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出版物を賢明に用いる王国宣教 1975 | 1月
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出版物を賢明に用いる
1 わたしたちのうちだれも物を浪費するようなことがあってはなりません。イエスは主人の品物を浪費するような仕方で扱った家令を「不義」な者とされました。(ルカ 16:1,2,8)それとは対照的に,イエス・キリストは神が備えてくださったパンと魚を分配した後に,彼の弟子たちに告げられました。「余ったかけらを集め,何もむだにならないようにしなさい」。わたしたち自身は今日エホバが設けてくださった備えに同様な態度を示しますか。―ヨハネ 6:12。
2 エホバは今日ご自分のしもべたちにより用いられる出版物を「奇跡的」に増やすことをなさいません。しかし協会の支部における兄弟たちの精力的な努力を通し,また全地の兄弟たちの寄付を通して備えてくださいます。そしてブルックリンやものみの塔農場の施設で4,571万8,920冊の書籍,1,387万4,957冊の小冊子そして2億6,850万9,382冊の雑誌を昨奉仕年度中に生産しても,それでも夜間操業を拡大したり機械類を追加購入して,絶えず増加する聖書や文書に対する需要に歩調を合わせねばなりませんでした。わたしたちは喜んでそうします。
3 しかしいろいろな報告は,ある意味で,多くの出版物が賢明に用いられていないことを示しています。しばしば聖書,書籍,歌の本そして雑誌は王国会館や大会の座席に所有者のないままに放置されており,あるいはまだかなり良い状態のまま捨てられています。また,多くの雑誌が注文され,発行日付を過ぎただけで捨てられているという報告もあります。これら天的な主人の備えてくださった物が確かに賢明に用いられるようにするため何を行なえるでしょうか。
4 聖書が書かれていた期間,聖句は巻物の上に手で書き写され,とても貴重なものと考えられました。パウロはテモテに次のような教訓を与えました。「こちらへ来るさい,わたしがトロアスでカルポのもとに置いてきた外とう,それに巻き物,特に羊皮紙のものを持って来てください」。(テモテ第二 4:13)パウロは自分の衣類を価値あるものとし,信頼された兄弟に外とうを残してきました。同様に,彼はこれら巻物を価値ある物とし,テモテの世話で安全に送り届けられるようにゆだねたのです。今日神のことばに同様な認識を持つ両親は,子供が高価な衣服をだめにしてしまうのを許さないのと同じようにクリスチャンの出版物をだめにしてしまったり,書きなぐったりすることを許しません。出版物が廉価で出されているということでわたしたちが出版物に対する価値を過小評価するようなことがあってはなりません。また,紙の値段は高くなり続けており,いろいろな種類の紙は市場で調達が難しくなっています。聖書,書籍,歌の本,雑誌などに対するふさわしい注意を払うことはそれらを有用に使用できる期間をのばし,野外奉仕や会衆での集会にこれら出版物をもっときちんとした外観であらわせるでしょう。このように,浪費しないようにしてイエスの模範に従うだけでなく,さらに感謝の態度によりエホバを賛美します。―詩 50:23。
5 会衆の長老たちは会衆により配布されているよりもはるかに多くの雑誌が注文されているのに気付くかもしれません。もしわたしたちは古い雑誌が自分の家にたまっているのに気付くなら,これらを療養所とか病院で配布したり,非公式の証言や留守の家で配布するなど特別の努力を払ってみてはいかがでしょうか。もしわたしたちがこのようにして用いることができるよりも多くを持っているとするなら,雑誌が何か月か古いものとなってしまったとしても,会衆内の他のだれかがこれを用いることができるかどうか長老に尋ねてみてはいかがですか。もしわたしたちの個人の雑誌注文が定期的に自分が配布できる以上のものだということが分かれば,より少ない雑誌の注文をすることはさらに良いと思われます。
