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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 9/15 558–564ページ

あなたの創造者をあなたの若い成年の日に覚える

「あなたの偉大な創造者を,あなたの若い成年の日の今,覚えなさい」― 伝道 12:1,新。

1 (イ)若い人々を訓練する必要について聖書は何を示していますか。(ロ)パウロは時宜にかなったどんな忠告のことばを若いテモテに与えましたか。

神のことばは若い人々について多くのことを語っています。前の記事の中で述べたように,胎の実は報いのたまものです。しかしながら,神のことばはまた,若い人々の性質について正確に告げており,若者が成人していろいろな責任をになえるようになるには指導が必要であることを示しています。神のことばは正確にも,「痴なること子の心の中に繋がる」と述べています。(箴言 22:15)創造者エホバはご自分の創造された人間の性質をよく知っておられます。人の一生において若い時代は精神の形成期にあたり,その時期の若い人々は指導や指示を必要とします。そして,そうした指導や指示をどれほど熱心に受け入れたかは,後年における行状,また責任を引き受ける仕方に表われます。使徒パウロは若者と成人との違いを次のようなことばで正確に描写しています。「われ童子の時は語ることも童子のごとく,思ふことも童子の如く,論ずる事も童子の如くなりしが,人と成りては童子のことを棄てたり」。(コリント前 13:11)したがって,パウロが宣教における自分の若い仲間テモテに対して次のように書きえたのは,十分の理由があってのことでした。「汝わかき時の欲を避け,主を清き心にて呼び求むる者とともに義と信仰と愛と平和とを追求めよ」― テモテ後 2:22。

2 敬虔な若い人々はどんな顕著な特質を持っていますか。

2 しかしこれはなにも,人の一生において若い時代はのろうべきものであるという意味では決してありません。また,神のことばがなんらかの点で若者を卑しめていると結論すべきでもありません。とてもそう言えるものではありません。というのは,ほかならぬ主イエス・キリストが,天の王国においてだれが最も偉大であるかに関してご自分に質問をした人たちにこう言われたからです。「まことに汝らに告ぐ,もし汝ら飜へりて幼児の如くならずば,〔天の王国〕に入るを得じ」。(マタイ 18:3〔新〕)子どもたちには謙虚さがあることをイエスは説明されました。ですから,だれも自分を重視しすぎないようにし,敬虔な子どものような謙遜な気持ちを持つべきです。また使徒パウロは次のように子どもたちを称賛しました。「兄弟よ〔理解力〕に於ては子供となるな,悪に於ては幼児となり,〔理解力〕に於ては成人となれ」― コリント前 14:20〔新〕。

3 (イ)子どもはどんな面で訓練を必要としていますか。(ロ)だれがそうした訓練を与える責任を持っていますか。そうした訓練が他人に託されるべきでないのはなぜですか。

3 そういうわけで若者は,人生の重要な事柄すなわち義,信仰,愛そして平和の面で訓練と教育を必要としているのです。他方,だれも正しいこと,まちがっていることに対して若い時に得た正しい態度を捨てるべきではありません。この正しい訓練は神を恐れる親から与えられるのが最善です。それには子どもの福祉と養育に対する深い関心が関係しています。そうした訓練や教育は,現在の事物の体制においてしばしば見られるように,その世話を他の人々に託すべき性質のものではありません。それは多くの若い人々に自分は親から見放されている,望まれていないのだ,時には,自分は厄介者なのだ,とさえ感じさせる結果となっています。これはさらには,親子の間のいわゆる世代の断絶をもたらしているのです。こうした傾向と取り組むため,神を恐れる両親は子どもとのしっかりした関係を築き,それを維持するよう,できる限りのことをしたいと願います。そうすれば,子どもは親を信頼するようになります。そうした信頼の念をいだく子どもは,問題があれば,近所の友だちや他の外部の人の所に行く代わりに,自分の親と問題を相談したいと考えるでしょう。

今日の若者の良い模範

4 今日そうしたりっぱな訓練が少しは施されているために何が見られますか。

4 この種の意志の疎通や訓練は今日現に見られており,若い時に自分の創造者を覚え,しかも若いからといって軽んぜられるような根拠を人に与えないようにしている若者は大ぜいいます。そうした若者の経験を考慮するならば,命への道を歩んでいる他の人たちも建て起こされ,励みを受けるでしょう。

