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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1984
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読者からの質問

■ コリント第二 12章1節から4節で「パラダイス」と「第三の天」が結びつけられているのに,エホバの証人が将来地上の楽園<パラダイス>ができると言うのはなぜですか。

文脈は,コリント第二 12章1節から4節に言及されている「パラダイス」が地上の有形の楽園<パラダイス>ではないことを示しています。しかし,聖書の多くの聖句は神がこの地上に文字通りの楽園<パラダイス>を回復されることを証明しています。

事実からすれば,人間の経験した最初の楽園<パラダイス>は文字通りのものでした。アダムとエバは美しい公園つまり庭園に住んでいました。パラダイスと訳出されているヘブライ語とギリシャ語とペルシャ語の基本的な意味はそのようなものです。二人の前にはその楽園<パラダイス>で幸福と健康のうちに終わりのない命を得る見込みがありました。ところが,ふたりは反逆して罪をおかし,その結果神によってエデンの園から追放されて地上の楽園を失いました。

このことにより,現在そして将来のわたしたちの立場はどうなるでしょうか。この惑星が現在楽園に変えられていることを示す証拠は確かにありません。むしろ,汚染と破壊が満ちています。(啓示 11:18)それでも,地球を全面的な楽園<パラダイス>にするという神の目的が挫折するとは考えられません。神はご自分の始めたことを終わらせます。そのために神はご自分のみ子を遣わして贖いを備え,わたしたちの罪を許し,アダムから受け継いできた不完全さを克服するための土台を据えてくださいました。(テモテ第一 2:5,6。ローマ 5:18)それが成し遂げられるとき,人間はアダムとエバの前に置かれていたもの,すなわち終わりのない命を享受できるようになります。では,どこでそれを享受するのでしょうか。

人間に対する神の当初の目的は地上の楽園での終わりのない命でした。そして神の目的が挫折したりくじかれたりすることはあり得ません。(イザヤ 55:11)では,正にこの地球という惑星において,終わりのない命を享受することを待ち望めるのではありませんか。その時,地球には楽園のような状態が回復されています。聖書の中には,これが正しい見方であり,神のご意志が今後「天におけると同じように,地上においてもなされ(る)」ことを示す数々の証拠があります。(マタイ 6:10。啓示 21:4,5)この点を聖書的に支持する,より広範囲にわたる論議については,1984年1月15日号の「ものみの塔」誌に載せられている,「聖書は地上の楽園を約束しているか」という記事をご覧ください。

では,コリント第二 12章1節から4節にある使徒パウロの言葉はどうなるのでしょうか。パウロはその中で自分が,「主の超自然の幻と啓示」を扱っているとはっきり述べています。そして特別な幻,つまりパウロの時代からは将来のある事柄への,最高度の歓喜を伴う洞察を与えられたのは,パウロ自身であったと思われます。パウロは,「パラダイスに連れ去られ」たことについて語っていますが,「第三の天」についても述べていることから,文字通りの庭園のようなパラダイスからははっきりと区別される霊的なものに言及していたと思われます。そのようにしたのはパウロが最初ではありません。

ヘブライ語聖書中の数多くの預言は,バビロンに流刑にされていたユダヤ人が故国に回復されることを予告していました。土地と文字通りの環境が改善されることを示唆していたのに加えて,これらの預言は人々,すなわち回復されたユダヤ人に変化が生じることを示していました。例えば,イザヤはエホバが『彼らの骨をも活気づけ,彼らは潤っている園のようになる』ことについて書きました。また,彼らは「必ず義の大木,エホバの植えたものと呼ばれる。それは神が美しくされるためである」とも書きました。(イザヤ 58:11; 61:3。詩編 1:3と比較してください。)イザヤはそれよりも前の時期について同様の比喩的描写を用い,イスラエル人がエホバに忠実であった時にはそのぶどう園あるいは植えられたもののようであったのが,不忠実になった時には野ぶどうを生み出すぶどうの木になり,必ず焼き払われ,その代わりにいばらの茂みと雑草が生じることについて書いています。―イザヤ 5:1-7。

ですから,コリント第二 12章4節にあるパウロの幻への言及を,その後に生じることになっていた神の崇拝者たちの間の霊的繁栄の回復に関するものと理解すべき聖書的な理由があるのです。パウロ自身,主の「臨在」の前に真のキリスト教からの逸脱が起きることを予告しました。(使徒 20:29,30。テサロニケ第二 2:3-8)しかし,そうした状態がいつまでも続くことになってはいませんでした。真のクリスチャン会衆,「耕されている神の畑」は再び繁栄し,実を結ぶことになっていました。(コリント第一 3:9)わたしたちは,これが幻の中でパウロの見たパラダイスであると理解しています。しかし,パウロがそのような霊的パラダイスに言及しているとしても,近づく地上の楽園<パラダイス>,すなわち地球に対する神の当初の目的に従って回復される楽園に関する数多くの聖書の約束の価値が損なわれることは少しもありません。

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