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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1984
塔84 6/1 29–30ページ

聖書の手引きを用いることは,聖書に反しますか

ある日曜日の朝のことでした。米国のコネティカット州に住むある人が,ドアをノックする音を聞いて出てみたところ,戸口の上り段に一人のエホバの証人が立っていました。証人はその人に聖書について話し,重要な事柄に関して聖書から説明してある文書を勧めました。しかしその人はそれを断わり,小型トラックのダッシュボードの上に載せてある聖書を指差して,「聖書があるからほかのものは何も必要ない」と言いました。

あなたもその人と同じ意見ですか。もしその人が,真理の源として聖書に代わるものは何もないという意味で言ったのであれば,すべてのクリスチャンはその人の意見に賛成しなければならないでしょう。しかし,そのエホバの証人が携えていた文書は,聖書に取って代わるというものではありませんでした。その文書は,聖書を説明し,その人の生活に役立ちそうな聖書の部分を特に取り上げ,その重要な本に対する敬意と知識を築き上げるためのものでした。そういう出版物は必要のないものでしょうか。あるいはそういう出版物を読むのは間違いとさえ言えるでしょうか。

聖書を理解するのに聖書だけで十分か

真理の正確な知識を得るのに聖書を読むのは非常に重要なことですが,それ以外のものは何も必要ではないということを聖書は示唆しているでしょうか。実際にそういうことが示唆されているわけではありません。例えば,弟子ヤコブはユダヤ人について,「モーセは安息日ごとに諸会堂で朗読されており,彼を宣べ伝える者が古来どの都市にもいる」と述べています。(使徒 15:21)しかし,そのようにして盛んに聖書を読んだにもかかわらず,大半のユダヤ人はイエスがメシアであることを悟るには至りませんでした。

使徒 8章に出てくるエチオピアの宦官も聖書を読んでいた人でした。弟子フィリポは,その宦官が兵車に乗って帰国する途中,声を出してイザヤ書を読んでいるのを聞きました。その宦官が真理の知識を得るのにそれだけで十分だったでしょうか。フィリポは宦官に,「あなたは自分の読んでいる事柄がほんとうに分かりますか」と尋ねました。すると宦官は,「だれかが手引きしてくれなければ,いったいどうして分かるでしょうか」と答えました。(使徒 8:30,31)聖書を理解するには助けが必要であることを宦官は謙遜に認めたのです。

また,イエスが天に上る直前にご自分の追随者たちに対して,「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい」とお命じになったことも,忘れないようにしなければなりません。(マタイ 28:19,20)新しい改宗者を公開の聖書朗読に招待したり,その人たちに聖書を与えて自分で読ませるようにしたりする以上の事柄が必要であったことは明らかです。クリスチャンはそういう人たちを教えることもしなければならなかったのです。

また使徒パウロは,単に聖書の朗読を励ます以上の事柄が必要なことに気づき,テモテに対して,「わたしが行くまでの間,公の朗読と説き勧めることと教えることにもっぱら励みなさい」と述べています。(テモテ第一 4:13)聖書を読むことは極めて重要なことで,パウロは公の朗読をまず最初に挙げています。しかし,朗読を聴く人たちが読まれている事柄の意味を理解するように助け(教えること),それを自分の生活に適用するように励ますこと(説き勧めること)も必要でした。

最後に,弟子たちや使徒たちが単に聖書を人々に読み聞かせることよりもはるかに多くの事柄を行なっていたことは,使徒たちの活動の書を読むとはっきり分かります。彼らは聖書が人々に分かり易くなるように援助したのです。「ユダとシラスは,自ら預言者でもあったので,何度も講話をして兄弟たちを励まし,また強めた。しかしながら,パウロとバルナバは引き続きアンティオキアで時を過ごし,ほかの多くの人と共に,エホバの言葉の良いたよりを教えたり宣明したりした」― 使徒 15:32,35。

文書の助け

『しかしそれは文書ではない』と言う人があるかもしれません。その通りです。しかし,文書にした講話と口頭で行なう講話との間に大きな相違があるでしょうか。事実,使徒たちや他の初期クリスチャンたちは,印刷施設などなかったものの,良いたよりを広めるのに確かに書面を利用しました。彼らは自分たちが会衆にいない間連絡を保つために,色々な会衆に多くの手紙を書きました。その中のあるものは実際に聖書の一部になりましたが,そうならなかったものもたくさんありました。

コリント人に宛てられたパウロの最初の手紙は聖書の中に保存されていますが,その中には次のような言葉が書かれています。「わたしは自分の手紙の中で,淫行の者との交友をやめるようにとあなた方に書き送りましが……今わたしは,兄弟と呼ばれる人で,淫行の者……がいれば,交友をやめ(る)……ように,と書いているのです」。(コリント第一 5:9-11)ここでパウロが,以前にコリント人へ書き送った手紙に言及しているのは明らかです。わたしたちは今日その手紙を持っていません。コリントのクリスチャンたちは,聖書の一部にならなかったその手紙を不必要なものと考えていたでしょうか。そうでないことは明白です。聖書の真理を理解し,自分たちの生活に聖書の原則を当てはめるための文書の助けとして,その手紙に感謝していました。

コロサイの会衆に手紙を書いたときにも同使徒は,今はもう存在しない別の手紙,つまりラオデキアのクリスチャンたちに書き送った手紙に言及しています。使徒はこう述べています。「そして,この手紙があなた方の間で読まれたなら,それがラオデキアの人たちの会衆でも読まれるように,またあなた方がラオデキアからの手紙も読むように取り決めてください」。(コロサイ 4:16)ですから,色々な会衆に多くの手紙が書かれただけでなく,それらの手紙は会衆から会衆へ回覧されたのです。そのころ,もし現代あるような印刷施設を利用できたなら,使徒たちがそれを利用してイエスについての情報を当時の世界に大量に提供したことが想像できるのではないでしょうか。

今日は,その現代的な印刷技術を利用できる時代です。ですからエホバの証人は,聖書と印刷された聖書研究の手引きとを大量に世に送るために印刷術を利用しています。このことに異議を唱える聖書的根拠はないはずです。テモテが仕えたクリスチャンたちのように,わたしたちも今日聖書を読む必要があります。しかしそれだけでなく,聖書を理解するために教えられることが必要であり,聖書を自分の生活にどう適用するかが分かるように説き勧めてもらうことも必要です。

しかし,聖書研究の手引きは,神の言葉をわい曲しないものであるとき,また神の栄光を表わし,読者を真の崇拝に導き,世から離れているように助け,イエス・キリストの足跡に従って歩みつつ神に一層近づくように援助するものであるとき,初めて有益なものとなります。エホバの証人が配布する聖書文書は,こうした要求をすべて満たすものであることにお気づきになることと思います。

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