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    ものみの塔 1966 | 8月15日
    • ベトナム

      人口: 14,200,000

      伝道者最高数: 19人

      比率: 747,368人に1人

      1月に,サイゴンのある家族がサイゴンの北約320キロメートルの都市に引っ越しました。母親と上のニ人の子供は,伝道者です。私たちはカトリック教徒と仏教徒が烈しく憎みあっているその都市で,彼らがどのように単独で伝道していくかを心配していました。けれどもエホバの聖霊は,たしかにこの姉妹と子供たちに働き,幸いにも,私たちの心配は無用のものとなりました。姉妹は奉仕の計画をきちんとつくって,週に3回奉仕に出かけ,1回は二人の子供とそれぞれ出かけ,1回は一人で出かけます。彼女は主人と6人の子供の世話をしなければなりません。しかし,奉仕に出ると3時間かそれ以上の時間伝道をつづけます。良い計画によって彼女は自分の責任を良く果たします。新しい都市での最初の週に彼女は仏教徒の男の人と研究を始めました。今,この人は創造主エホバの存在を確信しています。そして,自分自身のベトナム語聖書を持っています。この姉妹が理解できるのはベトナム語だけです。ベトナム語の印刷物は,3冊の冊子と3冊のパンフレットだけですが,この姉妹は真理について聞くすべてのことを吸収し,又聖書に印をつけています。そしてエホバとエホバのことばに対して非常に強い愛を抱いているので,説明されるダニエルや黙示録の事柄を全部すみやかに吸収してしまいます。彼女の関心は,非常に強く,また専門家のように聖書と人々を扱います。サイゴン会衆は,週毎に,ものみの塔研究の質問と答えを,彼女に送ります。そして彼女は子供だちと共にそれを学びます。

      3年前,雑誌活動の時に出合った,セブンスディアドベンティストの婦人と研究が始められました。今彼女は良く真理を悟り,3人の子供も野外奉仕に参加しています。昨年彼らは,アドベンティストの有名な伝道者である主人つまり子供たちの父親と,安息日の問題を討議しました。しかし主人は聖書から答えることができず,聖書を用いて自分の説を裏づけることができませんでした。アドベンティスト教会は,家族が「悪い見本」であるという理由で,彼をサイゴンに任命するのを拒絶しました。それで彼は,奥地で奉仕しなければなりません。アドベンティスト教会員たちは,なんとかして,彼女を取りもどそうとしましたが,彼女はエホバに奉仕することを,固く決心しています。彼女は真理を学ぶまで決して聖書に関心を持たなかったことや,アドベンティスト教会では聖書の意味が少しもわからなかったということを,彼らに話しました。ベトナムのアドベンティスト教会の最高位の牧師も彼女を訪問しました。彼はキリストを愛することについて,聖書の一節を読みました。彼女はキリストを愛していますと答え,自分の聖書をとりに行きました。しかし彼は聖書を閉じて,行かなければなりませんと言いました。食料品を無料で得るために教会へ行きませんかと,他の人から,すすめられた時にも,彼女はお金や物質のために,真の神エホバの崇拝をやめることは出来ませんと答えました。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1966 | 8月15日
    • 読者からの質問

      ● 使徒行伝 23章6節で,なぜパウロは自分がパリサイ人であると言えたのですか。―アメリカの一読者より

      パウロが,「わたしはパリサイ人であり,パリサイ人の子である。わたしは,死人の復活の望みをいだいていることで,裁判を受けているのである」と述べたとき,彼は訴えられてサンヒドリンのユダヤ法廷に立っていました。

      このことを説明した前の日,パウロは,復活したイエス・キリストについて,公に伝道していたのです。それで,ユダヤ人の間に騒ぎをまき起こしました。(使行 22:6-24)この時に集まっていた,パリサイ人とサドカイ人は,パウロがパリサイ人ではなくクリスチャンであることを,よく知っていました。しかし,次のことを心にとめなければなりません。すなわち,パウロがパリサイ人として,育てられた人であり,また,パリサイ人が復活とか,天使や霊者を信じているが,サドカイ人はそのような教理を否定しているのをよく知っていたということです。(使行 23:8; 26:5。ピリピ 3:5)これらの教理に関するかぎり,使徒パウロは,サドカイ人の主張とは対照的に,パリサイ人と類似した信仰を持っていました。

      使徒行伝 23章2節に述べられている,大祭司アナニヤの仕打ちは,パウロの事件を審議するために集まっていた人々が,不公平な,わけのわからない人々であったことをはっきり示しています。これを知った使徒が,論争の的であった復活の教理をとりあげ,くさびを人々の間に打ち込んで,集まった人々を分裂させようとしたことは,ありうることです。言葉の厳密な意味において,パウロはあきらかにパリサイ人ではありません。しかし,パウロは,「パリサイ人の子」であり,また,復活の問題では,自分がパリサイ人と同じ見解をとることを示したのです。パウロは霊者として復活したイエスを信じていました。このため,居あわせた人々の群れの間に不和が増したのです。―使行 23:9,10。

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