自身は,「エデンの東,ノドの地に」住みました。(創世 4:16-24,新口)カインの弟はセツでした。今日の人間家族はセツの子孫であって,カインの子孫はみなノアの日の大洪水で滅んでしまいました。セツの子孫の中には,預言者エノクと箱舟を建てたノアがいました。8人の人々は,その箱舟の中にいて,あの全世界的な洪水に生きのこりました。―ペテロ前 3:20。ペテロ後 2:5。

2 誰が一夫多妻主義を紹介しましたか。不従順な「神の子たち」は,どのように人間の結婚にはいりましたか。

2 洪水前のノアの日について,イエス・キリスト自身は次のように述べています,「ノアが箱舟にはいる日まで,人々は食い,飲み,めとり,とつぎなどしていた」。(マタイ 24:38,新口)それらの結婚がどのように行なわれたかについては,聖書は述べていません。一夫多妻主義は,悪人カインの子孫レメクによって紹介されました。なぜなら,レメクはふたりの妻をめとったからです。(創世 4:19-24)その洪水前のノアの日に,天からの「神の子たち」は,化肉して地上にあらわれ,「人の娘たちのうち」の美しい者と結婚しました。これら不従順な「神の子たち」は,「自分の好む者を妻にめとって」その欲情をみたしたと伝えられています。彼らはネピリムと呼ばれる混血の子供たちを産ませました。ネピリムは,「昔の勇士であり,有名な人々であった」。欲情に駆られたこれらの「神の子」たちが,めいめい幾人の妻を選んだか,あるいは彼らが正しく結婚していた美貌の女をその正当な夫からひきはなしたかどうかについては,聖書は述べていません。―創世 6:1-4。

3 一夫多妻主義者たちは,ノアの日の大洪水でどのような目に会いましたか。人間家族は,どんな種類の結婚にしたがうことによって,生きのこり復興された楽園にはいりますか。

3 ひとつのことはたしかです。その大洪水によって,一夫多妻主義者どもはひとりのこらず滅ぼされました。なぜなら,生きのこったノアとその3人の息子たちは,めいめいひとりの妻だけと結婚していたからです。この悪い世の「終りの時」は,ノアの日のときのようであるとイエス・キリストは言われました。それで,二重結婚者や一夫多妻者たちは,ひとりもこの悪い世の終りに生きのこることもできず,また神の御国の支配する楽園に生活することができないと私たちは知ります。したがって,人間家族はひとりの妻だけと結婚していたひとりの人から始まりました。人間家族は,ひとりの妻だけと結婚していたひとりの人および,一夫一婦主義の息子たちによって大洪水のときに保護されました。人間家族は,一夫一婦主義にかたくつき従う敬虔な男と女および子供たちによって,この「いまの悪い組織制度」の終りを生きのこります。一夫一婦主義とは,ひとりの女がひとりの男に結婚していることです。

4 神はノアの日の大洪水の生存者たちの子孫の結婚を是認したと,どのように示しましたか。それで,ハルマゲドンを生きのこると期待している人々をして,自分たちの関係をしらべさせるものは何ですか。

4 そのノアの日の大洪水の直後に,エホバ神はノアとその3人の息子を祝福して,エデンの楽園内でアダムとエバを祝福したときに言われたごとく,彼らにこう言われました,「生めよ,ふえよ,地に満ちよ」。それで,神は彼らの子孫の結婚をも認可して次のように言われました,「あなたがたは,生めよ,ふえよ,地に群がり,地の上にふえよ」。(創世 9:1-7,新口)それから4300年以上もたっている今日,地は人間でいっぱいになり,人口過剰になっていると人々は考えます。しかし,ハルマゲドンの宇宙戦争でこの悪い組織制度が滅ぼされるとき,ちょうどノアの日の大洪水のときと同じように,地上の人口は激減します。それで,神の御国の支配下にある約束された地的な楽園内での結婚生活を楽しみたいと期待して神に献身している人はみな,それぞれの関係をいま良心的に調べています。彼らは,道徳,結婚そして離婚については,これらの関係を神の御言葉の規則と標準に一致させたいと望んでいます。

5 (イ)結婚の習慣と標準については,この「終りの時」にいる私たちにたいする大きな問題は何ですか。(ロ)神がむかし許したいくらかの結婚の習慣は,いまでも標準になりますか。

