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  • イエス・キリストをほかにして,だれのところに行けましょう
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1979
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1979
塔79 6/1 20–25ページ

イエス・キリストをほかにして,だれのところに行けましょう

「主よ,わたしたちはだれのところに行けばよいというのでしょう。あなたこそ永遠の命のことばを持っておられます」― ヨハネ 6:68,69。

1,2 (イ)イエス・キリストが言われたことから考えるなら,クリスチャンがだれのところへ行くべきかについては何の不確かなところもありません。なぜですか。(ロ)イエスは宣教の初期に命を得ることについてなんと言われていましたか。どの二つの級が命を得ますか。

重要な決定を迫るこの時代にあって,完全に献身しているクリスチャンの心には,だれのところに行くべきか不確かなところは少しもありません。その道は彼らのために明らかにされています。イエスはその試練の際に彼と共にとどまっていた人たちに話してこう言われました。「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」。(ヨハネ 14:6)その同じ時に,さらにこう言われました。「わたしはぶどうの木,わたしの父は耕作者です。……わたしと結びついたままでおり,わたしが結びついたままでいる者,その者は多くの実を結びます。わたしから離れては,あなたがたは何も行なえないからです」― ヨハネ 15:1,5。

2 イエスの言われたこれらの言葉は,使徒たちや初期の他の弟子たちの生活においてまさに現実となりました。しかも,それは今日に至るまで変わっていません。それに,これらの言葉は,神の天の王国で地位につく見込みのある人たちに対して話されたのですが,今日のキリストの真の追随者すべてがそれから益を得られる真理を述べています。イエスはその宣教の初期に,こう宣言されました。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持つようにされた」。(ヨハネ 3:16)そして,これらの言葉は,イエスがヨハネ 10章16節で次のように述べたすべての羊にも等しく当てはまります。「また,わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,ひとりの羊飼いとなるのです」。

3 (イ)イエスは昇天されてからも追随者たちと共におられますが,一つにはどんな方法でそうしておられますか。(ロ)またどんな方法によっても彼らと共におられますか。

3 エホバ神は永遠の命をめざして,真理の漸進的な光をもってその献身したしもべたちを導く十分の備えを,イエス・キリストを通して設けてくださいました。昇天される少し前,イエスはガリラヤに集まっていた500人ほどの弟子たちに,「見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなたがたとともにいるのです」と述べて彼らを励まされました。(マタイ 28:20。コリント第一 15:6)イエスはどのようにして弟子たちと共におられましたか。その聖霊によってですが,もう一つの方法もありました。イエスはご自分の臨在と事物の体制の終わりについて告げたとき,その関心事を顧み,キリスト教時代全体にわたり時に応じて追随者を食物で養う,「忠実で思慮深い奴隷」を任命することをご自分の追随者に保証されました。忠実であることを証明するなら,イエスの二度目の到来のとき,その「奴隷」級はイエスのすべての持ち物をつかさどるようイエスによって任命されるのです。そうです,イエスはこの「忠実で思慮深い奴隷」によってもご自分の追随者と共におられるのです。―マタイ 24:45-47。

「真理の柱また支え」

4 (イ)イエスが約束を守られたので,イエスの会衆についてなんと言うことができますか。(ロ)イエスの今日の真の追随者たちには,励みになるどんな預言が成就していますか。

4 イエスが油そそがれた追随者たちと共にいてくださるので,クリスチャンの会衆はまさしく,使徒パウロが呼んでいるように,「真理の柱また支え」となっています。(テモテ第一 3:15)その会衆は,実を生み出すことによって,神の霊を持っていることの証拠を示してきました。(ガラテア 5:22,23)これらの,また他の大変多くの点で,エホバのクリスチャン証人は,キリスト教世界,名ばかりの霊的イスラエルを構成している数多くの宗派とは明白な対照をなしています。イエス・キリストは彼らと共におられるゆえに,イザヤ書 65章13,14節(新)の次の言葉は彼らにおいて成就しています。「主権者なる主エホバの言われたことはこうである。『見よ,わたしの僕たちは食べるが,あなた方は飢える。見よ,ほかならぬわたしの僕たちは飲むが,実にあなた方は渇く。見よ,ほかならぬわたしの僕たちは歓ぶが,実にあなた方は恥を被る。見よ,ほかならぬわたしの僕たちは心の良い状態のために喜びにあふれて叫ぶが,実にあなた方は心の痛みのため,霊が全く打ちひしがれるために泣き叫ぶ』」。

