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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 9/1 328–332ページ

イエス・キリストの出現

『あなた方の心の帯を引きしめて働き,全く平衡を保ち,イエス・キリストの出現の時にあなた方にもたらされる恵みある御親切に希望を置きなさい。』― ペテロ前 1:13,新世。

1,2 誠実な心を持つ人々の希望は何ですか? 宗教心を持つある人々は,そのことをどのように見ていますか?

誠実で正直な心を持つた人々は,多くの世紀のあいだキリストの再臨を心から待ち望んでいました。多くの人には,イエスはいつたいどのように来るのか,またその時に何が起るかということについて,明白に分つていませんでした。しかし,約束された祝福が実現されるという見込みで,彼らは希望で満たされています。その時は,裁きの時で,世の終りの時であると語られてはいますが,それらの人々は希望をなくしません。というのは,その時はまた救助の時であると予言されているからです。しかし,この救いは『良い振舞い』の結果として自動的には参りません。それに,その日の臨在も容易には認められず,裁きが行われているということをすべての人は知らないでしよう。イエス・キリストが現われる時,世の大部分の人はそのことに気が附かないということが,聖書を正確に研究すると明らかに分ります。

2 これはなぜそうですか? イエスが地上にいる時人間がうける唯一つの警告は言われましたか? イエスは世の終りの時に発表なしに突然に現われ,そしてすべての人の責任をすぐに処罰されると示しましたか? 宗教心を持つある人々は,こんな風に主張しています。すなわち,キリストが天使たちを従えて雲から目に見えて表われ,すべての人々を火のような裁きに受けさせるまで,キリストは来たことにならないというのです。この同じ人々の信ずるのに,裁きは道徳的な振舞いに基くか,または『十字架につけられたキリスト』あるいは『イエス,そしてよみがえり』の伝道を受けいれるかどうかに基くのであるというのです。(コリント前 1:23。使行 17:18)しかし,そのような理解は全く人間の考えであつて,神の言葉の正確な知識に基いてはいません。

3 (イ)主の前にあつて,責任は最初に,何時そして何処にありますか?(ロ)世界的に何を伝道すべきですか? そして,イエスの出現の時に責任は何に依存しまか?

3 人が全責任を取るようになる以前に,準備の道は主の前につくられると聖書は明白に示しています。主を熱心に求めている人々が,彼は御国に臨在しているということを認める機会を持つ時だけに,主は突然に現われて勘定をするでしよう。聖書によると,この最初の責任は諸国民にあるのではなく,むしろ『神の家』にあると,更に示されています。(ペテロ前 4:17。マラキ 3:1-5)それから全き十分な警告は全地に与えられるとイエスは指摘しました。何が伝道されるとイエスは言つていますか? イエスの『十字架上の死』すなわち杭の上での死が主要なものではなく,また彼のよみがえりが主要なものではありません。これらのことがらは,聖書の重要な教理であり,神の目的と今日の裁きの最高潮にあつて明確な意義を持つていますが,しかしイエスのよみがえりはキリストの初臨の兆として与えられたものであつて,その時以来伝道されています。いまイエスはこう言つています。『御国のこの良いたよりは,すべての国民に対して証しをするために全世界に伝道されるであろう。そしてそれから全き最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新世)テサロニケ人への第二の手紙の中で,パウロが語つているのはこの御国が設立されているという良いたよりのことです。その手紙の中で,パウロはこう論じています。『主イエスは,燃える火の中に天から力ある天使たちをひきつれて,現れ,神を知らずまた私たちの主イエスについての良いたよりに従わない者たちに当然の罰をもたらされる。』(テサロニケ後 1:7,8,新世)それですから,イエス・キリストの現われる時の責任は,世界中に伝道されるであろうとイエスの言つた御国の臨在の良いたよりを人が認めてうけ入れるか,または拒絶するかに依存するのです。

4 今日,諸国民は何を認るのに失敗していますか?