5 (イ)フランスに住むふたりの少年の経験を述べなさい。(ロ)その両親はどのような称賛のことばを受け取りましたか。

5 一つの例はフランスに住むふたりの少年に関するものです。この少年たちは自分の信仰と確信についてある家の人に証言しました。そのふたりの少年とことばをかわした家の人は少年たちの両親に次のような手紙を書き送りました。「私はけさほど,あなたがたのふたりのお子さんと長い会話をかわしましたが,今なおその時の快い気分に浸っております。おおよそ美しいもの高潔なものすべてに私は深い関心をいだいていますので,この機会にふたりのご両親であるあなたがたにお手紙を差し上げて,お子さんへの賛辞を述べさせていただきたいと思います。ほんとうに,あなたがたのお子さんほどに自分の信仰を興味深い仕方で,しかもあれほどの確信と理解力とをもって明らかにした子供に会ったことはありません。特にご長男のほうはそうでした。彼らがこの歩みを続けるなら,神の恩寵により,仁愛に富んだ真の人間へと成長なさることでしょう。価値あるものが崩壊しつつある世界にあって,過ぎゆく時代が実を結ぶであろうと私の信じてやまない価値あるものに出会うのは慰めとなります。私はあなたがたを存じておりませんが,おふたりのお子さんから察すると,さぞかし賞賛に価するご両親であるに違いありません」。この若い少年たちが若い日に自分たちの創造者を覚えていたことには疑問の余地がありません。そのために軽んぜられるどころか,彼らは賞賛され,その親も同じく賞賛を受けました。

6 ビルマに住むふたりの若い伝道者は,若い日に自分たちの創造者を覚えていることをどのように示しましたか。それはどんな良い結果を生みましたか。

6 若者がエホバのお名前に賛美をもたらした別の例があります。これはビルマでのことです。若い伝道者たちの助けを借りて真理を学んだ,教育のある老齢の人から寄せられた一通の手紙は,この世の成人たちは,エホバの証人の若者ほどにも聖書を知らないことを明らかにしています。「ある雨の降る日でしたが,ふたりの若者が私の家に来ました。雨宿りをしにきたのだろうと考えて,私はそのふたりを家の中に入れました。ところが彼らは奉仕者ですといって自己紹介し,聖書の話をしました。その話を聞いた私は,この若い人たちがこの地の将来について私以上によく知っていることに驚きました。私は今年74歳になり,14歳の時からバプテストの教会員で,私の町では長老として,また婦人会の委員として敬われてきましたが,聖書についての私の知識はその若者たちに比べると無に等しく見えました。彼らは数冊の雑誌とパンフレットを残して行きましたので,私はそれらを夢中になって読みました。読んだ内容について真剣に考えさせられた私は,その若者たちにもう一度会って少しの質問をしたいと思っていました。驚いたことに,彼らは再び私に会いに来たのです。それはとても喜ばしいことでした。その中のひとりが私と聖書の研究を始めてくれ,以来私はまことの神とその目的を知るようになり,たいへん幸福に思っています。神の助けで私は今やみことばのより良い理解を得ました。一つだけ残念なのは,なぜもっと早く真理を学べなかったのかということです。もっと早く学んでさえいれば,私たちの創造者に対してもっと多くを行なえたのですが。とはいえ,残された私の生涯の短い期間中,エホバ神になお仕えられることを深く感謝しています」。この例からも明らかなとおり,救いの良いたよりを他の人々に告げるわざに携わる若者をだれも軽んずることはできません。