5,6 (イ)「奴隷」級は早くから,二つのどんな偉大な真理に対する信仰を表明しましたか。(ロ)大いなるバビロンにいる人々が,贖いの教えを理解できないのはなぜですか。(ハ)イエスの二度目の到来に関する聖書研究者の教えは,どんな点で特異なものでしたか。

5 実際,こうした対照は,エホバの民の現代の歴史の始めごろから明らかになりだしました。イエス・キリストの指導下の「忠実で思慮深い奴隷」の代表者たちは,イエス・キリストと同じく,創世紀の創造に関する記述をも含め,聖書は霊感を受けたエホバ神のみ言葉であるとの強い信仰を表明しました。(マタイ 4:4-10; 19:4-6)特に強調されたのは,イエス・キリストの犠牲の死によって備えられた贖いという基本的な教えでした。(テモテ第一 2:5,6)大いなるバビロンの中にいる人はだれも,この教理を正しく評価することはできません。それは,三位一体,魂の不滅性,永遠の責め苦などの非聖書的な教理を信じたり,イエスが人間となる前にも存在しておられたことや処女から生まれたことを否定しているためです。―マタイ 1:23。ヨハネ 1:1。

6 贖いの教えに対する明確な認識と密接な関係があるのは,キリストの再臨と「臨在」の目的また仕方についての正しい理解です。贖いの価値を備えた「人間イエス・キリスト」と,神の王国で王として支配するために見えない様で再び到来する,復活させられた輝かしい霊の被造物であられる主イエス・キリストとの違いをはっきり認めたのは,当時,「聖書研究者」として知られていた熱心な証人たちだけでした。―マタイ 24:3。ペテロ第一 3:18。

7 キリストの贖いの益を受ける人々のために,二つの異なる運命があることを,どの聖句が示していますか。またそれはどんな理由からわかりますか。

7 また,聖書研究者たちの現代の歴史の初期に,彼らはキリストの贖いから益を受ける人々のために二つの運命,つまり天的な運命と地的なそれとがあることを知りました。そして,イエス・キリストの導きのもとで,天的な報いについて述べる聖句と,地的なパラダイスの祝福について語る聖句とを調和させることができました。キリスト教を信奉していると唱える他のどんな団体もこのことをはっきりと理解していませんが,それは過去100年間わたしたちにとってなんと明らかなことだったのでしょう。聖書は明らかにアブラハムの胤が祝福すると述べていますが,だれを祝福するのでしょうか。自分自身ではなく,人類のすべての氏族を祝福するのです。(創世 22:17,18。ガラテア 3:16,29)子羊と共にシオンの山に立つ14万4,000人は王および祭司としてキリストと共にだれを治めますか。自分自身ではなく,パラダイスの地上で生きてゆく人類の他の人々を治めるのです。―啓示 14:1; 20:4,6; 21:4。

エホバを理解する

8 エホバのみ名と基本的な属性について,初期の聖書研究者は何を理解するようになりましたか。

8 イエス・キリストがこの「忠実で思慮深い奴隷」級と共におられたからこそ,神のみ言葉に関する彼らの理解は絶えず明らかに,そしてさらに正確になってきました。彼らは,「エホバ」という名が唯一真の神の意味深い名であって,これが至高者なる創造者にのみ適用されるものであることを理解しました。(詩 83:18; 100:3)三位一体に関してアタナシウス信経を信ずる人々がこの真理を理解することはとても不可能でした。彼らはまた,エホバ神のきわめて重要な,または主要な属性とも言える知恵,力,公正,そして愛に関して比類のない理解を得ました。煉獄や永遠の責め苦を教えたり,神は世界を改宗させようとしておられると説いたりするキリスト教世界の信条は,このような崇高な属性をお持ちになる神を信ずることと矛盾します。―ローマ 11:33。創世 18:14。申命 32:4。ヨハネ第一 4:8。