4 裁きのこの最高湖が近づいているのに,それではなぜ諸国民はそのことを認めず,またうけ入れないのですか? なぜならば,キリストは戻つて再臨されているという世界全体に亙る宣伝に対して,注意を払つていないからです。ヱホバの証者は第一次世界大戦の始まるずつと前から1914年に大事件が起ると指摘しました。そして1914年以来,この真理を確証する実際の証拠は『ものみの塔』の記事欄の中に繰り返し指摘されています。諸国民はこの徴を無視し続け,裁きの時はいまでも進んで行われているということを認めようとしません。キリストは1918年に官に表われ,官にいた不法の者たちの二つの級に対しては裁きがすでに行われたということを彼らは見ることができません。(マタイ 24:48-51。テサロニケ後 2:8)その時以来,彼らは人々のあいだに分離が行われているということを見ません。その分離は,彼らの目の直前でなされているのです。(マタイ 25:31-33)彼らは殊更に耳を閉じてしまい,裁きの最高潮は急速に近づいており,その時イエス・キリストは完全に世に現われるので,彼の臨在は疑うことができない明白なものであるという警告の音信を聞こうとしません。亡びをもたらすものは,イエスの臨在についての疑うことのできない明白な証拠です。というのはイエスはハルマゲドンの戦争で災いの裁きを執行する時に御自身を現わされるからです。それでペテロはこう訓しているのです。『あなた方の心の帯を引きしめて働き,全く平衡を保ち,イエス・キリストの出現の時にあなた方にもたらされる恵みある御親切に希望を置きなさい。』(ペテロ前 1:13,新世)私たちが永遠の運命ということを秤にかけて,智慧ある道をとるならば,ヱホバの正義の代表者が裁きを執行して表われる前にその約束された再臨についてできるだけ全部の知識を得るでしよう。その正しい種類の知識に基いて行うことが私たちを護る唯一つのたしかな道です。―伝道之書 7:12。

型を表し示す

5 裁きについて,ヱホバはどんな型を定め持たれていますか?

5 ヱホバは公正な裁きをすることなしに,人を有罪とは決して裁きません。ヱホバは人間に御意を明白に示されており,人間がその御意に固く従うことにより,正しくて良い心を示す十分の機会を与えています。ヱホバは,彼を無視しようとする者たちに対しては,繰り返して警告を与えられています。しかし,有罪であるということが確定される時に,ヱホバの裁きは確かで早いものです。ヱホバが人間と交渉を持たれて裁きをされた歴史のすべてを通して,この同じ型は示されています。キリストの再臨の模型として与えられた二つの実例は,この型を表し示すのに役立ちます。! ペテロ後 2:5,6。

6 ヱホバの代表者が裁きに降臨するとき三つのどんな面がありますか?

6 これに関係して,ヱホバの正義の代表者が裁きの時に訪れるまたは降臨されるのに三つの明白な面あるいは相があるということを注意すべきです。降臨の全期間は臨在と言われ示されます。それから,臨在の目的が明白に表し示される時があります。それは,すべてのクリスチャン達に裁きが始まる時です。最後には,臨在の目的の最高潮がありますが,それは裁きの執行です。これは出現の時です。なぜならば恩恵をうけて有利に裁かれる者たちは救い出され,救いの価値がないと見出される者たちは亡ぼされることによつて訪問の目的はいまや明白に見られるからです。

7 ノアの臨在の時は,何時初まりましたか? ヱホバの恵みは,どのように表わされましたか?

7 最初に洪水以前の期間にいたノアの臨在を考えてみましよう。地は暴力で充ち,神の見るところで荒れ果てました。それで神はその地を亡ぼそうという目的を立てました。ノアの子たちの歴史は,創世記 6章に記録されており,9節(新世)はこう言つています。『ノアは義しい人でした。ノアは,その当時の人々の中にあつて,欠点のない人であるということを証明しました。ノアは神と共に歩きました。』義しい人ノアのその臨在によつて,ノアの生活していた時代は処罰をうけましたが,ヱホバは恵み深くもその世を亡ぼすという彼の目的についての警告を与え,彼の遣した代表者を通して脱出の道を示しました。『その後神はノアに言われた「すべての人の終りは近づいた。人間のために地は暴力でみちている。それで私は地とともに人間を亡ぼすであろう。あなたは方舟をつくりなさい。」』(創世 6:13,14,新世)このように前もつてノアに通知を与えたことは,『ノアの時代』あるいはノアの臨在の時の初まりを示しました。その期間のあいだ,ノアは『正義の伝道者』として奉仕しました。(ペテロ後 2:5)その時の人々は,ノアが居て彼が伝道していたということを確かに知つていました,しかし注意を払わなかつたのです。

