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  • 若者の前に開かれている最も優れた機会
    ものみの塔 1985 | 8月15日
    • 得ようと努める人々の目標よりもはるかに高い目的を帯びることになります。(テモテ第二 3:10)大学での奨学金を返上し,全時間の福音宣明者となった一人のクリスチャンの若者が力強く述べているとおりです。「私は良いたよりを教える者となり,愛ある父について学ぶよう他の人を助けることにより,望み得る最善の仕事をしています。しかも,“特別手当”とも言える,自分自身の人格の向上は,ほかのだれも与えてくれない優れたものです。それに加えて,もはや悲しみのない楽園で永久に生きるという見込みがあります。ですから,だれがこれ以上の良い生活を望み得るだろうか,と自問してください」。

      21 『自分としてはどうすれば敬虔な専心を培えるだろうか』と尋ねる方がいるかもしれません。その答えを得るために,次の記事をお読みください。

  • 敬虔な専心を目ざして訓練しなさい
    ものみの塔 1985 | 8月15日
    • 敬虔な専心を目ざして訓練しなさい

      「敬虔な専心を目ざして自分を訓練してゆきなさい」― テモテ第一 4:7。

      1 ある優れた走者が勝てなかったのはなぜですか。

      その女性走者は自分が出場する種目ではチームの中で最も良い成績を収めていました。それまで何度も勝利の栄冠に輝いていたためこの女性は国家的な評価を受けており,名高いこの陸上競技大会でも勝つものと期待されていました。ところが,そのレースの成績はそれまでの選手生活の中で一番悪く,コーチも,チームの仲間も,自分自身もすっかり落胆してしまいました。なぜそうなったのでしょうか。その若い女性は大変きまり悪そうに,「だらだらと練習していましたし,厳しい訓練をやめてしまっていました。コーチはもっと厳しいトレーニングをさせようとしましたし,警告もしてくれたのですが,わたしは耳を傾けませんでした」と,告白しました。正しい訓練をしなかったために,目ざしていた勝利を逸してしまいました。

      2 クリスチャンはどのような点において訓練しなければなりませんか。訓練の仕方についてすべての人が知りたいと願うべきなのはなぜですか。

      2 クリスチャンであれば,とりわけ若い人なら,あなたにも大切な訓練があります。「敬虔な専心を目ざして自分を訓練してゆきなさい」。(テモテ第一 4:7)『訓練してゆく』に相当するギリシャ語(ギュムナゾー)は,運動選手が体育場<ジムネイジアム>で行なった,猛烈で,時に苦痛を伴う練習を指していました。ですから,使徒パウロは敬虔な専心とその報いについて,「わたしたちはそのために骨折って働き,また努力しているのです」と付け加えました。(テモテ第一 4:10)欠くことのできないこの特質はただ自然に体得できるものでも,敬虔な両親から自動的に移ってくるものでもありません。ではどんな方法を講じるべきでしょうか。あらゆる年齢層のクリスチャンがその点を知りたいと願うべきです。

      神と良く意思を通わせる

      3 (イ)個人研究が非常に重要なのはなぜですか。(ロ)あなたは神のどんな特質に引き付けられますか。

      3 敬虔な専心が,エホバの持っておられる特質に対する心からの認識と関係している以上,エホバが実際にどのような方かを知る必要があります。エホバはそれを聖書の中で知らせておられますが,あなたはそのみ言葉と,聖書に基づいた出版物を注意深く研究し,それによって「信仰と……りっぱな教えの言葉で養われ」なければなりません。(テモテ第一 4:6)そのような研究を行なえば,「エホバの快さ」を理解するよう助けられます。―詩編 27:4。