9 神が悪の存在を許して来られた理由についてどんなことがわかりましたか。(ヨブ 1,2章。エゼキエル 23:49)

9 箴言 4章18節にある原理に調和して神の言葉の光がいよいよその輝きを増してゆくにつれ,エホバの民は,エホバ神があらゆる悪や苦しみを許してこられた理由をはっきりと悟るようになりました。クリスチャンであると称する他の人々はだれもこの問題に納得のゆく答えを与えることはできませんでした。神はどうしてこのようなことを許してこられたのですか。それはサタンの反逆によって問題となったエホバの宇宙主権の正しさ,正当さに関する論争のためでした。それに加えて,悪魔がどんなことをしても人は忠実を保つことができるかどうかという,それに関連した問題もありました。

『世のものでない』

10,11 (イ)ヨハネ 17章16節は神の民についてどのように真実となりましたか。(ロ)彼らの中立の立場は,イエスのどの言葉が彼らだけにあてはまることを示していますか。

10 イエス・キリストがその「忠実で思慮深い奴隷」級とずっと共におられたことをさらに示す証拠は,彼らがエホバの組織とサタンの組織との大きな相違を理解するようになったことに見られます。エホバの民にとって信仰合同など考えられないことです! 偽宗教とも,サタンの世の他のいかなる部分とも彼らは提携しません。(コリント第二 4:4; 6:14-16)ヨハネ 17章16節のイエスの次の言葉は彼らに,それも彼らにのみ当てはまります。「わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」。したがって,この世の紛争や政治に対する彼らの中立の立場は,エホバの証人が特異な存在であることを示してきました。第二次世界大戦の初めごろは特にそうでした。わたしたちの兄弟たちの多くはその中立の立場のゆえに激しい迫害や投獄に遭い,時には死に追いやられることもあり,また今もそのような事態に面していますが,それでも,北アイルランド,レバノン,ローデシアその他紛争に悩まされている国で見られるように,その立場はしばしば証人たちのために役立ち,命を救われる結果をもたらしています。

11 この中立の立場は,証人たちが真のクリスチャンであることを示すことにさえ役立っています。それはどうしてですか。それはヨハネ 13章34,35節に記されている,「わたしはあなたがたに新しいおきてを与えます。それは,あなたがたが互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなたがたを愛したとおりに,あなたがたも互いに愛することです」というイエスの言葉が証人たちの間に,そして証人たちの中でのみ真実となっているからです。この愛があるので,彼らは部族,人種,政党間の紛争に自分たちを巻き込もうとするあらゆる要求を拒否するのです。

12 カエサルへの服従に関し,クリスチャンはどんな原則により,矛盾しているかに見える聖句を調和させることができましたか。

12 エホバの民は世のものではないために,使徒たちがユダヤ人の支配者に対して述べた,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」という原則を正々堂々と堅持しています。(使徒 5:29)同時に彼らは,上にある権威に服従することに関するローマ 13章にある助言に留意します。彼らはどのようにして,一見対立するように思えるそれらの要求を調和させることができたのでしょうか。それは相対的な服従の原則に従うことによってです。未成年の子供の場合のように親であれ,妻の場合のように夫であれ,雇い主や政府の役人であれ,神の命令を破ることにならない限り,それらのクリスチャンは権威を持つ人々に服従します。そしてローマ 13章5節にある命令通り,単に恐れの気持ちからではなく,良心のゆえに服従するので,彼らは世界中で,法律をよく守り平和を愛する市民として,また良心的な納税者として尊敬されるようになりました。事実,これらのクリスチャンたちと交わる人々すべての思いと心に正しい道徳的原則を教え込むために,真剣で広範にわたる根気強い努力があらゆる階層において払われています。エホバの忠実な証人たちによるそのような努力は,キリスト教徒と称する団体の中では類を見ないものです。重要なのは質であって量ではありません。