6 老若を問わず,わたしたち各人は,エホバの組織を通してなされる備えに認識を示すべきです。どのようにですか。聖書や研究の手引きとなるものを賢明に用い,清い崇拝の関心事を押し進める ― という本来の目的に用いられるように,不注意にむだにされたりすることがないように見守ることによってです。
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わたしたちの中の年取った人々を軽んじない王国宣教 1975 | 1月
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わたしたちの中の年取った人々を軽んじない
1 ずっと昔の時代からエホバの民の中で年取った人々には高い敬意が払われてきました。年がもたらした経験や知識のゆえに,また年齢が生み出す知恵や健全な判断のゆえに,年取った人々は尊敬されました。エリフはヨブの三人の友に話をする時にこうした敬意を示しました。(ヨブ 32:6,7; 12:12)ご自分を『日の老いたる者』として呼ばれるエホバは次のように命じておられます。『白髪の人の前には起ちあがるべしまた年寄りの身を敬……うべし』― レビ 19:32。ダニエル 7:9。
2 年齢に対する敬意はクリスチャン会衆内でも明らかです。長年にわたる忠実な奉仕を通してもたらされる知恵は,仲間の兄弟全体に対し重要で有益な貢献をします。この過ぎゆく古い体制の態度に影響を受けず,わたしたちは年取った人々をわたしたちのうちに持つ祝福に対し感謝しています。しかし,わたしたちはいつもそれを示しているでしょうか。あるいは,時々無意識のうちに年取った人をなおざりにして,自分たちへの大きな祝福を得そこなうようなことがあるでしょうか。
3 年取った人々は集会で歓迎され,いつでも自由に集会に参加することが励まされていると感じているでしょうか。これらの方々が集会に出席するのを助けるような取決めができていますか。たとえこれら年取った方々のうちのある方は群れの中の他の方々ほど永く留まれないとしても,野外奉仕に対する援助が取り決められていますか。これら年取った方々は食事を共にしたり,楽しい交わりを持つなど個人的な社交的取決めが設けられる時,その中に含められますか。
4 健康の理由で家に閉じこもったり,寝たきりであったり何かの施設に入っている人々についてはどうですか。長老や他の方々により定期的な訪問がなされ,最新の霊的食物がそのような人々に与えられていますか。年若い人々はそのような病弱な人々の買物,家の仕事,使い走りなどを行なってあげるよう励まされていますか。視力が弱っているような年取った人々に聖書や協会の出版物を喜んで読んであげるでしょうか。年取った人はいろいろな情況下で援助を求めることをためらうかもしれません。しかし援助が与えられるなら,これらの方々が深く感謝を示すことに何の疑問もありません。
5 未信者の親族が,体の不自由な年取った兄弟に対する責任を取って,会衆が知らない間に遠く離れた家とか施設に入れてしまったというようなことがありました。もし会衆がこうした人の所在を知るために懸命な努力を行ない,最寄りの会衆にクリスチャンの交わりの必要につき知らせないとしたら,これはわびしくて,さびしい孤立となりかねません。それまでの間,もとの会衆は電話,手紙,あるいは訪問するなどしてできるだけ連絡を保つようにすべきです。
6 年を取ると時には振舞いに影響するような無秩序をもたらすことがあり,こうしたことが会衆の気になるようなこともあります。長老たちは大きな愛,おもいやり,そして理解をもってこうした問題に近づくべきであり,決してきびしくあるいは不親切に問題を扱ってはなりません。(テモテ第一 5:1)重い病気や必要が生じる時,年取った兄弟たちはそうした情況を会衆が気付いて援助を差し伸べようとし彼らに愛を表わす機会を本当に認識しているかどうか知る必要があります。
7 エホバの年取ったしもべたちはいつも会衆の愛,認識,そして敬意を感じさせられているべきです。世が普通行なっているように,これらの人々に注意を払わないということよりも,これらの人々に尊貴とほまれを帰し,老いることのない天の父の愛ある見方を反映しましょう。―箴言 16:31。
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