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キリストを見分けるものみの塔 1969 | 5月15日
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で,その地位は神の霊で油そそがれてはいても,イエスの弟子たちはあずかり得ない,名誉ある地位でした。
称号を連ねることを好むキリスト教国の宗教指導者とは異なり,イエスは多くの称号を持ちませんでした。聖書は決して,主キリスト・イエスとか,王キリスト・イエスというように,称号を一緒に用いていません。ひとつ以上の称号を用いるときには,「主イエス・キリスト」とか「キリスト・イエス,われらの救い主」というふうに切り離しています。テモテ後書 1章10節は,「われらの救主キリスト・イエス」となっているので,これは例外のように思えるかもしれませんが,ギリシア語本文では,「救い主」および「キリスト」という称号は,「わたしたちの」という代名詞で分離されているのです。
イエスが約束のメシヤであったことを証明する,聖書中の圧倒的証拠は,イエスをキリストと言ったペテロの告白を支持しています。そのうえペテロは,イエスの行なわれたこと,言われたこと,預言の成就としてイエスに生じたことの目撃者でした。ですから彼は言いました。「我らは我らの主イエス・キリストの能力と来りたまふ事とを汝らに告ぐるに,巧みなる作り話を用ひざりき,我らは親しくその御威を見し者なり」― ペテロ後 1:16。
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『こうべを上げ』て救いを知らせるものみの塔 1969 | 5月15日
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『こうべを上げ』て救いを知らせる
エホバの証人の1969年度年鑑より
キューバ
キューバにおける「良いたより」の伝道活動は反対を受けていますが,エホバの祝福をも受け続けています。区域のいたる所の状態は,パウロが,「そは活動のために大なる門,わが前にひらけ,また逆ふ者も多ければなり」と書いたのとまさに似ています。(コリント前 16:9)キューバの兄弟たちは,この御国のわざを推し進めるために可能なかぎりの事をしています。
一人の兄弟は次のような経験を寄せてきました。「わたしたちの天の父のすばらしい助けのことを思うと,喜びはあふれるばかりです。反対が増し加わり,悪鬼の手先がわたしたちを黙らせようとしてあらゆる種類の妨害をしていますが,エホバの過分の恵みにより,エホバに当然帰すべき賛美と栄光をささげ続け,神の導きと確かな保護をさがし求めている人を励ますことができます。仲間の奉仕者たちの多くが,神の国の良いたよりを伝道した罪で,あるいは中立の立場を取ったことで,6か月から10年の投獄刑に処せられてはいますが,それでもわざは続けられています。政府の手で閉ざされていなかった御国会館での集会中に逮捕された人もいます。困難な状態にも負けず,仲間の伝道者たちはともに集まって神のみことばを学び,イエスが命じられたわざを行ない続けています。そのため,エホバの祝福がこのわざにそそがれ,伝道者の数は増加しているのです」。
オリエンテ地方のマナティでは兵役を拒否した一群の兄弟たちが,10年間の投獄刑を受けています。彼らはサトウキビを刈ることを割り当てられ,その仕事を熱心に行なったので,いわゆる「百万長者」の組になりました。政府は100万アロバ(11.5キロ)以上の茎を刈るグループをそう呼んでいるからです。しかしその良い働きに対して恩恵を受けるかわりに,兄弟たちは,こぶし,棒,銃の台じりなどでなぐられ足でけられ,また銃剣で突かれたりさえしました。なぜそのような仕打ちを受けたのですか。エホバの証人である彼らは男色者と同じ小屋に住み続けることを拒絶したからです。その種の者たちに悩まされたのち,彼らは看守に抗議に行ったところ,ひどく打たれてしまったのです。この残酷な行為に対して兄弟たちの家族から抗議が出されており,当局が看守たちに対し,地位を乱用してこれらの勤勉で神を恐れる人々に不当な苦しみを加えるのをやめさせる手段を講ずるよう期待されています。
一昨年と同じく,ある所では御国会館はいまだに自由に使え,他の場所では閉鎖されています。集会や崇拝のために御国会館が使えるように,法律による闘争を続けています。兄弟たちは霊的に十分養われ,「神の永遠の原則に従いましょう」および「エホバの御名は全地に伝えられる」の劇さえ上演されました。ほとんどの兄弟たちは1番から60番までの一連の公開講演を聞くことができました。しかし全時間伝道に携わっている人の多くは,そのわざを放棄しなければならなくなり,休暇開拓奉仕や週末に全時間奉仕をする程度のことしかできなくなっています。
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