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落し穴を避けなさいものみの塔 1961 | 12月1日
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のように警告しています,「さまざまな違った教によって,迷わされてはならない。……恵みによって,心を強くするがよい」。これらは気をつけるのに値するだけの大きな価値を持つ言葉です。それらの言葉によって,私たちは自分自身を強めるべきであります。徐々におし流されてはなりません。あるいは信仰に欠けるため生ける神から離れたり,神の言葉に耳を傾けるのをやめてはなりません。真理を自由に話すことをやめてはなりません。あるいは真理に反するちがった教えに迷わされてはなりません。―ヘブル 2:1; 3:10-12; 10:32,35; 12:25; 13:8,9,新口。
16 払たちが立場を保つための助けとして,どんな積極的なさとしの言葉が与えられていますか。
16 パウロは積極的な,建設的な面から,家 ― 御子キリスト・イエスがそのかしら ― の者である私たちに,こうさとしています,「望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続け」なさい。「最初の確信を,最後までしっかりと持ち続け」なさい。彼は「神の家を治める大いなる祭司」イエスを通して設けられた恵みにみちるご準備を告げて後に,こう述べています,「約束をして下さったのは忠実なかたであるから,わたしたちの告白する望みを,動くことなくしっかりと持ち続け……」。私たちは「信仰を捨てて滅びる者ではなく,信仰に立って,いのちを得る者である」と彼は確信しています。最後に,私たちの仕える御国は,「震われない」と正しく述べてのち,彼は神の御子の前で立場を保つために肝要な態度と行動を美しく要約しています,「感謝しつつ,恐れかしこみ,神に喜ばれるように,仕えていこう」。―ヘブル 3:6,14; 10:21,23,39; 12:28,新口。
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トルコで忠実を保つものみの塔 1961 | 12月1日
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トルコで忠実を保つ
トルコの兄弟たちは,1960年2月に,わざに対して強い反対がおきた時,少しも恐れませんでした。その時,協会の大部分の文書は発行を禁示されました。その主張や宣言とは反対に,政権を獲得した新政府は,自由を回復しどころか,聖書の輸入や配布を禁止することまでして自由を踏みにじりました。トルコのエホバの証者は,人々が神の御言葉を理解するのを助けるために使う「新世訳聖書」を輸入することができませんでした。こうしたむずかしい状態の中にあっても,兄弟ちは,相かわらず神の御言葉を伝道し,御国の音信を伝え,伝統や宗教的偽善からのがれ出ることを望む人々を援助しつづけてきました。トルコのエホバの証者の経験をいくつかここにかかげることは大きな喜びです。これは支部のしもべの寄せた報告です。
ギリシャ正教会の管理人の息子が,エホバの証者として活発に活動をしているということを知ったギリシャ正教会の司祭は,父親の仕事も家も取りあげてしまうとおどしました。激しい試みの時がこの少年に始まりました。司祭は話をするためにその少年を訪れました。しかし,少年が聖書について話しはじめるやいなや司祭は,「いや,いや,私は聖書の話を聞いたりしたりしたいのではない」と叫びました。少年は,ギリシャの学校から追い出してしまうと司祭におどされたのです。しかし,何ものも私たちの兄弟の信仰をゆるがすことはできませんでした。彼は父親に,お父さんの仕事や家に影響が及ばないように,真理を捨てるよりもむしろ家を出て行くと告げました。
彼は忠実を保ちましたが,それだけでなく,その模範が励ましとなって他の者も彼にならいました。その兄弟は学校の友だちにも伝道していましたが,そのうちのひとりがふかい興味を示したのでふたりは一緒に聖書の勉強をしました。ほどなくしてその友だちも伝道を始めました。この兄弟に問題が起きていることをきいた友だちは,「ぼくにこういう問題が起きなかったのは残念だ」と言いましたが,それから3日後,同じ問題が彼の身にふりかかってきました。しかしその友だちもやはり真理をかたく守りました。家族は,なんとかして彼を真理から引き離そうとあらゆる手を使いました。ギリシャ正教徒のおじは,聖書の勉強を止めて,売春婦たちとあそびなさいといってお金を与えようとさえしました。しかし少年は,自分がその中で育てられてきた宗教が不潔であるもう一つの証拠を見せつけられて,まえよりも強く真理から離れることを拒絶しました。―1961年のエホバの証者の年鑑より
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