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神の新しい世に信仰をおく確かな理由ものみの塔 1963 | 2月15日
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先祖たちに語られたが,この終りの時には,御子によって,わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め,また御子によって,もろもろの世界を造られた。御子は神の栄光の輝きであり,神の本質の真の姿であって,その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから,いと高き所にいます大能者の右に,座につかれたのである。御子は,その受け継がれた名が御使たちの名にまさっているので,彼らよりもすぐれた者となられた」。
15 ゆえに裁きの執行を逃れることに関して,どんな質問が提起されますか。
15 したがって,「御使たちをとおして語られた御言」にそむいたイスラエル人が神の裁きによって滅びたとすれば,神の御子の如き重要なかたの語った救いの言葉を無視してかえりみない者は,とうてい裁きの執行すなわち完全な滅ひを免れることができません。神は御子を万物の相続者,組織制度の造り主に定めました。
16 私たちは何を楽しみたいと願いますか。ヘブル書 3章12-14節の警告に従い,生来のユダヤ人のどんな間違いを繰り返してはなりませんか。
16 神の定めによって御子が相続者となった,これら「万物」のいくらかにでも与るのは,私たちの願いではありませんか。御子の建てる新しい組織制度を楽しむことは,私たちの願いではありませんか。そうです! では主イエス・キリストがはじめに語った救いの言葉から決して離れてはなりません。その新しい組織制度,新しい世における救いから流れ過ぎることのないように,私たちは御子から聞かされたことを,いっそう強く心に留めなければなりません。私たちは生来のユダヤ人のしたと同じ間違いをしたいとは思いません。私たちは民族としてのユダヤ人の今日の状態を知っています。彼らを心に留めて,霊感の筆者はヘブル書 3章12-14節(新口)にこう語っています,「兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には,あるいは,不信仰な悪い心をいだいて,生ける神から離れ去る者があるかも知れない。あなたがたの中に,罪の惑わしに陥って,心をかたくなにする者がないように,『きょう』といううちに,日々,互に励まし合いなさい。もし最初の確信を,最後までしっかりと持ち続けるならば,わたしたちはキリストにあずかる者となるのである」。
17 最初の確信を固く保つことについて言えば,「ものみの塔」の読者に関してどんな質問をできますか。
17 「ものみの塔」の読者であるあなたは,神の御子の語った救いの言葉が与える確信をもうどの位のあいだ持っていますか。何時この確信をはじめて抱きましたか。今年はじめて? 昨年? 3年前? 5年 ― 10年 ― 15年 ― 20年 ― 25年前ですか。「ものみの塔」(1879年創刊)の読者の中には50年あるいはそれ以上の間この確信を抱いている人があります。それは1914年よりも前のことです。その年,第一次世界大戦が始まり,また歴史はじまって以来,最も科学の進んだ時代を迎えたとはいえ,この古い世の組織制度は「終りの時」にはいりました。これらの読者は長年のあいだ待ち,そのうえなお待たねばならないので,確信を失いましたか。そうではありません! その人々が今でも「ものみの塔」を読み,支持し,配布していることは,たとえどんなに昔に抱いたものであっても,はじめの確信を今でも固く持っていることを証明しています。
18,19 (イ)生命を与えるこの言葉から益を受けるため,何をしなければなりませんか。(ロ)なぜ生来のユダヤ人はこの世で安息を得ていませんか。どのようにしてのみ,私たちは安息を得ることができますか。
18 私たちは確信を抱いているゆえに,生ける神から離れ去りたいとは決して思いません。神とその御子を知ることは,永遠の生命を意味するからです。(ヨハネ 17:3)しかし「不信仰な悪い心」を抱くようになれば,神とその御子から離れ去ってしまうでしょう。新しい組織制度,「きたるべき世界」の生命に関するこの言葉を聞いたのはつい最近のことかも知れません。しかしそれに関連して信仰を働かせつづけなければ,生命を救うこの言葉も現在はおろか,危難にみちた将来に私たちの益となりません。昔のユダヤ人はこの事を証明しています。
19 ヘブル書 4章2,3節はユダヤ人についてこう述べています,「というのは,彼らと同じく,わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし,その聞いた御言は,彼らには無益であった」。なぜですか。「それが,聞いた者たちに,信仰によって結びつけられなかったからである。ところが,わたしたち信じている者は,安息にはいることができる。それは[不信仰のユダヤ人に関して]『わたしが怒って,彼らをわたしの安息に,はいらせることはしないと,誓ったように』と言われているとおりである」。それで今日に至るまでこれらユダヤ人の子孫は,たとえイスラエル共和国があっても,この世において安息を得ていません。しかし私たちは創造主なる神の安息にはいることを望みます。信仰そして信仰の与える確信を保つことによってのみ,そうすることができるのです。
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魂を得るために信仰を保ちなさいものみの塔 1963 | 2月15日
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魂を得るために信仰を保ちなさい
1 とくにヘブル書 11章1,2節によれば,信仰とは何ですか。
「信仰」? 信仰とは何か,と「ものみの塔」の新しい読者は問うかも知れません。読者の手許に辞書があれば,「信仰」という言葉の意味をしらべてごらんなさい。しかしここにあげるのはヘブル書 11章1,2節(新世)に述べられた信仰の定義です。西暦紀元前の昔の神の人のわざは,このような信仰をあらわしたものとして,そこに列挙されています。「信仰は望む事柄を確信して期待することであり,見えない実体の明白な表明である。昔の人々はこれによって証された」。エホバ神は,この人々がわざによって示した信仰のゆえに御自分を喜ばせたことを証しました。
2 これらの人,たとえばアベルはなぜ希望を持ちましたか。
2 これらの人々は希望を抱きました。すなわち望みを心に抱きました。神の言われたこと,神の約束を知ったので,希望を抱いたのです。たとえばエデンの園の外でアダムとエバに生まれた二番目の息子アベルは,希望を抱きました。なぜですか。それはエホバ神がエデンの園において誘惑者の蛇に言われ,アベルの父母も聞いた言葉のゆえでした。創世記 3章14,15節は次のように述べています,「エホバ神蛇に言たまひけるは汝是をなしたるによりて……我汝と婦の間および汝の苗裔と婦の苗裔の間にうらみをおかん彼は汝の頭を砕き汝は彼の踵を砕かん」。ゆえにアベルは神の「婦」の約束のすえが来ること,またこのすえが誘惑者のかしらを砕くことを待ち望みました。
3 アブラハムはどんな希望を抱きましたか。そしてなぜ?
3 ほかにもヘブル人の族長アブラハムがいます。アブラハムは自分の国を出て親族に別れるようにと召されました。「ここにエホバ アブラハムに言たまひけるは……我汝を大なる国民となし汝をめぐみ汝の名を大ならしめん汝は福祉の基となるべし我は汝を祝する者を祝し汝をのろふ者をのろはん天下のもろもろの宗族汝によりてさひわひを獲んと」。(創世 12:1-3)それで子供のなかったこのヘブル人アブラハムは,子供をもうけて大いなる民となり,名を大きくする望みを持ちました。そしてアブラハムは他の人々に祝福となり,地のすべての家族
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