13 「奴隷」級と交わる人々は,血の使用について,どんな聖書的立場を取って来ましたか。

13 これらのクリスチャンが世のものでないことを示すもう一つのものは,血の使用に対する彼らの態度です。『血を避けていなさい』という聖書の命令,生命の尊厳が関係している命令を明確に理解し従っているのは,今日,エホバの名を負うそれらの人々だけです。彼らは霊的福祉を第一にします。(創世 9:4-6。使徒 15:28,29)血に関してそのような立場を取るために,彼らのことをよく思わない人たちもかなりいます。現在の命を危険にさらしてもそれを守るからです。しかし,その立場を取るために,輸血に伴いがちな好ましくない副作用を免れることもまた少なくないのです。神の言葉はこの問題について極めて明確に,また繰り返し述べていますが,エホバの民以外にだれがそれを心から信じているでしょうか。だれも信じてはいません!

楽しみにして待つ

14 「忠実で思慮深い奴隷」は,どんな前途を待ち望んで来ましたか。

14 忠節な見張りとして,「忠実で思慮深い奴隷」級は,エホバ神が用意しておられる事を見るのを楽しみにして待ちつづけてきました。現在でもそうです。彼らはその有利な立場から,大患難の近いことを示す増大する証拠をはっきり認めました。その証拠はマタイ 24,25章,マルコ 13章,ルカ 21章のイエスの預言的な言葉の成就であって,この事物の体制が終わりを迎えたしるしです。患難後の新秩序に,すばらしい祝福が人類のために用意してあることは確かです。イエス・キリストによって贖われた人類の住む,文字通りの地上のパラダイス! なんというすばらしい見込みでしょう! 真理と義を愛する人はみな,近づきつつある神の王国の,何ものにも妨害されない支配を心から切望しており,イエスの教え通り,それを絶えず祈り求めています。―マタイ 6:10。啓示 20:6; 21:4。

15 (イ)「奴隷」級も完全ではないので,何をすることが必要でしたか。(ロ)「奴隷」と交わっている人々はこのことによって,何を求められましたか。

15 この希望ゆえに,「忠実で思慮深い奴隷」は神の民すべてに,神の王国の支配の近いことを示す時代のしるしに注意するよう警告してきました。しかしこの点でよく知っておかねばならないことは,この「忠実で思慮深い奴隷」は霊感を受けていたわけでも,完全であったわけでもないということです。「奴隷」級のある成員が書いた書物で,神の言葉のキリスト教の部を構成するようになったものは霊感によって書かれており,誤りはありませんが,それ以後の他の書物はそうではありません。ものみの塔聖書冊子協会の初代会長チャールズ・テイズ・ラッセルの時代に出版されたものも完全ではありませんでした。次の会長J・F・ラザフォードの時代のものも完全ではありませんでした。歴史上の事実のためばかりでなく神の言葉の光も増しゆくゆえに,今日に至るまで,なんらかの点で調整を行なうことが繰り返し必要となっています。しかし,この「奴隷」の動機は常に純粋で,愛他的で,どんなときにも善意に根ざしていたということを,わたしたちは忘れないようにしましょう。また,『神を愛する者たち,つまりご自身の目的にしたがってお召しになった者たちの益のために,神はそのすべてのみ業をともに働かせておられる』という,ローマ 8章28節の言葉もこの場合にあてはまります。実際,合意のうえでなされた調整はいずれも,この「奴隷」の奉仕を受ける人々に,忠節と愛,つまりイエスがご自分の追随者のしるしとなると言われた種類の愛を示す機会を提供しました。(ヨハネ 13:34,35。ペテロ第一 4:8と比較してください)神の律法をほんとうに愛している人には,つまずきの岩はありません。―詩 119:165。

知恵の道

16 以上のことを考えるとき,わたしたちはどんな結論を得ますか。

16 以上,エホバの「忠実で思慮深い奴隷」の歴史を振り返って見ましたが,キリスト教世界の歴史とこれとを比較するとき,どんな結論が得られますか。イエス・キリストはご自分の約束を忠実に履行された,ということです。イエスは昇天された時から今日に至るまで,その「奴隷」によって代表されるクリスチャン会衆と共におられたのです。確かにエホバの霊はその「奴隷」および奴隷と交わる人々の上に豊かにそそがれています。王国の良いたよりを宣べ伝え弟子を作りなさい,という命令に従いつづけているからです。(マタイ 10:7; 24:14; 28:19,20)イエス・キリストと共にいるということは,イエスが喜んで用いておられる人々と共にいることです。真のクリスチャン会衆のほかに,これに代わるどんな組織があるでしょうか。サタンのものである政治上の「野獣」と偽りの宗教のバビロン的世界帝国があるのみです。―啓示 13:1,14,15; 17:3-6。

