王なる祭司
『第一のよみがえりに与る者は幸であり,聖である。これらの者の上に,第二の死は権威を持たない。彼らは神とキリストの祭司となるであろう。そしてキリストと共に千年の間,王となるであろう。』― 黙示 20:6。新世。
1 誰が王なる祭司を形作りますか? そしてそれの設立と運営の結果として,どんな福利が来ますか?
この王なる祭司の成員たちは,ヱホバの宇宙的組織に関するあらゆる事柄においてヱホバの職務を行う奉仕者たちであります。そして彼らの行う一つの大奉仕は千年の間キリスト・イエスと共に王として支配することでしよう。この支配は天から行われるでしよう。そしてその時神の御国の下で住む地の住民たちを支配するでしよう。ヱホバを自分たちの神とし,そしてヱホバと和解する希望を抱くすべての国々の民に希望を与えるものは,この王なる祭司の設立と運営であります。王なる祭司は,大祭司であるキリスト・イエスと14万4000人の祭司たちとで成り立つています。それは『メルキゼデクの状にひとしい』永遠の祭司であります。(ヘブル 5:6。新世)幸福と神聖とはこの祭司の位に与る人々に属します。何故なら彼らは『第一のよみがえり』に与り,彼らの上に『第二の死は権威を持たない』からであります。この祭司の御国の支配の間,平和と幸福と生命は,人類の内,ヱホバの新世の王なる祭司の臣民となつて祝福されるすべての者らに与えられるでしよう。
2 王なる祭司について知ろうとする人々の精神的態度はどうあるべきですか?
2 黙示録 20章6節の聖句は二つの級を指し示しています。すなわち支配者たちと,支配される人々です。その級のどちらに属することをあなたが望むかに拘らず,真理に対する従順と忠信は不変の要求であります。未来の王なる祭司の成員たちは,彼らの視覚を明らかに保ち,希望を輝かしく保ち,そして神の御心を完全に行う必要があります。神政下の新しい世の地上で永遠の生命を得ようと望む人々は,千年の間支配する王なる祭司団に関する要求と忠信について学ぶことを熱望すると共に,また忠信であることを学ぶことを熱望しています。油注がれた人々は,幾百万の人類を祝福し,生命を与えるヱホバの御目的を学ぶことを喜びます。そしてまた地上で永遠に生きることを待ち望む人々は,彼らが服従するところの王なる祭司について知ることを喜ぶでしよう。
3 何時ヱホバは王なる祭司を持つという御目的を初めて話しましたか? そしてそれはどうして神政国でしたか?
3 祭司の国を持つことについてのヱホバの御目的は,シナイ山において模型的神の民に言い表わされました。モーセは彼らに教えるように霊感を受けました。『今もしあなた方がしつかりと私の声に従い,そして実に私の契約を守るならば,あなた方は他のすべて民たちに優つて私の特別な財産となるであろう。何故なら全地は私のものであるからだ。そしてあなた方自身は私に対して祭司の国となり,聖い国民となるであろう』(出エジプト 19:5,6,新世)イスラエルは最高者の法則と儀式の下に生活しながら,ヱホバの下の神聖な国,真の神政国,王なる国民と成ることになつていました。この節で用いられている「国」の語は王権,王朝,主権の意味を有しています。それはヱホバが各成員におのおの王と祭司の資格と品性を持たせながら,一つの王たる祭司の民族,祭司の王朝を作ることを企てられたことを意味しました。
4 イスラエルは王を求めながら,実際には彼らは何をしましたか? 彼らはヱホバの王たる御子をどのようにあつかいましたか?
4 イスラエルの民は不満になつて,士師ギデオンが王として彼らを支配するようにギデオンに求めましたが,ギデオンは答えました。『私自身はあなた方を治めないであろうし,また私の息子もあなた方を治めないであろう。ヱホバがあなた方を治めるお方である』(士師 8:23,新世)。サムエルの時代にイスラエルの長老たちは彼に言いました。『今すべての国々のように私たちを裁くために私達に王を立てよ。しかしこの事はサムエルを不快にさせた。……そしてヱホバはサムエルに言われた。……彼らはお前を捨てたのではない。彼らは私を捨てたのである』(サムエル前 8:5-7,ア標)イスエラエルは模型的にヱホバの国でありましたが,しかし彼らは不忠信で不従順でした。後にヱホバが御国の世嗣である御子キリスト・イエスを彼らに遺された時,彼らはシオンの石である彼を捨てました。この模型的のイスラエルの家はヱホバの御目的を見失いました。そしてその家は神の御心に反して建てられました。イエスは彼らに言いました。『「建築者たちの捨てた石は隅の首石とされた。これはヱホバがなされたことであり,私たちの目には不思議に見える」それ故に私はあなた方に言う,神の国はあなた方から取上げられて,その実を結ぶ国民に与えられるであろう』― マタイ 21:42,43,新世。
国々の民への善い音信
5 使徒ペテロとパウロは,異邦人らに御国の善い音信を伝えるヱホバの御目的をどのように説明しましたか?
