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神の過分の御親切から恵みを受けてものみの塔 1962 | 12月15日
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州クリーブランドの大会に出席しました。その大会で短かいものとはいえ7万の大群衆の前で割当てられた話をするのは大きな経験でした。研究用の新しい本,制度の新しい取決め,協会施設を拡大する計画の発表など驚く事ばかりでした。興奮は大会で終りになったわけではありません。むしろギレアデの宣教者学校に近づくにつれていっそう増大していきました。
学校では親切な歓迎を受けました。教訓者たちは自己紹介をして,私たちの気持をくつろがせました。もちろん教科はきびしく,しかしまさに祝福に満ちていました。聖書をどのように実際的に研究するかはそこではじめて学びました。それとともに聖書に対する新しい見方がぐっと広がって来ました。制度の運営を実際に学び,兄弟たちの心からの献身を見て私の心は強められました。今こうしてフィンランドに帰り,しかもあれから何年もたっているのに,そうした経験をふり返ってみるとエホバが私に過分のご親切を示して下さった事を心から感じます。
十分な恵み
もちろん長年の間には自分の体力の不足を感じさせるような事も時折ありました。私の身体の弱さのために仕事を中断しなければならない時があったからです。先回胃を激しくおかされた時には,私の奉仕がここで終りになるかと思いました。病院にかつぎこまれ,直ちに手術台に寝かされました。しかしエホバを強く確信していた私は,そのような事態に面しても平静を保つことが出来ました。手術を担当した医者は信頼出来る人で,私の病状にはあまり希望を持てないのにもかかわらず,血液を使用しないという宗教上の見解にもすすんで敬意を示し,しかも彼の手術は成功したのです。回復には時間がかかりましたが,私は皆が驚くほど快方に向かいました。その時に私は,「肉体のとげ」と言ったパウロの気持を想像出来ました。それから解放される事を願った彼に主は言われました,「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。(コリント後 12:7-9,新口)私の病気が,私の弱さまでが,親切にしてくれた病院の職員や他の患者に証言する良い機会になりました。
仕事のためにものみの塔協会フィンランド支部事務所にはいってからすでに40年になります。しかし私にはそんなに長くは感じられません。かって私が目指していた音楽家としての生涯は棄てました。しかし私が今確信しているのは,物質的利益,また自分の名誉を追い求める事に本当の幸福は見出せないという事です。むしろ私はエホバに対する賛美を歌う事のうちに遙かに大きな喜びを見出しました。そして,私が語学に熱中していた事は後年になってより重要な意味を持つようになりました。それは,生命のたよりを私がその中にあって奉仕している人々の言葉に翻訳する仕事の一部に参加する事が出来たからです。私にこれらすべての機会を与え,私の生涯を喜びで満たし,さらにその喜びを他の者と共に分かち合うために私自らをささげさせたもの,それこそ神の過分のご親切です。
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霊的食物を食品と交換するものみの塔 1962 | 12月15日
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霊的食物を食品と交換する
一人のエホバの証者は,ものみの塔協会の御国宣教学校への入学招待を受けました。それは,ものみの塔の予約運動が終わる少し前に始まるクラスでした。この証者は話しています。「特別開拓者として,予約30の目標を達成するため出来るだけのことをしてみようと決心しました。冬には仕事が少ないから,予約購読料としていくらかの食品を受けるという御国奉仕の提案を実行してみました。ある時には,1年予約を50セントに卵1ダースと交換し,別の人の場合には,25セントと卵半ダースを受けて半年予約を提供しました。とうもろこしの粉,じやがいも,にわとりなどと交換した事もありました。4月11日に学校にむけて出発する日まで,予約の約束をした人のところへもみなたずねました。最後の週には3つの予約が得られ,全部で26になりました」。
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