8 ノアは,ヱホバの恩恵という証拠をどのようにうけましたか? ノアの臨在の正義はどのように表わされましたか?

8 それからその日は来て,ヱホバ神はノアと彼の家族,そしてすべての動物を方舟に導き入れました。これはたしかに神の恩恵の表われでしたが,しかし前以つてのその警告を頑強に無視し続けた嘲笑者たちは,そのことを認めようとしませんでした。この表われの時とノアが方舟に入つた時のあいだ,道はやはり開かれていましたが,しかしそれは長いあいだではありませんでした。『その後,ヱホバは彼の後ろから戸を閉められた。』(創世 7:16,新世)その時に地上にいたすべてのものの裁きは,いまや印せられました。ヱホバはノアに対して恵みを持たれたという証拠を与え,そしてノアの正義の臨在を認めなかつたすべてのものに対して怒りを持たれたという証拠を与えようとされました。洪水は,ノアの伝道が真実なものであるということについての間違いのない最高潮であり,彼の住んでいた悪い世にたいしての出現でありました。キリストの再臨の時も,そのようでありましよう。

9 ソドムの人たちに対して,ロトはどんな態度と行動をとりましたか?

9 ロトもまた人々に対しての裁きの中で際立つています。ソドムに一時のあいだ住んだロトについて,ペテロは次のように言つています。「(神は)正義のロトを救われた。彼は,不法の人々が放蕩な振舞いをするのに非常になやまされていた。― その正義の人は,彼らの中に住んでいて見聞きする彼らの不法の行いの故に毎日その義しい魂を痛めていた。」(ペテロ後 2:7,8,新世)ソドムとゴモラの人々は悪をしたために,ヱホバはその天使を遣わし,彼らに対して処罰の裁きをもたらしました。ロトはソドムの人々を説得して神の正義につき従わせようと努めましたが,人々は次のように言つてロトを軽べつしました。『この人は,ここに来てほんの暫らくのあいだだけ住んだのに,しかも裁きをしている。』ロトはそれで将来のある婿たちを説得して彼と共に逃げて,保護をうけさせようとしました。『彼は言い続けた「起きよ! この場所より出よ,なぜならばヱホバはこの町を亡ぼそうとしている!」 しかし婿たちの見るところでは,彼は冗談を言つている人のように見えた。』― 創世 19:9,14,新世。

10 ソドムの亡びの実例から,イエスは彼自身の出現について何を明白に示されていますか?

10 ヱホバの天使がロトとその妻,及びその二人の娘たちを連れだして町の外に導いた時でも,ロトは冗談ごとをしているのだと,彼らは疑いもなく考えたにちがいありません。火がソドムとゴモラの上に降り注ぐまで,彼らはそれをヱホバの恩恵の表れと認めませんでした。ヱホバの天使は,正義のロトと共に臨在して出現しましたが,しかし人々が救いをうけるのに,すでに時は遅すぎていました。イエスは次のように言つて,ロトの救助についての説明を強調して結ばれましたが,その時彼自身の出現と裁きの執行を明白に結びつけられています。『しかし,ロトがソドムから出た日に,天から火と硫黄が降つて,彼らをみな亡ぼした。人の子が出現する日にも同じようであろう。』― ルカ 17:29,30,新世。

臨在,表われ,出現

11 パロウシアの意味は何ですか? キリスト再臨について,それは何を示しますか?