5 ヱホバがイスラエルの国民を捨て,御国を彼らから取上げ給うたことによつて,祭司の国の一部となる大特権を持つことが出来るように,国々の民に門が開かれました。無割礼の異邦人であるコルネリオがその最初の人でした。そしてペテロは彼を訪問した時にこう言いました。『「ユダヤ人が他の民族の人と交際し,または近づくことが,ユダヤ人にとつて如何に違法であるかは,あなた方のよく知つている通りですが,しかし神は,人を汚れているとか不潔であるとか言つてはならない,と私に示されました」……「ほんとに私は悟ります,神は偏ることはなく,どの国民でも神を畏れ,正義を行う者を受入れ給うお方であることを」』(使行 10:28-35,新世)イエスが彼について言われた通り,パウロは国々の民へ行くように任命されました。『この人は国々の民に,そしてまた王たちやイスラエルの子らに私の名を表すために私が選んだ器である』再びユダヤ人たちに向つて,パウロとバルナバは言つた。「神の言葉はまず必ずあなた方に語られるべきであつた。しかしあなた方はそれをしりぞけて,自分を永遠の生命に値しないものと定めてしまつたので,見よ,私たちは転じて国々の民に向つて行く。事実ヱホバは私たちにこういう言葉で命ぜられた。『私はお前を国々の民の光として任命した。お前が地の果まで救いとなるべきためである』― 使行 9:15; 13:46,47,新世。
6 ヱホバはアブラハムへの約束を,どのような方法で成し遂げ初めましたか?
6 国々の民に重きを置いてパウロはこう書きました。『こう記されている。「それ故に国々の民の中にあつて,あなた〔ヱホバ〕に感謝し,あなたの御名を讚め歌おう。」また言つている。「国々の民よ,彼の民と共に喜べ。」また,「すべての国民らよ,ヱホバを讃めよ。」』コロサイ人たちに向つてパウロはこう言いました。『あなた方が聞いたその善い音信の希望を変えないようにしなければならない。その音信は天下のすべての造られたものに宣べ伝えられたものである。私パウロはこの善い音信の奉仕者となつたのである。』(ロマ 15:9-11。コロサイ 1:23。新世)『さて聖書は,神が信仰によつて国々の民を義とされることをあらかじめ知つて,前もつてアブラハムに善い音信を発表された,即ちお前によつてすべての国民らは祝福されるであろう。』また,『アブラハムの祝福はイエス・キリストによつて国々の民に与えられるのである』(ガラテヤ 3:8,9,14,新世)ヱホバは血統によるイスラエルとは違つた諸国民に偉大な音信を向けられたことについての大目的を成し遂げるために,未来の王なる祭司であるパウロを用いました。
7 『善い音信』を受取ることは何を意味しますか? 恩恵の或物を述べなさい。
7 王なる祭司キリストと一つになる,これらの「召された」者らに対してパウロはこう書きました。『前にはあなた方は肉体から見れば国々の民であり……無割礼者と呼ばれていた。あなた方はその時にはキリストなく,イスラエルの国に遠ざかり,そして約束の諸契約には無関係の者であつて,希望を持たず,また世にあつて神を持たない者であつた。しかし曾ては遠く離れていたあなた方が,今キリスト・イエスにあつて,キリストの血によつて近づくことが出来た。』そして再び彼は言います。『あなた方はすべてキリスト・イエスにあつて一つである。そこで,もしあなた方がキリストのものであるならば,あなた方は実にアブラハムの裔であり,約束による世嗣である。』(エペソ 2:11-13。ガラテヤ 3:28,29。新世)諸国民に対する善い音信は,ヱホバ神に一致調和してもたらされるものであることを意味しており,そしてそれは神の御約束の保証によつて神聖なものとされております。これは神の偉大な祭司キリスト・イエスによつてなされる真の奉仕です。何故なら彼はただ国々の民を神に近づけるだけでなく,また神を彼らに近づけるからです。清い聖なる交りが生じます。この善い音信はすべての国々の民に伝えられましたが,しかし民のすべてが受入れるのではありません。それを受入れる人々に対してヱホバは,アブラハムと彼の裔によつて『すべての国民らは祝福されるであろう』という御約束を果たされるのです。この善い音信は今もなお宣べ伝えられつつあります。事実,今日この善い音信は以前よりも更に大規模に,広範囲に行き渡るように宣明されつつあります。現在においてはこの善い音信は諸国民の中から他の級の者を召し出しますが,しかしその仕事は引続き王なる祭司によつて行われております。