7 西インド諸島のジャマイカに住む12歳になる少年が,忘れることをしなかった者であることを示しなさい。

7 西インド諸島のジャマイカに住む12歳になる少年は,エホバの証人の間で行なわれた聖書の討議を聞き,「証すること」や「証人」について聖書の述べている事柄に感銘を受けました。少年は王国会館に出席しはじめましたが,これをきらった母親は,二度と集会に出てはならないと言い渡しました。少年はそれに従いましたので,しばらくの間はそのおじが時おりエホバの証人から得る雑誌が証人たちとの唯一の連絡の手段となりました。ある週末に少年がおばあさんの家を訪問していたところ,ひとりのエホバの証人がそこを尋ねました。少年は聖書の話を聞き,パンフレットを一部受け取り,これを一字一句暗記してしまうほど何度も読みました。そして自分の母や祖母それにおばに証言しはじめました。母親の反対は和らぎました。おばが英国に引越した時も,証人たちと連絡を取って神の目的について学ぶのを援助してもらうよう,少年は引き続き手紙を通しておばを励ましました。おばはそのとおりにし,今では神に献身した者となっています。一方,その少年は,さらに多くの出版物を手に入れて研究し,再び集会に出席しはじめ,野外宣教での援助を受けたいと願い出ました。彼は今ではエホバの任命された奉仕者として王国の関心事に定期的に仕えています。この少年は確かに理解をもって聞き,さらに自分の親族がエホバのしもべとなるよう助けることに貢献しました。

8 (イ)箴言 22章6節にはどんな助言がしるされていますか。(ロ)ものみの塔協会の本部で働く人々の多くは,自分たちの若い時の訓練が有益であったことをどのように明らかにしてきましたか。

8 親はすべて自分の子どもが神のことばと人類に対する神の目的とについての正確な知識を得て成長するのを助けることに,なんと深い関心を払うべきなのでしょう。子どもは確かに親に対する祝福ともなり,またエホバのお名前にすばらしい賛美をもたらすものともなりうるのです。多くの若い人々は宣教に携わり,自分たちの天の父に喜ばれたいとせつに願っています。もし彼らが神のことばの真理にしっかりと根を降ろしているなら,成人になっても生涯ずっと真理にとどまるでしょう。箴言の賢明な助言は,「子をその道に従ひて教へよ然ばその老たる時も之を離れじ」と述べています。(箴言 22:6)たくさんの若い人々がものみの塔協会の本部や,世界各地にある支部事務所で奉仕するためにやってきました。そして彼らは現在に至るまで主の関心事に仕えるという特権に引き続きあずかっています。興味深いことに,ニューヨークのブルックリンにあるものみの塔協会のベテル・ホームの職員中,25人の最年長者のうち20人は18歳から30歳の間にベテルに来た人たちです。今日,彼らの年齢は65歳から85歳の間ですが,今なお忠実に自分たちの義務と責任とを果たしながら奉仕しています。彼らは若い日より今に至るまで,自分たちの創造者をおぼえ続けてきたのです。そして疑いなく,次のようにいった詩篇作者と同様に感じていることでしょう。「われむかし年わかくして今おいたれど義者のすてられ或はその裔の糧こひありくを見しことなし」。(詩 37:25)エホバはこの人たちを自分の保護のもとに置いてこられ,彼らはエホバに仕え,その意志を行なう喜びにあずかってきました。

若い世代の人々を助ける

9 (イ)ここで親をも含めておとなの前にどんな質問が出されますか。(ロ)反抗や不道徳を避けることが特に今日いっそうむずかしくなっているのはなぜですか。

9 さてここで,この時代の親と成人たちの前に出される質問は次のとおりです。あなたの子どもや若い人々一般が自分たちの創造者を覚え,その結果,若くても決して人に軽んぜられないような人間となるよう助けるためにあなたは何を行なえますか。わたしたちの住む世界を一瞥するだけで,それが反抗と不道徳の種をまいている体制であることが明らかです。事実,若い人々をひそかに害し,邪悪な行動へ向かわせようとする試みが意識的になされています。これはなにも最近に限った特異な現象ではありません。人類が第一次世界大戦の苦闘に突入して以来,世界は道徳に関するかぎり急速に堕落の道をたどっています。ヒトラーが30年代にドイツで権力を握るころまでには,この堕落の傾向は相当進んでいましたが,ナチ主義に災いされて,その過程はいよいよ拍車をかけられることになりました。ナチ親衛隊の精鋭となるべく選ばれた者たちが,道徳に対するいっさいの伝統的な価値観の愛着を断つ調整過程の一環として,異常な性的活動に服させられたことを示す多くの証拠があります。「かのすさまじき力」と題するC・S・ルイスの小説は,悪の代理者たちによって忌むべき慣行に服させられたひとりの若い知識人が,不自然で非道な事柄にいったん慣らされてしまったがために,まさにこれが原因となって,それ以後は自分の仕える者たちの出すいかなる命令や要求をも拒絶しなくなるさまを描いています。