      4 どんな経験が個人研究の価値を示していますか。どんな質問を真剣に考慮すべきですか。

      4 22歳になる全時間の福音宣明者(開拓者)は,「エホバについて学べば学ぶほどエホバに近づくように感じられます。私は預言を読んでその成就の仕方を理解する時,エホバを恐れる立場に立たされます。個人研究は確かに私を助けてくれます」と述べています。重症のうつ病にかかっていた16歳の人は「目ざめよ!」誌に毎号掲載される「若い人は尋ねる」という連載記事の一つについてこう書きました。「絶望していたちょうどその時にこの記事が出ました。とてもうれしかったので途中でやめることができませんでした! その雑誌のおかげで,エホバを一層身近に感じましたし,エホバがたいへんよく理解してくださり,気遣ってくださることが分かりました。もうきちんとやってゆけると思います」。a あなたは協会の発行する雑誌を毎号読むことにしていますか。努力が必要だとしても,聖書の個人研究によって自分の思いと心を養う時間を取りますか。自分自身で研究を行なえば,自分が真理を持っていることを確かに確認できるのです。そのような知識が心に達するとき,その知識はあなたに動機づけを与えると言ってよいでしょう。それは「敬虔な専心にかなう教え」だからです。―テモテ第一 6:3。ローマ 12:2。

      5,6 どんな祈りをすれば神に一層近づくことになりますか。例を挙げて説明してください。

      5 神と良く意思を通わせるには心からの,また具体的な祈りも関係しています。それはエホバとの個人的な交友関係を築く助けとなります。過ちを犯したなら,「わたしの若い時の罪と反抗とを,どうか思い出さないでください」と述べたダビデのように嘆願する気持ちを抱いてください。(詩編 25:7,11)そして,悔い改めるならエホバがあなたを許してくださることを知ってください。じっくり祈り,自分の心を注ぎ出すことを学んでください。ある若者は敬虔な家庭で育てられたにもかかわらず,言語障害に妨げられて,真の宗教にかかわることを避けていました。この22歳の女性は次のように打ち明けています。「そのうちある晩のこと,私はエホバに,『長老たちや親がさせたいと思っているからではなく,自分自身であなたに仕えたいと思えるよう私を助けてください』と願い求めました」。この人の生活は見事に変わり始めました。どもってしまうにもかかわらず宣教に十分携わるようになり,喜びにあふれて,「いつもエホバが助けに来てくださることが分かったので,何もかもエホバにお任せしています」と言明しています。―詩編 62:8。

      6 一人の若いクリスチャンは,開拓者になる自分の計画について具体的に祈りました。その祈りが聞き届けられた時,その女性は力をこめてこう言いました。「エホバが現実の存在で,私たちを気遣ってくださることが分かりました。それまでも,自分には神との結び付きがあると考えていたのですが,今ではエホバが友のような,最良の友のような気がします」。エホバは必ずしも何か華々しい仕方で答えてくださるわけではありませんが,あなたが真剣に祈り,自分の祈りに調和して行動するなら,エホバの愛ある導きを理解するようになります。―詩編 145:18。

      正しい良心を保ちなさい

      7 良心とは何ですか。正しい良心を保つべきなのはなぜですか。

      7 パウロはテモテに対し,『正しい良心を保ち』続けるよう勧めた時,そうするには断固とした努力が必要であることを知っていました。(テモテ第一 1:19)なぜそう言えますか。わたしたちの良心とは,自分自身を吟味し,自分が行なったこと,あるいは行なおうとすることに関して判断を下す,神から与えられた能力です。良心はわたしたちを「とがめ」,痛みを与える仕方でわたしたちの歩みを非難することもあれば,わたしたちについて『釈明し』,自分の行なっていることは正しいと承認することもあります。(ローマ 2:15)しかし,良心がゆがんでしまうと,欠陥のある情報が送り出される可能性があります。欠陥のある良心を持った一部の人々は,“内なる声”に『とがめられる』こともなく,残酷な動物のように行動することがあります。「その業では神を否認」しながら,「神を知っていると公言」することさえあるのです。欠陥のある良心を持たないようにするためどのように自分を守ることができますか。―テトス 1:10-16。

      8 1世紀のある人々はどのように正しい良心を『押しやり』ましたか。

      8 パウロは,あるクリスチャンが「作り話」や「聖なる事柄を汚すむだ話」に『注意を寄せること』により,正しい良心を「押しやって」しまった,とテモテに告げました。(テモテ第一 1:4,19,20; 6:20。テモテ第二 2:16-18)そのような話に聴き従ったため,彼らの信仰は覆され,霊的な破船という結果を招きました。しかしパウロは,背教的な教えのほかにも,「健全な教えに反する事柄」があることを示しました。テモテ第一 1章9,10節でパウロは,殺人,淫行,同性愛行為などを挙げています。