11 クリスチャン,ギリシヤ語聖書は,それぞれの場合に違つたギリシヤ語の言葉を用いて,キリスト再臨についての三つの面または相のあいだに明白な区別をつけています。パロウシアという言葉は,クリスチャン,ギリシヤ語聖書の新世界訳でつねに『臨在』と翻訳されています,というのはそれがもともとその言葉の意味だからです。この言葉をキリスト再臨に適用するとき,それはイエスの訪問の初め頃の年を示すのに用いられるか,またはイエスが人類と共にいる全部の時を指し示します。この時は1914年に初まつており,キリストは目では見えませんが,いまや臨在しているということを意味します。

12 エピハネイアという言葉は何を意味しますか? その時に忠実なクリスチャンたちについて,それはなにを指し示しますか?

12 第二番目の言葉で,『表われ』と翻訳されているエピハネイアの意味は,現出する,表われるまたは光りに照らされて目に見えてくるようになるということです。この言葉の使用は,裁きをするためキリストが1918年に宮に表われたことを指し示し,また恩恵のある裁きの初まりを指示しています。すなわち第一に油注がれた者たちですでに死の中に眠つていた者たちはよみがえされ,(テモテ後 4:8)そして第二には,御国の福祉が地上の忠実な油注がれた者たちに委されたということです。

13 アポカリプスイスは何を意味しますか? キリストの再臨の時,それは何を指し示しますか?

13 第三番目の言葉アポカリプスイスは,『出現』と翻訳されますが,その意味は暴露,覆いを取りさる,または露出ということです。この言葉が用いられる時,明白で邪魔のない見方というものが示されています。キリストの再臨に関連して,それは彼の表われがハルマゲドンでの間違いのない出現に変る時を指し示します。それで,不承知の者であつても,彼の臨在をどうしても認めるようになります。

14 どの訪問にも,なぜ非常に目立つ徴が伴いますか? なにのためにユダヤの指導者たちはキリストの初臨に躓きましたか?

14 定められている型について考えてみる時,どの臨在にも非常に目立つ徴が伴われているということを見るのもまた意義深いことです。この兆によつて,ヱホバの代表者が誰であり,またその代表者は権威を持つているということが確証されます。またその徴によつて,その訪問の目的は明白にされ,そして人々の責任を定めることになります。イエス・キリストの初臨を考える時に,このことははつきりしてきます。ユダヤ人の予言者たちは,メシヤのなかに成就される多くの事がらを予言しました。しかし,メシヤが現われるまでは,彼がどのようにその訪問の目的を成就するのか,あるいはそのことがらについて,彼の臨在の全き目的は何かということについて正確に決定することはできません。この理由からして,ユダヤ人のなかで自らを賢いものと思つた宗教指導者たちは,キリストの初臨に躓きました。彼らは,予言の中に彼ら自身の解釈を読もうと努力しましたが,しかしそれらの解釈は,メシヤを遣わすという神の御意と一致しませんでした。彼らの心は,すでに記録されていた型によつて引きしめられておらず,また彼らの中に存在したメシヤの臨在が要求した種類の活動に対して彼らは予期せず準備をしていませんでした。彼らは,ダビデの子孫による御国支配が戻ることによつて自己を高めようとのみを求めましたから,約束された王の『初』臨が必要であるとは分りませんでした。また,約束された王が現われた時,この臨在は自分自身の勝手な考えでは及びもつかなかつたような救助を,彼らになしとげるというのを認めることができませんでした。

責任を定める

15 イエスの初臨の主要な理由は何でしたか?

15 イエスの初臨は二つの目的を達成することであり,人類のための贖いをそなえるためにイエスが来たというのは,第二次的に重要なことがらでした。(マタイ 20:28)第一の理由は,彼を遣わした方への忠実を証明するためであり,ヱホバの宇宙的至上権を確立するためでした。そうする時に,多くのくるしみがあつても,イエスは御国を相続する権利を確実なものとするでしよう。(ヘブル 2:18; 5:8)この義しい路それ自体がイスラエルへの徴しでありました。イエスの宣教は,立証と救いの宣教であるとそれは示しました。

16 イエスは盲の男を癒しましたが,それはイスラエルを処罰するということをどのように確定しましたか?