10 子どもに効果的な訓練を施すため両親は何を銘記すべきですか。

10 暴力,尊敬の念の欠如,邪悪な行為に対する欲望が見られる今日の世界にあなたの子どもが対処できるよう助けるためには,神のことばが要求している訓練を施さねばなりません。子どもに対して正直かつ率直でなければなりません。私のやることはまねなくてもよいが,私の言うようにしなさい,というようなことをモットーにして偽善的な態度を取ることは許されません。若い人々はそのような浅薄な独善的な態度を見抜いてしまいます。使徒パウロが述べたとおりです。「何ゆえ人を教へて己を教へぬか,ぬすむ勿れと宣べて自らぬすむか,姦淫する勿れと言ひて姦淫するか」。(ロマ 2:21,22)子どもがエホバの訓戒と精神の調整とにおいて成長し,自分たちの創造者を覚えるためには,親をも含めておとなが子どものために正しい模範を示さねばなりません。

11 子どもを訓練するにさいして,親はどんなことに警戒しなければなりませんか。

11 子どもを扱うさい,しばしば皮肉を言う親がいます。そのような親は子どもや子どもの知能を見くびって,子どもに恥をかかせるようなことをしたりします。これは正しくありませんし,クリスチャンにとって,また聖書から見てもふさわしくありません。使徒パウロはこの点について次のように述べました。「父たる者よ,汝らの子供を怒らすな,或は落胆することあらん」。(コロサイ 3:21)自分を生んでくれた親から絶えず小言をいわれたり,いらだたされたりしている子どもは,エホバの賛美者として成長するあらゆる機会を若い時に与えられているとはいえません。といっても,これは親が子どもの望むなり言うなりにすべきだという意味ではありません。むしろ,箴言が述べているように,子どもをその行くべき道において訓練することなのです。

12 (イ)若い人々は自分の親に対してしばしばどんな共通の不平をもっていますか。さらに,親はどんな不平をもっていますか。(ロ)そのためにどんな結果が生じていますか。

12 今日の若い人々の間に最も共通に聞かれる不平の一つは,「私の親は私のことなどてんでわかってくれない」というものです。もしあなたの家族の場合がそうでしたら,あるいはそういう方向に進んでいるようでしたら,取り返しのつかなくなる前の今こそ事態を正すべき時です。今こそ理解し合うべき時です。すぐにでも取り返しがつかなくなるからです。邪悪な事物の体制は今やまさに滅ぼされようとしています。あなたご自身とあなたの子どもが生き残るためには,今こそ互いに理解し合うようになるべき時です。多くの親は,「私たちがどんなに努力したか,おまえがわかってさえくれれば。それにしても私たちは全く別々の世界にいるようなものだ」というでしょう。しかし多くの親はしばしば,子どもとの間に広いみぞができあがってしまってから行動を開始します。そして,自分の子どもが何をしているのか,その友だちはだれか,どこにいるのかを知りません。子どもは自分たちのおきて,自分たちの服装,自分たちの生き方を採用します。そしてやがて,親は突然,子どもがいわば違ったものの言い方をすることに気づき,その結果,お互いに理解することができなくなるのです。

13 盲導犬の訓練についてどんな基本的な指示が略述されていますか。それは子どもの訓練とどのように比較されますか。

13 良い親であることは確かに全時間の仕事です。この訓練にも近道はありません。盲導犬の訓練に関して,訓練する者は徹底して辛抱強くなければならないといわれています。全部の訓練を愛情をもって与え,決して残忍な教え方をしてはなりません。犬がよく覚えたときには,よしよしといって軽くたたいてやったり,優しく話しかけたり,犬の大好物を少し与えたりなどして,必ずほめてやります。どんな誤りもそのままにしてはならず,直ちに正されねばなりません。おとなが時として,自分の子どもの訓練よりも,動物の訓練により多くの注意と配慮を払う場合があります。クリスチャンにとって,自分の子どもの訓練ほど重要なことはありません。動物を訓練するのに徹底的な辛抱強さが要求されるのであれば,子どもを訓練するのに要求されることがそれ以下で済まされるでしょうか。動物には愛情をもって教え,決して残忍な教え方をしてはならないのであるなら,自分がこの世に生み出した子どもについてはなんと結論すべきですか。ことばや動作を使ってほめてやると動物が応じるのであるならば,子どもを訓練するさいわたしたちは何を期待すべきですか。さらに,動物のする誤りが正されねばならないのであれば,子どもの犯す誤りについてはなんというべきですか。