      9,10 (イ)正しい良心を保てなかった一組のクリスチャンの例から何を学べますか。(ロ)わたしたちの良心が麻痺するのをどのように未然に防げますか。

      9 今日,暴力と性の不道徳は,種々の出版物にも,映画やテレビ番組にも浸透しています。そのようなもので自分の思いを養うとしたら,わたしたちの良心はしだいに麻痺してしまうことになりかねません。一組の若いクリスチャンにそうしたことが生じ,二人は結婚式のすぐ前に淫行を犯してしまいました。若い女性のほうは次のように告白しています。「そうなったのは,テレビで見ていたことと関係があると思います。ネッキングやペッティングを四六時中している人を見ていれば,そうしたことが重大なことには思えなくなります。慣れてしまうのです。それで私たちもそういうことをし始めたのです。それがいかに重大なことかについてもっと考えていさえすればよかったのです」。この女性はそれを悟る前に正しい良心を失ってしまいました。若い男性のほうはこう付け加えました。「私にはマスターベーションの問題もあり,そのために良心が麻痺し,わけなくネッキングやペッティング,そして最後には淫行へと走ってしまったのです」。この二人は他の人に対して良い模範を示しているように見えましたが,楽しみのために見たものと,ひそかな汚れた行為が相まって,ちょうど赤く熱した焼きごてを何度も当てると肉が焼けて無感覚になってしまうように,二人の良心も無感覚になってしまったのです。―テモテ第一 4:2。

      10 あなたの良心もこの二人の場合と同じく,楽しみのために見たり読んだりするものによって無感覚にされてしまうことがありますか。自分の良心を汚しかねないどんな悪い習慣をも克服するよう本当に一生懸命努力していますか。自分を守るためには,自分の問題を特に扱った聖書文書を何度も繰り返して読むことにより,あるいはその問題を長老と話し合うことにより,積極的な行動を取ることができるでしょう。正しく清い良心は,敬虔な専心を培うのを助ける,神からの貴重な賜物です。何ものにもそれを奪い去らせてはなりません。

      ふさわしい仲間を選びなさい

      11,12 (イ)テモテ第二 2章20,21節ではどんな警告が与えられていますか。(ロ)その警告にどのように注意を払えますか。

      11 使徒パウロはこのように書いています。「大きな家[会衆]には,金や銀の器だけでなく,木や土の器もあり,あるものは誉れある目的のため,あるものは誉れのない目的のために用いられます。そこで,これらあとのものから離れているなら,その人は誉れある目的のための器,神聖にされたもの,持ち主に有用なもの,あらゆる良い業のために備えのできたものとなります」。(テモテ第二 2:20,21)わたしたちの感情や行状は友として選ぶ人々から大きな影響を受けます。未信者が最善の仲間とならないことは言うまでもありませんが,ここでパウロは,会衆内にさえ,仲間としては望ましくない人がいる場合のあることを率直に示しています。確かに,それらの人たちは一緒にいると楽しいように思えるかもしれませんが,その影響力は,「若さに伴いがちな欲望から逃れ」たり,敬虔な専心を培ったりする面で決して役立つものではありません。会衆内の築き上げる仲間を得るよう努めてください。パウロは22節で,「清い心で主を呼び求める人々と共に,義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」と続けて述べています。―フィリピ 4:8,9と比較してください。

      12 敬虔な訓練を受けてきたにもかかわらず,いつも面倒な事件を起こしていた一人のクリスチャンの若者を例に取って考えてみましょう。その女性は,「そのようになったのは,主に,私が付き合っていた人たちのせいです」と言いました。自分の生活がだめになってゆくことが分かったのでこの女性は友達を変えました。「エホバを愛する友達がそばにいれば,敏感な良心を保ち,問題に陥らないように助けられます。悪いことに対して友達が嫌悪感を表わすとき,自分も同じように感じることになるのです」とこの人は結んでいます。疑わしいところのある仲間から遠く離れていることにより,この女性は「[自分の]持ち主に有用なもの,あらゆる良い業のために備えのできた」器となりました。開拓者として10年奉仕してきたこの人は,「今はエホバが,他の人を助けるために私を用いておられることが分かります」と付け加えています。―テモテ第二 2:21。箴言 15:31。

