-
安息日 ― クリスチャンも守るかものみの塔 1962 | 3月15日
-
-
ぬことを証明するものは何もありません。
クリスチャンの立場
クリスチャンが安息日を守ることを命ぜられたとか,ペンテコスト以後使徒たちの生存中それが守られたという証拠がない以上,クリスチャンはこのことに対してどんな態度をとるべきですか。クリスチャンは,聖書に基づいて,安息日の遵守はクリスチャンに要求されていないと主張することができます。コロサイ書 2章16,17節のパウロの言葉は,この点を明確にしています。「だから,あなたがたは,食物と飲み物とにつき,あるいは祭や新月や安息日などについて,だれにも批評されてはならない。これらは,きたるべきものの影であって,その本体はキリストにある」。
新月や安息日 ― 七日目の安息日をも含む ― を守ることを規定した律法契約は,キリストに導き,キリストと共に終わった影のようなものでした。律法契約が,キリスト教時代にまではいりこんでクリスチャンにそれを守る責任を負わせなかったのと同じように,安息日を守ることもキリスト教時代にまで持越されなかったのです。だからこそ,エルサレムの統治体は他の事柄はいくつか述べていても,安息日を守ることを非ユダヤ人のクリスチャンたちに要求していないのです。このことは,使徒行伝 15章19,20節に記録されています。これらの聖句の中にも,また後に非ユダヤ人のクリスチャンたちに与えられた指示にも,安息日を守ることについては何も言われていません。もし安息日を守ることが,神の是認を受けるのに重要であったなら,そのことは,必ず指摘されたに違いありません。
使徒パウロは,「神のみ旨を皆あますところなく,あなたがたに伝えておいた」と言いました。(使行 20:27,新口)すべての助言と指示をクリスチャン会衆に与えたにもかかわらず,彼は安息日を守ることがクリスチャンに要求されていると言ったことは一度もありません。テモテとテトスにあてた手紙で,クリスチャン会衆の監督の地位に任命された人々への要求を詳しく述べていますが,安息日を守ることについては何も言っていません。クリスチャンに対する「神のみ旨をあますところなく」告げたというのに,安息日を守ることについては何も述べていないのですから,神はクリスチャンがそれを守ることを要求されていないと結論しなければなりません。―テモテ前 3:2-7。テトス 1:7-9,新口。
イエスのユダヤ人の追随者たちは,ペンテコスト以後,日と季節を守ることをやめました。それと同じく,クリスチャンになって異教から離れた異邦人もそれをやめました。彼らは1週のうちの1日だけではなく,毎日神を崇拝し神に奉仕しました。1週に1日だけを安息日として守ることは,彼らにとっては,パウロがガラテヤ書 4章9,10節,5章1節に述べてる通り初歩の事柄にもどることであり,そのどれいになることです。
週毎の安息日を守ることは,イスラエルの国民だけに関係のあったもので,過去のものです。クリスチャンは過去のうちに生きているのではなく,将来に備えて生きているのです。将来,安息日により予影されたキリストの千年統治は,従順な人類に休みと平安をもたらすでしょう。彼らは,週毎の安息日を守る代わりに,「安息日の主」の支配下の大いなる安息を喜びをもって待ち望んでいます。―マタイ 12:8,新口。
-
-
言伝えと聖書ものみの塔 1962 | 3月15日
-
-
言伝えと聖書
19世紀のダブリンの司教リチャード・ホエイトレーは,人間の伝説のよくない影響を認めてつぎのように言っています,「カトリック教徒が信じている伝説は,聖書に従属するもの,聖書におぶさっているものである。それは,ちょうど寄生植物が,自分を支えてくれる木によりかかっているようなものである。前者は後者にすがりついて,それに依存している。そして徐々に自分の葉で親木をおおって,ついにそれを弱らせ,ちっ息させてしまう」。(思想の新辞典)だからこそイエスは,「なぜ,あなたがたも自分の言伝えによって,神のいましめを破っているのか」と言って,人間の言伝えを非とされたのです。―マタイ 15:3,新口。
-