16 イエスは世を裁きに来ませんでしたが,この伝道と癒しの宣教によつて,イスラエル人たちは処罰をうけました。イエスは次のように言いまました。『私はイスラエルの家の失われた羊以外に遣わされなかつた。』(マタイ 15:24,新世)イスラエル人たちは,イエスの業を認めないであろうと使徒ヨハネは証言しています。『彼は自分の家に来たが,彼自身の民は彼を受けなかつた。』(ヨハネ 1:11,新世)この一つの実例は,イエスが生まれた時から盲であつた人を癒した説明から示されます。ある人がイエスをキリストまたはメシヤとして認めうけ入れるならば,その者を会衆から追い出すべきであるとユダヤ人たちは彼ら同志ですでに決めていました。癒された人は,恐れることなくその奇蹟について証言し,イエスは予言者であるに違いないという信仰を承認しました。パリサイ人は彼を罵り,こう言いました。『お前はあの男の弟子であるが,私たちはモーセの弟子である。神はモーセに語られたということを私たちは知つている,しかしこの男については彼が何処からの者であるか私たちは知らない。』『その男は彼らに答えてこう言つた。「彼が何処からの者かあなた方が知らないとは全く不思議なことだ。あの人は私の目を開けてくれた。神は罪人たちに耳を傾けないということを私たちは知つている。しかし,人が神を恐れ,神の御意をするならば神はこの者に耳を傾けられる。昔しから,盲で生まれた人の目を人が開けたなどとは聞いたことがない。もしこの男が神からの者でないならば,彼は全く何もできないであろう。」彼らは彼に答えてこう言つた「お前は罪の中に生まれた者であるのに,私たちを教えるのか?」 そして,彼らは彼を追い出した』後になつてイエスはその男が会衆から追い出されたといことを聞き,その男を見出した時に人の子に信仰を置いているかと尋ねました。その癒された人は,信仰を置いていると答え,イエスに敬意を表しました。『それでイエスはこう言いました。『この裁きのために私は世に来た。すなわち,見ない者たちは見ることができ,見える者たちが盲になるためである。』『イエスと共にいたパリサイ派の者たちはこれらのことを聞き,イエスに言つた。『私たちは盲ではありませんね。イエスは言われた「あなた方が盲であるならば,罪を持たないであろう。しかし『見える』と言うからには,あなた方の罪は残る。」』― ヨハネ 9:28-41,新世。

17 ユダヤの宗教家たちは,メシヤのどんな徴を求めていましたか? 彼らはイエスについて何を要求しましたか?

17 イエスは,これらの言葉を言われることにより,霊的な癒しもまた行われているということを示しました。霊的な癒しは,罪による処罰から彼らを救うことができましたが,またもし拒絶するならば,彼らを神の怒りの下に置くでしようメシヤの来ることを示すかということにはどのような証拠があるかについて,パリサイ派の人々は,自分自身の考えを持つていましたが,彼らはその考えを強情に持ち続けました。『ここでパリサイ派の人々とサドカイ派の人々は彼に近づき彼を誘惑するために,天からの徴を示すようにと尋ねた。彼は答えて彼らに言われた「悪い邪曲な時代は徴を求め続ける,しかしヨナの徴以外に一つの徴もあたえられないであろう。」』(マタイ 16:1-4,新世)彼らは,人の子の徴を予言したダニエルの予言を心に思つており,メシヤが臨在していると信ずるならば,その予言は彼らの時代に成就されると主張していました。ヱホバの代表者としてキリストの来ることに,彼らは興味を持つていなかつたのは明らかです。彼らにとつて約束されたメシヤは彼ら自身の利己的な利害に奉仕するために来るものと考えていました。

18 イエスは,彼の初臨を確定させるどんな徴を示されましたか?