17,18 (イ)イエスがご自分の肉を食べることやご自分の血を飲むことについて言われたことから,ある人々はイエスを捨てましたが,それはなぜ愚かなことでしたか。(ロ)ですから今日でもどうすることは知恵の道ですか。

17 イエスが弟子たちに,彼の肉を食べ,その血を飲まないなら,弟子たちは自らのうちに命を持たないであろうと告げられたとき,確かに弟子たちはみな不思議に思ったにちがいありません。彼らの多くは憤慨して,もはやイエスと共に歩もうとしませんでした。イエスの述べたそのただ一つの理解し難い言葉のゆえに,それらの人々は大変怒って彼を捨てました。それにしても何と愚かなことをしたのでしょう。そのような道を取った彼らは,その時までにイエスが述べた驚くべき真理すべてを無視したのです。それに,イエスが行なって,ご自分が予告されたメシアなる神の子であることを証明した奇跡すべてについてはどうですか。―ルカ 7:20-23と比較してください。

18 イエスが弟子たちに,「あなたがたも去って行きたいと思っているわけではないでしょう」とお尋ねになったのは適切でした。ペテロは正しい答えを持っていました。「主よ,わたしたちはだれのところに行けばよいというのでしょう。あなたこそ永遠の命のことばを持っておられます。そしてわたしたちは,あなたが神の聖なるかたであることを信じかつ知るようになったのです」。(ヨハネ 6:67-69)今日でも変わりません。前述のことを考えるなら,「忠実で思慮深い奴隷」と交わりつづけることこそ知恵の道です。その「奴隷」は一方で「永遠の命のことば」をわたしたちにわかりやすくし,他方では,わたしたちがその「ことば」を生活の中で生かし,現在および永遠の福祉をはかるよう助けます。わたしたちの中にその「奴隷」がいることを,わたしたちはエホバ神とイエス・キリストに感謝すべきではないでしょうか。

19 「忠実で思慮深い奴隷」の奉仕をエホバ神に感謝していることを,どんな方法で示せますか。

19 ではどうすればその感謝を表わすことができますか。その方法はいろいろあります。宣べ伝えることや弟子を作る点で『忠実な奴隷』に協力することによって表わせます。また会衆の集会に出席することに加えて,この「奴隷」が書物や雑誌の形で供する霊的食物を熱心に摂取することによっても,その感謝を表わすことができます。また,エホバから与えられている仕事をするうえでその「奴隷」にエホバの霊の導きと力づけがあるよう祈る特権があることも,見落としてはなりません。その「奴隷」の世界的活動は費用を要しますが,それをまかなうための物質的な援助を,自分の資力に応じて行なうことも,わたしたちの特権です。こうしたいろいろな方法でわたしたちはエホバが「忠実で思慮深い奴隷」を用い祝福しておられることへの感謝を表わすことができ,また自分が生きた活動的な信仰,業によって証明される信仰を持っていることを示すことができます。―ヤコブ 2:17,26。

[24ページの囲み記事]

エホバの証人が強調する聖書の主要な教え

● エホバのみ名と主権の立証

● キリストは「終わりの時」に王国の権をもって「臨在」する

● イエスの贖いは,復活および永遠の命への道を開く

● 父,子,聖霊は別個の存在で,三位一体なるものは存在しない

● 進化とは対照的に異なる創造

● 人間の魂は不滅ではない

● 世の政治や暴力行為から離れていなければならない

● 血と道徳に関する神の律法を尊重する

● キリスト教世界は「大いなるバビロン」の主要な部分

● 愛およびクリスチャンにふさわしい人格を養う

● クリスチャンの責務は,伝道し弟子を作ることである

● 献身の象徴として,からだ全体を水中に浸すバプテスマを受ける

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