5 今日,全地にある結婚の習慣と標準は,ことなります。いろいろの国々で,人間のつくった法律はそれらを許可するでしょう。しかし,この危険な「終りの時」における大きな問題は,エホバ神の現在の律法はこれらを是認するか,ということです。この「終りの時」であるいま適用する神の結婚の律法は何ですか。キリスト前の幾世紀ものあいだ,神の選んだしもべたちのなかに神は特定な結婚の習慣を認めて,規定しました。しかし,今日ではそのような習慣を,いま神をよろこばしたいとのぞむ夫婦の標準にすることはできません。それで,しらべてみましょう。

6 アブラハムの妻サラは,その長い不妊にたいして,どのように代償しようとしましたか。神は,今日そのような行いを是認しますか。

6 ノアの日の大洪水から400年たって後,エホバの友であった家長アブラハムは,ひとりの妻サラと結婚していました。彼が85歳で,サラが75歳のとき,サラは不妊のため両人には子供がありませんでした。サラは養子を得ようと決定しました。このため,彼女はエジプト人の仕女ハガルをアブラハムに与えて交接させ,望んでいた息子をはらませました。ハガルは,イシマエルという名の男の子を産みました。サラはこの子を養子にしました。次の15年間,アブラハムが第2の妻としてのハガルと関係をむすんだということを示す記録はありせん。しかし,子供を得るために,そのようにして妻の不妊を補うこと,あるいは現在行なわれている人工受精をすることは,神によっていま認められていません。神はイシマエルを祝福して,彼の子孫をふやすと約束しましたが,神はこの養子をアブラハムの相続者にしませんでした。サラ自身が相続者の母親にならねばなりません。

7 (イ)神は,すえについての神の祝福を息子に伝えるため,アブラハムにとって第二の妻が必要でなかったことをどのように示しましたか。(ロ)多くの国々で第二の妻を持つ習慣は,今日の神のしもべたちがこの行いをすることを正当化しますか。

7 幾年かたって後に,全能の神はアブラハムとサラの生殖力を回復させて,アブラハムのために奇跡的にサラにひとりの男の子を生ませました。そのときサラは90歳で,彼は100歳でした。男の子の相続者を得るために,アブラハムには第二の妻を持つ必要がなかったのです。地上の全家族を祝福するすえについての神のけいやくに関する約束は,この男の子の相続者に伝えられるのです。それから幾年か後,第二の妻のハガルとその息子イシマエルを家庭から追い出すようにとサラは強く要求しました。神はこのことを認め,アブラハムは神の示した御こころにしたがい,ハガルとイシマエルを出してしまい,二度と再びもどらせなかったのです。(創世 16:1から21:21。ガラテヤ 4:22-31)今日,エホバ神は御自分のしもべたちが第二の妻を持つことを是認しません。たとえ,多くの国々で人が正妻以外に第二の妻の女たちを持つことが認められ,許されていても,エホバ神は是認しません。

8 (イ)アブラハムの息子イサクは,結婚については誰の模範にしたがいましたか。(ロ)それでイサクは,どんな事実を表わし示しましたか。

8 サラの独り子イサクは,ひとりの妻だけを持ちました。彼はエデンの楽園内で示された神の模範に従いました。また,大洪水に生き残った者たちであるノアとその3人の子たちの示した模範にも従いました。イサクの妻リベカは双子のヤコブとエサウを産む前の20年間は不妊でしたが,それにもかかわらずイサクはそれらの模範に従ったのです。(創世 25:19-26)このことにおいてイサクは神の目的を良く果たしました。すなわち神の御子イエス・キリストが,ただひとりの霊的な花嫁を持つことを表わしたのです。その霊的な花嫁とは,キリストの足跡に従う14万4000人の忠実な弟子たちで構成される神の真のクリスチャン会衆であって,神はそれらの者を御自分の霊的な子供たちとして養子にします。(ガラテヤ 4:28-31)使徒パウロは,これらの神の子供たちに手紙を書きおくりました。彼はキリストについての真理を伝えたコリント在住のクリスチャンにこう語っています,「わたしは神の熱情をもって,あなたがたを熱愛している。あなたがたを,きよいおとめとして,ただひとりの男子キリストにささげるために,婚約させたのである」。―コリント後 11:2,新口。

