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よみがえりの奇蹟ものみの塔 1954 | 8月1日
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は『全き終りであつて,…その時彼はすべての政府とすべての権威とすべての力を亡ぼされる。』(コリント前 15:24,新世)次に少しの間サタンはゆるされて,人々を試験しますが,ヱホバの神権政府の側に固く立つ者は,義しいものと宣明され,終りないその世にあつて永遠の場所を与えられます。その時に生命という十分な意味において『死んだ者ののこりは………生命をうける』のです。(黙示 20:5,新世)それから,ヱホバ神は真に『あらゆる者にすべてのもの』となります。なぜならば,地に住む各自が永遠に生きるのも,または亡びさるのも,その決定は全くヱホバ神にあるからです。よみがえりによつて,ヱホバの名前と目的は立証されます。よみがえりの恩恵をうける人々は,なんと幸福なのでしよう!
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よみがえりは力を与える希望ものみの塔 1954 | 8月1日
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よみがえりは力を与える希望
1 (イ)どんな手段によつて,この世は人々を亡びの道に導き保ちますか?(ロ)人々は,どのように死のおそれをなくすことができますか?
いまは忠実を保たねばならない戦いの時です。その戦にあつて,この古い世の仕方や考え方にさからつて行くことは,やさしいことではありません,その道は臆病者の道では決してありません。この世は,クリスチャンを脅かし,無理やりに亡びの道に捲きこもうとして,それは臆病者の道であると非難しますが,その非難はまつたくの偽りです。この世は,愛と理性の代りに,堕落した人間の弱まつた感情に訴えて行います。この世は,おそれ,または誇り,または利己主義の鞭を用います。地上の人で,これらのものに反抗することのできる人は,ごく僅かな人々です。これを用いて,独裁者たちは全国民を服従します。そして,人々は正義の大切な原則を守るのを恐れ,公やけに言い表わしたり,または明白な立場をとろうとはしません。自分自身の安全を考えて人々は語ろうとはしませんので,無言のうちに彼らの政府の不敬虔な全体主義的な仕方を認め支持します。それで,その悪い国家とともに,彼ら自ら共同の処罰をうけるようになります。自分らが死ぬのではないだろうか,または家族の者が死ぬのではないだろうかと,人々は非常に恐れています。聖書は悪魔を説明して大いなる牢獄の番人として言い,『死を恐れて,その生涯のあいだ奴隷の境遇に服するものたちすべて』を支配すると述べています。(ヘブル 2:15,新世)もし人々が,よみがえりについて真の知識を持つならば,そのような恐れから自由になるでしよう。それでこの知識を持つことは,生命かまたは死かというほどに必要なものなのです。そのような理解と信仰がないならば,クリスチャンたちは忠実を保つことはできません。
2 よみがえりについてこの知識は,イエスの忠実をどのように強めましたか?
2 イエスは,地上にいる時に,悪魔とその世から大きな圧迫をうけましたが,忠実を保ち続けました。彼にとつて,よみがえりの希望は,彼を支える力を与えるものでした。苦しみの杭で死なねばならない時であつても,彼はよみがえりのこの信仰と希望を持つていましたので,非常に力づけられ,彼の父にたいしての忠実を破らずに保ちました。イエスについて,こう書かれています。『さらに,私の肉は希望のうちに住むであろう。なぜならば,あなたは私の魂をハーデス(墓)に捨ておかれないから。』(使行 2:26,27,新世)神はイエスを忘れてしまつて,彼の存在すなわち彼の魂が墓場の中で消えてなくなるままにするようなことはしないと,イエスは知つていました。
3 どんな他の例はよみがえりの知識と,よみがえりへの信仰という必要を示しますか?
3 同様に,アブラハムは強められ,彼の子であるイサクを献げるという試験を通り抜けました。ヨブも強められ,非常なくるしみを堪え,生命以外のあらゆるものを失つても忍耐しました。そして,雲のように非常に多くの昔しの証者たちも強められ,『くるしみを受けることを』耐え忍びました『なぜならば,より良いよみがえりをうけるため,ある贖い代でもつて釈放されるのを願わなかつたからである。』(ヘブル 11:35,新世)イエスのよみがえりという事実と,それが与えた保証によつて,使徒たちは『生きている希望』で満され,また,それは彼らの伝道に力と熱心さを与えましたので,どんなに迫害が多かろうと,彼らを弱めることはできませんでした。それによつて,彼らは死にいたるまで耐え忍ぶことができ,彼らもよみがえりをうけると保証づけられました。―ピリピ 3:10,11。ペテロ前 1:3; 3:21。
魂,霊そして記憶の墓
4 よみがえりは,体を『非物質の魂』と再び結び合わせることではないことを示しなさい。
4 私たちは,よみがえりをうけるのに価値ある者であり,また神は私たちを記憶していて,私たちのためにこの力ある奇蹟をされるということを,はつきり確めておきたく願います。よみがえりがもとづいている原則を理解するならば,私たち
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