18 イエスの伝道と癒しの仕事は,正しい心を持つた人々を確信させるのに十分でしたが(ルカ 7:18-23)しかしそれだけにとどまらず彼は国民に特別目立つ徴を与えました。それで,彼らはイエスは確かに神によつて遣わされた者であると認めることができました。『予言者ヨナの徴以外には,徴は何も与えられないであろう。丁度ヨナが大きな魚の腹の中に三日三晩いたように,人の子も地の懐に三日三晩いるであろう。』― マタイ 12:39,40・新世。

19 ユダヤの指導者たちは,その徴にどのように反応しましたか? その徴は,さらに何をすることになりましたか?

19 しかし,宗教家たちはこの徴をよろこんで迎え入れ,証拠として認め信じましたか? イエスは,よみがえりを通して霊になり,正しく義とされ,そして彼の初臨の主要な目的は達成されたということを彼らはいま認めましたか? いいえそれとは全く反対です。徴の現われる時が来た時,彼らはピラトをして墓に封印をさせ,そして兵士の警備隊を置くことによつて,その徴を妨害しようと努めました。しかし,彼らの策略はみじめにも失敗しました。それでその偽善を隠そうと努力し,その徴の重要さを隠し暗まそうと努め,その罪を加えました。墓を警備していた兵士が,イエスのよみがえりについての事柄を報告した時,『彼らは兵士たちに十分の銀貨を与え,そして言いました。「『彼の弟子たちが夜の中に来て,私たちが眠つているあいだに彼を盗んだ。』と言え」』(マタイ 28:12,13; 27:62-66,新世)それで,イエスの初臨の徴によつて,イエスは,試錬をうけそして証明されたメシヤと明らかに示されましたが,しかしまたそればかりではなく,それは弟子たちの伝道を通してユダヤと異邦人の両方の責任を定めました。

20 現代のキリスト教国は,どのようにイスラエルの型に従いますか?

20 現代のキリスト教国は,同じ型に従つています。ユダヤ人たちはその当時のキリストの降臨を待ち望んでいたと主張しましたがそれと丁度同じくキリスト教国はキリストの再臨を待ち望んでいると主張します。パリサイ派の人々や,またサドカイ派の人々は,キリストが彼らの中にすでにいるというすべての証拠を無視して,徴を要求しました。それと同じくキリスト教国の多くの宗派は,キリスト再臨の徴を見ようとはせず,キリストの出現の徴を待つと主張します。しかしその出現は彼らの亡びを意味するものです。

21,22 イエスは,彼の再臨の証拠として,どんな徴を指し示しましたか? 彼の出現について,その表れは何を示しますか?

21 彼らは実際には,ユダヤ人たちが当時に求めていた徴,すなわちダニエルによつて予言されていた『人の子の徴』を拒絶しています。(ダニエル 7:13,14)ユダヤ人たちが躓いたこの徴について,それはイエスが二度目に人の中に臨在する証拠であるとイスエ自身はつきりと指し示しました。『そして,人の子の徴は天に現われるであろう。地のすべての種族は歎き,そして人の子が天の雲にのり,力と大きな栄光をもつて来るのを見るであろう。』(マタイ 24:30,新世)ダニエルは,徴と御国を与えることを結びつけていますから,それは明らかにキリストの臨在の初めと彼が御国に来ることを指し示すものです。この徴はキリストの再臨まで起り得るはずがありません。それでイエスは,後日に起るであろう他の事柄とともに,ヨハネにこのしるしの黙示を与え,そのしるしは彼の臨在と御国とそして力の初まりを示すものであると明らかに示しました。(黙示 12:1,2,5,10)すべての証拠は,1914年がその日であると指し示しています。

22 キリストは,1914年に臨在し始めてから御国の権威をすでに取つておられ,また彼の臨在は裁きの時を始めるのですから,こういうことになります。すなわち,ハルマゲドンの戦いで裁きを執行するために,彼が象徴的な火の中に出現するのは,ごく間近いものであるに違いないということです。(マタイ 24:34)神と神の遣わされた方に対して正しい心を持つすべての人々は,他のあらゆる利害を第二次的に重要なものとして全く振り棄てるでしよう。そしてその心を正確な知識でひきしめ,救いをもたらすことのできる唯一つの活動に心から没頭するでしよう。

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