一時にひとり以上の妻を持つ

9 (イ)ヤコブは叔父のラバンから妻を得るどんな取りきめをしましたか。(ロ)ヤコブがラケルに深い愛を持ったことは,どんな罪に対する保護となりましたか。

9 イサクの双子のうち,ヤコブは神によって選ばれた者です。彼は,神の「女」のすえによって地の全家族を祝福するため,アブラハムになされた神の約束をいただきました。ヤコブは自分の父イサクにならって,ひとりだけの妻,すなわち叔父ラバンの娘ラケルを得たいとのぞみました。ヤコブはラバンの親族でしたが,ただでラケルをもらったのではありません。それでヤコブはラバンにこう言いました,「わたしは,あなたの妹娘ラケルのために七年あなたに仕えましょう」。これが承諾されたのでヤコブはラケルのために7年はたらきました。「彼女を愛したので,ただ数日のように思われた」。ヤコブは彼女を熱愛したので時の長いことなど気づかぬ間に,時間が経ってしまっただけでなく,むしろ彼はラケルを非常に愛したので,7年間の重労働も,彼女のような貴重な娘のために払うには安い価であると考えたのです。ラケルに深い愛をいだいたことによって,彼は不道徳から身をまもることができました。ラケルとの7年の婚約期間中,彼女が純潔を保ったのと同じく,彼も童貞を保ちました。彼は結婚したとき,道徳的に清い者でありたいとのぞんだのです。

10 この面において,ヤコブは今日のクリスチャンにたいして,どのように手本になりましたか。

10 この点においてヤコブは,今日のクリスチャンに対する模範でした。いまクリスチャンと称する人々のうち,いったい幾人の人は,7年の牧羊の仕事あるいは他の重労働という花嫁料をよろこんで払おうとしますか。しかも,そのような花嫁料を安いと考えるでしょうか。その中のいったい幾人の人は,結婚配偶者に汚れのない清い身をささげるため,この7年の婚約期間中,童貞を保つ,つまり独身の状態を保つだけの道徳力を持つでしょうか。その婚約期間が7年よりずっとすくない場合でも,献身しているすべてのクリスチャンは,ヤコブの行なったように婚約を尊重して良い道徳を保たねばなりません。

11 (イ)7年の仕事が終わったとき,ヤコブはどんな目的をいだいて,叔父のラバンにラケルをもらいたいとたのみましたか。(ロ)結婚においては,ヤコブの双子の兄エサウは,両親とアブラハムの契約に尊敬をいだかなかったことをどのように示しましたか。

11 その婚約期間が終ったとき,ヤコブは年老いた叔父ラバンにこう言いました,「期日が満ちたから,わたしの妻を与えて,妻の所にはいらせてください」。(創世 29:18-21,新口)ヤコブはラケルを自分の妻に求める権利を持ちました。それは,彼女と夫婦のちぎりを楽しむだけでなく,彼自身の独立した家庭をもうけて家族をつくりたかったからです。彼はすでに84歳であり,しかもアブラハムの約束をうけつぐ相続者でもありました。そのときまでにはヤコブの双子の兄エサウは44年間結婚していました。エサウは,野生的な人,冒険心に富む猟師で,欲情に駆られる人でした。エサウはエホバ神をおそれ,アブラハムの契約を尊重した両親ののぞみに反して,その地のふたりの不信者の女たち,ふたりのヘテ人と結婚しました。「彼女たちは」両親である「イサクとリベカにとって心の痛みとなった」。たしかに,エサウは自分自身の選択と行動により一夫多妻主義者になりました。彼は77歳のとき,いとこにあたるイシマエルの娘を第3番目の妻にめとりました。(創世 26:34,35; 28:8,9)これは,彼の双子の弟ヤコブが,アブラハムとイサクの神であるエホバに信仰を持っていたラケルを得るためにその花嫁料をかせぎ始めたときです。

12,13 ヤコブは自分ののぞみに反して,どのように一夫多妻主義者になりましたか。

12 ヤコブは意識的に一夫多妻主義者になって自分の兄をまねたわけではありません。一夫多妻主義はヤコブのもともとの計画ではなかったのです。彼がのぞんだただひとりの女はラケルでした。しかし,その結婚式の夜,ラバンはラケルの姉レアを妻としてヤコブに与えました。レアは厚いベールをかけていたので,彼女であることが分かりませんでした。翌朝,ヤコブは,ラケルではなくレアと関係をむすんだことを知りました。

13 なぜラバンは義理の息子をこのようにだましたのですか。なぜなら,レアはラケルより年上であり,彼女の父ラバンは,長女よりさきに妹娘を嫁がせるのは土地の習慣でないと論じました。ラバンは,レアとともに仕女ジルパをも与えてレアに仕えさせ,もし適策と思える場合には,第二の妻にならせるようにしました。しかし,ヤコブはただひとつの真実の愛を持ちつづけ,なおもラケルをのぞみました。それでラバンは,ラケルのための花嫁料としてもう7年働くようにとヤコブに提案しました。ヤコブは同意しました。

14 いつヤコブはラケルを妻としてもらいましたか。このような環境のもとにあって,ヤコブが一夫多妻主義を行なったことをエホバ神は是認されましたか,あるいは非とされましたか。神はそのことをどう示しましたか。