      13 良い仲間をどのように見極めることができますか。そのような仲間はあなたにどのような影響を与えるかもしれませんか。

      13 したがって,自分の仲間について現実的に考慮してください。その仲間は義と信仰と原則に基づいた愛と平和を追い求めていますか。クリスチャンとしての熱心さにあふれていますか。そのような人々を親しい友とするなら,あなた自身も,パウロの親しい仲間であったテモテと同じように,語ることにも,行状にも,愛にも,信仰にも,貞潔さにも模範となることができます。これは,やや模範的とは言い難い人々に対し,冷淡でよそよそしい態度を取るべきだという意味ではありません。あなたの喜びにあふれた模範は,自分たちの足のためにまっすぐな道を作るようそれらの人々を動かすかもしれません。―テモテ第一 4:12。ヘブライ 12:12-15。

      神のために犠牲を払いなさい

      14,15 (イ)古代の運動選手には,訓練の期間中,何が求められましたか。(ロ)どんな業には犠牲が求められますか。どんな良い例がありますか。

      14 テモテの時代,運動選手は訓練の期間中,「すべてのことに自制」を働かせ,正当と認められる多くの楽しみを控えました。(コリント第一 9:25)厳格な規定食を摂り,西暦前1世紀の詩人ホラティウスによれば,「宿願の目標に到達する」ために「女性とぶどう酒を断ち」ました。同様に,敬虔な専心を目ざして訓練するには犠牲が必要となります。パウロはテモテについてこう述べました。「彼のような気持ちの者は……ほかにいないのです。ほかの者はみな自分の益を求め,キリスト・イエスの益を求めていません。しかし……[彼は]良いたよりを推し進めるため……わたしと共に奴隷として仕えてくれた(の)です」― フィリピ 2:19-22。

      15 テモテは,「福音宣明者の業をなし,自分の奉仕の務めを十分に果たしなさい」と命じられていました。(テモテ第二 4:5)テモテの個人的な益,つまり関心事の中にどれほど魅力的なものがあったにせよ,テモテはそれらを神の業を完遂するために犠牲にしました。あなたも進んで同じようにしますか。今日,聖書的に重い責任のない若いクリスチャンたちの中には,クリスチャン宣教を生涯の仕事とするのではなく,高等教育や給料の良い全時間の仕事を追い求めている人がいます。そのうちの一人は,そのような仕事に就くのを心待ちにしていました。ところが,仕事を始める前にこの人は,ひと夏じゅう一組の開拓者の夫婦と野外奉仕で共に働く招待を受け入れました。この若者はその奉仕が好きになりました。その結果,あれほど切望していた全時間の仕事を犠牲にし,開拓奉仕を行なうため,比較的面白味の少ないパートタイムの仕事を選びました。テモテのようなこの精神をもって,この人は今エホバの証人の世界本部で奉仕しています。進んで犠牲を払う態度は真の愛の証拠であり,この人が悟ったように,そうした犠牲はその愛を深めるのです。

      16 若い人々が払わなければならないかもしれない犠牲には,どんなものがありますか。

      16 パウロは「宣べ伝える者,また使徒」として,慎み深い服装が望ましいことを強調しました。あなたは,他の人を不快にさせたり,宣べ伝える業の効果性を妨げたりするようなある種の服装や身繕いを進んで犠牲にする気持ちがありますか。(テモテ第一 2:7-10)パウロは続けて,「敬虔な専心のうちに生活しようと願う人はみな同じように迫害を受けます」と書きました。(テモテ第二 3:12)あなたは,あざけられることになったとしても真理を擁護し,級友から好かれるという立場を犠牲にしますか。正しい動機で払われるこうしたすべての犠牲は,敬虔な専心を培う助けとなり,同時に,エホバを信頼し,ほかの何よりもエホバの感情を考慮するようあなたを教えるものとなります。

      進歩を続けなさい

      17 進歩を遂げる点において,テモテは今日の若い奉仕者たちにとってどのような手本となっていますか。

      17 敬虔な専心を培うのは継続的な過程です。パウロは,「これらのことをよく考えなさい。それに打ち込んで,あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい」とテモテに告げました。(テモテ第一 4:15)中には,年若いために奉仕の僕や長老になれず,進歩は会衆内の責任や特権によってのみはかられると考えて,進歩は不可能だと思う人がいるかもしれません。確かにテモテは霊的な進歩の面だけではなく,年齢の面でも長老として仕える資格を有していました。しかしテモテはもっぱら励み続けなければなりませんでした。その点においてテモテは,すべての若い奉仕者たちが,自分たちの前に開かれるどんな分野においても従うべき顕著な手本となっています。―テモテ第一 4:12,13。