14 子どもの訓練に関して,ほうって置けば万事うまく行く,と親が考えるのは不合理です。なぜですか。

14 きょうの若者はあすのおとななのです。若い人が若い日に自分の創造者を覚えるなら,成人したとき,人生の諸問題に対処し,天の父に賛美を,そして親には誉れをもたらす備えができるでしょう。ほうって置けば万事うまく行く,と親が考えるのは不合理なことです。たいていの場合,それとは反対の結果になります。年若い子どもが「行状にも,愛にも,信仰にも,潔にも」模範的であるためには,親が,そしてクリスチャン会衆の他のおとなが模範を示さなければならず,そうした年長者たちはその子どもが正しい道を歩むよう援助してやらねばなりません。

15 若い世代の人々を助けたいと思うなら,おとなの世代には何が要求されていますか。

15 人類の創造者で偉大な恵与者であられるエホバ神のしもべになるようにとの召しに若い人々が応じるのは,今がまさにその時です。非常に多くの若者が全世界で反抗的になっているのを考えると,創造者を覚えたいと真に望んでいる人たち,また,創造者をよりよく知るようになりたいと願っている人たちを助ける時は今です。今日の諸問題に対する正しい答えを捜し求めている若い人々を助けるために,おとなの世代の人々は多くのことを行なえます。ゆえに,みずから創造者を覚え,廉潔な行状,愛,信仰そして潔さのうちに歩むことによって,若者が同じくそうした義の道について来るのを助けることはおとなの世代にかかっているのです。神の律法の効果を弱めて,正しい原則を捨てた者のようになったとて,答えは得られません。正しい模範を示せるのは円熟した人です。偽善は避けるべきであり,別人を装ってはなりません。キリストに従って形作られた新しい人格を身につけてください。そうした新しい人格をもって若者を励ますならば,彼らは聖書の正しい原則に引きつけられ,自分たちの創造者を覚えたいと願うでしょう。―コロサイ 3:5-10,新。

16 わたしたちはだれのことを思い起こすよう求められていますか。なぜですか。

16 エリフ,ヨシア,エレミヤ,ダニエルそして彼の3人の仲間のことを思い起こしてください。彼らが若い時に示した高潔な行状の数々を,自分の思いの中でたどってみるのです。イエスの若かった時のこと,またその義にかなった,そして両親に対する服従を示した生活の仕方を考えてみましょう。この記事で取り上げた今日の世界における模範,つまりフランス,ビルマ,ジャマイカその他の場所に住む少年たちのことを考えてください。彼らは自分の創造者を若い成年の日に覚えているのです。若いからといって人に軽んぜられることのないような仕方でふるまっているりっぱな若い人を,あなたもきっと大ぜいご存じのはずです。さらに,熟達した援助と世話を必要としている若者を何人か知っておられるかもしれません。

17 良い模範の伴った正しい訓練と指導を若者に与えるなら,どんな結果が得られますか。

17 それでは,若い人々をもっと助けるため自分には何ができるか自問してみてください。あなたが親であるならば,子どもたちが確かにエホバの賛美者となるよう,よりいっそうの配慮と注意を払ってください。あなたがエホバのクリスチャン証人の会衆と交わっておられるならば,エホバとその意志を行なうことに対する熱心さと献身の面で模範を示すことによって若者を助けるという点で何を行なえるか尋ねてみてください。自分はできるかぎりのことをしているのだ,と決め込まないでください。改善の余地は常にあるものです。若い人たちとの意志の疎通を図り,それを保つことに適切な関心を払い,また若い人たちがそれに応じた行動を言,行状,愛,信仰そして潔さに表わすならば,人類の創造者であられるエホバ神に多大の賛美がもたらされるでしょう。そうなれば,すべての人がこぞって,詩篇作者の次のことばを遂行できるのです。「エホバをほめたゝへよ もろもろの天よりエホバをほめたゝへよ もろもろの高所にてエホバをほめたゝへよ 地よりエホバをほめたゝへよ…少きをのこ 若きをみな 老たる人 をさなきものよ みなエホバの聖名をほめたゝふべし その聖名はたかくして類なく そのえいくわうは地よりも天よりもうへにあればなり」― 詩 148:1,7,12,13。

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