14 1週間つづいたヤコブとラケルの結婚の祝いが終ったとき,ラバンはラケルをヤコブにめとらせ,ヤコブは重労働をして,花嫁料を払い始めました。ラケルを愛した彼は,その契約を守りました。彼は働いて,その花嫁料の全部を払いました。しかし,その花嫁料は愛するラケルの値打よりもずっとすくないと,彼は考えたのです。ラバンは,ひとりの仕女をラケルにも与えました。(創世 29:9-30)それで,ヤコブはだまされて一夫多妻主義を行なうようになったことが分かります。しかし,彼はエホバを恐れる姉妹たちと結婚し,エホバ神はそれを非としませんでした。実際のところ,彼はヤコブを祝福し,これらふたりの姉妹と仕女たちによって12人の息子とひとりの娘をうませました。

15 (イ)同じ人間がイスラエルの姉妹と結婚することについて,神はどんな規定をもうけましたか。(ロ)ソロモン王はエサウの例にどう従いましたか。イスラエルの将来の王について神は賢明に何を命じましたか。

15 後日,エホバ神はこれらの12人の息子たちとその家族をイスラエルの国民に組織してこの国民をエジプトの奴隷の状態からみちびき出されたとき,エホバはこの国民が一夫多妻主義を行なうことをゆるしました。しかし,肉親の姉妹たちが生存しているあいだは,一夫多妻主義者が彼女たちと結婚することは,エホバにより禁ぜられました。エホバは次のように命じていました,「あなたは妻のなお生きているうちにその姉妹をとって,同じく妻となし,これを犯してはならない」。(レビ 18:18,新口)(世界歴史ではなく)イスラエルの国民の歴史上最大の一夫多妻主義者は,エルサレムのソロモン王でした。「彼には王妃としての妻七百人,そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである」。彼らは,ソロモンがただひとつの生ける真の神としてのエホバに仕えることをやめさせました。そのわけは,ソロモンがエサウの例に従って,エジプトの支配者パロの娘をふくむ外国人の妻と結婚したからです。(列王記上 11:1-3)イスラエルの将来の王について,エホバ神は賢明にも次のように命じました,「妻を多く持って,心を迷わしてはならない。……レビびとである祭司の保管する書物から,この律法の写しを一つの書物に書きしるさせ,世に生きながらえる日の間,常にそれを自分のもとに置いて読み,こうしてその神エホバを恐れることを学ばねばならない」。―申命 17:17-19,新世。

16 イスラエル内で一夫多妻主義がゆるされていたとき,神はそれについてまた何をしましたか。

16 それで神はむかしのイスラエルに一夫多妻をゆるしました。しかし,一夫多妻者の正妻と他の妻およびその子供たちを守るために,一夫多妻主義について合法の規定を設けました(申命 21:15-17)おそらく,一夫多妻主義が行なわれたので,生来のイスラエルの国民の人口は大きなものになりました。

17 イエスの日のイスラエル内では,一夫多妻主義の状態はどのようでしたか。彼は弟子たちのために結婚についてのどんな標準にしたがいましたか。

17 イスラエルは,クリスチャン時代前の第1世紀に,世界を支配したローマ人の支配下にはいるようになりました。そのときには,一夫多妻主義はイスラエル人あるいはユダヤ人のあいだで跡を断ちました。「ユダヤ人百科辞典」(第8巻336頁,英文)は次のように述べています,「ローマ時代のユダヤ人のあいだでは一夫一婦が一般に行なわれた。しかし,顕著な例外はあった」。エホバの預言者モーセを通してイスラエル人に与えられた律法により,その律法の下にいるといまでも主張するユダヤ人は,遠い親族であるアラブ回教徒と同じく,一夫多妻主義であってもさしつかえないと感じています。それとするどい対照を示すものとして,イエス・キリストは,彼の足跡にしたがう弟子たちの結婚が,楽園内の模範にならうものでなければならぬと言われました。神の御子イエス・キリストは,完全で罪のない者でした。それで,人間の結婚の場合,彼は楽園内の完全な人の標準,すなわち人はひとりだけの生ける妻を持つという標準を保持しました。(マタイ 19:1-9)それは,間もないうちに神の御国の下に復興される楽園内で許されるただひとつの標準であります。