      18 若いクリスチャンはどんな点で進歩できますか。

      18 ですから,エホバの円熟しつつある僕である皆さんも,テモテのように,自分の生き方が真理の大きな影響を受けるようにし,自分の宣教を改善することにより,「忠実な者たちの手本」となることができます。習慣に節度を保ち,秩序正しく,人をよくもてなし,まじめであるといった特質を培うことを学んで,今すぐにでも進歩するための努力を払うことができます。長老たちにとって用いやすい者となり,長老たちから依頼されるどんな仕事にも真剣に取り組むことにより,自分が『試された結果ふさわしいこと』を証明することになるよう努力できます。(テモテ第一 3:1,2,8-10)あなたの進歩が他の人々から直ちに認められないとしても,エホバはご存じであることを確信してください。やがて他の人々からも知られるようになるでしょう。―テモテ第一 5:25。

      19 努力が求められるとしても,敬虔な専心を目ざして自分を訓練してゆくべきなのはなぜですか。

      19 敬虔な専心を培うことによって,エホバとの是認された個人的な関係が得られることを決して忘れてはなりません。霊的な訓練が不足していると,この記事の冒頭に出てきた,きまりの悪い思いをした走者よりもはるかに大きな損失を被ることになります。敬虔な専心を培うのは並大抵のことではありません。しかし,世界中で,「努力するだけの価値はあります!」という喜びにあふれた大勢の若者の声が響き渡っています。この特質を得るなら,今も後悔することのない満足のゆく生き方ができ,とこしえの幸福への希望が開かれます。ですから訓練を続けてください。困難なときにも引き続き最善を尽くしましょう。次の言葉から慰めを得てください。「あらゆる過分のご親切の神は,自らあなた方の訓練を終え,あなた方を確固とした者,強い者としてくださるでしょう。その神に偉力が永久にありますように。アーメン」― ペテロ第一 5:10,11。

      [脚注]

      a 「ものみの塔」誌の姉妹誌である「目ざめよ!」誌の1982年11月22日号に掲載された「わたしはなぜこんなに憂うつな気分になるのだろうか」という記事。

      答えることができますか

      □ 神と良く意思を通わせ続けるにはどんな努力が必要ですか

      □ 正しい良心を保つことには何が関係していますか

      □ 敬虔な専心を培う上で,テモテ第二 2章20-22節をどのように適用できますか

      □ 若いクリスチャンはどのように進歩できますか

      [17ページの囲み記事]

      心の温かな,わたしたちの神の幾つかの特質

      ■ 感情を持っておられるので,わたしたちの行動が神に「痛みを覚えさせ」ることも,歓ばせることもある。―詩編 78:40。箴言 27:11。

      ■ 人間はしばしば他の人の外見だけを見るが,神は「心がどうかを見る」。―サムエル第一 16:7。

      ■ わたしたちを気遣っておられ,わたしたちの思い煩いをご自分にゆだねるよう招いておられる。そして「苦難の日のとりで」であられる。―ナホム 1:7。ペテロ第一 5:7。

      ■ 「幸福な神」と呼ばれ,ご自分の僕たちを「喜びとされる」。―テモテ第一 1:11。詩編 35:27。

      ■ 不公正に行動することも,不公平を示されることも決してない。―ヨブ 34:10。使徒 10:34,35。

      ■ 悪行を大目に見ることはされないが,過ちや弱さを悔い改めるなら,「わたしたちの罪に応じて」行なわれることも,「当然受けるべきものをわたしたちに」もたらすこともされず,「進んで許してくださる」。―詩編 86:5; 103:8-14。

      ■ 近づきやすく,ご自分の忠節な被造物がその能力を用いることを勧めておられる。無限の知恵を持っておられるにもかかわらず,提案に耳を傾けられる。ダビデ王は,「あなたの謙遜さがわたしを大いなる者とするのです」と書いた。―詩編 18:35。列王第一 22:19-22。

      [20ページの図版]

      多くのクリスチャンは,給料の良い仕事よりも宣教に深い喜びを抱いている

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