18 なぜエホバを崇拝する者は,妻のためのいくらかの費用をよろこんで払うべきですか。どんな妻は「エホバから」の者と考えられますか。

18 たくさんの結婚の経験を積んだソロモンが神の清い崇拝から脱落する前に,彼は次の言葉を書きました,「良い妻を得たか。その者は良いものを見つけ,かつエホバから善意を与えられる」。(箴言 18:22,新世)「家と富は父祖から相続し,分別ある妻はエホバからいただく」。(箴言 19:14,新世)それで,エホバ神を崇拝する者は,結婚前でもまたは結婚後でも,自分の妻のためにいくらかの費用をよろこんで支払うべきです。とくに妻が神にまったく献身して専心の献身をささげるので,エホバから善意をいただけるような妻の場合,そして「エホバから」のものと考えられるような妻の場合にそうあるべきです。

19 花嫁料を払うことについて,聖書の中にはどんな例がありますか。

19 聖書時代中,神の選民のあいだでは妻帯するための最初の費用として花嫁料を払うのが習慣でした。巨人を殺したダビデは,サウロ王の娘で,自分の妻になったミカルのために,ペリシテ人の兵士200人の陽の皮を払いました。(サムエル前 18:20-27)預言者ホセアは銀15枚と大麦1ホメル半とを払って自分の妻を買い求めました。(ホセア 3:1-3)イエス・キリストは,御自分の生命を犠牲にて,その霊的な花嫁を買い求めました。(エペソ 5:25,26)忘れてはなりません。アダムはエバのために一本の肋骨を払いました。―創世 2:21,22。

20,21 ある場所では,花嫁の父親に費用がかかるどんな結婚の習慣がいまでも存在していますか。それについては,どんな聖書の例がありますか。

20 その昔の習慣は今日でも地上の多くの場所にあります。また,ある場所では,父親が娘に婚姻持参物を持たせるのが習慣です。婚姻持参物とは,女が結婚のときに自分の花婿にわたの金銭,品物あるいは不動産です。これは彼女す父にとって出費になります。しかし,婚姻持参物をたずさえることは,イスラエルの国内でも昔から行なわれていました。カナンの地を偵察に出かけたヨシュアの仲間カレブの例を考えてごらんなさい。彼はその年齢にもかかわらず,ヨルダン川を渡り,預言者モーセの後継者であるヨシュアとともに,約束されたパレスチナの地にはいることがゆるされました。カレブは,自分に割りあてられた土地を征服することが必要でした。彼は,敵の町キリアテ・セペルを占領する者に自分の娘アクサを与えると約束しました。彼の甥オテニエルがそれを取りました。アクサは,妻として彼に与えられたとき,父カレブからの婚姻持参物に追加注文をしました。それで,カレブは彼女のための南部の地のほかに必要な泉をも加えました。―ヨシュア 15:13-19。

21 エジプトの王パロは,自分の娘をソロモン王にめとらせました。パロは,「はなむけ」あるいは婚姻持参物として,ゲゼルの町を花嫁に与え,ソロモン王は,その町を建てなおしました。(列王記上 9:16,17)婚姻持参物とは,男に物を与えて娘と結婚させるというものではなく,娘と結婚する男に物質面の援助を与えるものです。それで,夫は妻の経済的な負担全部を負わなくてもすみます。

22 (イ)西暦33年の五旬節のとき花嫁料と婚姻持参物はたリスチャン会衆のなかで癈止されましたか。何によるてそのことは示されますか。(ロ)神の新しい契約によクと,今日のクリスチャンは,どんな結婚の標準にしっがわねばなりませんか。

22 クリスチャン会衆が西暦33年の五旬節<ペンテコスト>の日に設立されたとき,最初の成員たちはユダヤ人および割礼によってユダヤ教に改宗した者たちでした。3年半のあいだクリスチャン会衆にはユダヤ人と改宗者たちだけがいました。これらのユダヤ人たちは,その結婚の習慣をある程度までキリスト教に持ちこみました。彼らの指導者イエス・キリストでさえ,ユダヤ人の結婚の習慣を用いており,たとえ話によって話を説明されました。(マタイ 22:1-14; 25:1-13。ルカ 12:35-40)ユダヤ人たちの結婚の取り極めのうちあるものは,モーセを通してユダヤ人に与えられた律法のなかでエホバが規定したものであり,また認可したものです。しかし,それらのものはクリスチン会衆とむすばれたエホバの新しい契約により廃止されました。しかし,花嫁料と婚姻持参物そして結婚式がクリスチャンのあいだで廃止されたとか禁じられたということを示す記録はのこっていません。しかし,エホバの新しい契約は,クリスチャン会衆に結婚の完全な標準を再興しました。エホバ神は,エデンの楽園内にいた完全な男と女とのあいだにその標準を立てておられたのです。私たちクリスチャンは,今日その標準に従わねばなりません。

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