霊的な王なる祭司
8 生れつきのイスラエルは失敗しましたが,ヱホバが王なる祭司を持つべき御目的はどのように成し遂げられるかを説明して下さい。
8 王なる祭司を持つヱホバの御目的は成し遂げられます。けれども生れつきのイスラエルは失敗しました。パウロはこう書きました。『イスラエルから出る者がみな真の「イスラエル」というのではない。またアブラハムの裔であるからといつて,みなその子供であるのではない。……それは神がホセア書にもまた次のように言われている通りである。「私は私の民でなかつたものを『私の民』と呼び……彼らは『生ける神の子ら』と呼ばれるであろう。」』『神は最初に認められた神の民を捨てられたのではなかつた。……イスラエルは熱心に求めるその物を得なかつたが,しかし選ばられた者らはそれを得た。その他の者は感覚が鈍くなつた。』(ロマ 9:6,7,25,26; 11:2,7。新世)ユダヤ人が捨てられたことによつて他の者らに富が与えられました。何故なら真の王なる祭司のいくらかは生れつきのイスラエルから選ばれましたけれど,その大部分は諸国民から選ばれることになつたからです。ヱホバが祭司の王国を持つべき本来の目的はこの方法で成し遂げられるのです。彼らについてパウロはこう書きました。『神はその御目的にしたがつて召されたところの神を愛する者らのためには,すべての業を相共に働かせて益になるようにして下さる。何故ならば神は最初に認められた者らを御子の像に似させようと,予め定めておかれたからである。それは多くの兄弟たちのうちにあつて御子を長子となされるためである。その上……神が召された者らを義とされた。そして結局神が義とされた者らには栄光を与えられた。』『もし私たちが子供であるならば私たちはまた世嗣である。実に神の世嗣である。しかしキリストと共に共同の世嗣であつて,もし私たちが彼と共に苦しむならば,また彼と共に栄光を受けることが出来るのである』― ロマ 8:28-30,17。新世。
9 使徒ペテロは王なる祭司をどのように正しく見定めていますか?
9 使徒ペテロは『父なる神の先見によつて選ばれた者ら』に対してこう書いています。『私たちの主イエス・キリストの父なる神が崇められますように,というのは,神はその大きな憐みにしたがい,イエス・キリストの死人の中からのよみがえりを通じて,私たちを新しく生んで,生ける希望を与え,朽ちない,汚れない,衰えない相続財産を与えるようにして下さつた。その財産はあなた方のために天に蓄えられているのである。あなた方は終りの時に現われるように備えられている救いを得るために信仰を通じて神の力によつて守られているのである。』ペテロは更に彼らにこう言います。『まことに人々に捨てられ,神に選ばれた貴い生ける石であるところの彼〔キリスト〕に来て,あなた方自身もまた生ける石として霊的の家に築き上げられなさい。それはあなた方が聖い祭司となつて,イエス・キリストを通じて神に喜ばれる霊的の犠牲を献げるためである。というのは聖書にこう記されているからである。「見よ,私は選ばれた貴い石,隅の首石をシオンに据える。そして彼の上に信仰を置く者は決して失望しないであろう。」』(ペテロ前 1:3-5; 2:4-6。新世)この霊的の建物は王の家であります。何故ならそれは真の基礎即ちヱホバの油注がれた王,王なる御子,神の世嗣の上に建てられているからです。使徒はここでキリスト・イエスと彼の体の成員たちで成る祭司たちの王国,神の王なる祭司,天の祭司を正しく見定めております。
10 或る人々が,天の王なる祭司の一部となる希望をどのように得るかを,聖句によつて示しなさい。
10 このような不思議な希望は人間の想像力を遙かに越えています。それはただヱホバの霊感によつてのみ,聖霊の力によつてのみ出来得ることです。心を元気づけて,天の希望に生きさせるのは,創造者から発するこの霊であります。この故にこのような希望を持つている者らに向つて次のように記されています。『神はいろいろな罪過と罪とによつて死んでいたあなたをも生かし給うた。』『けれども,もしあなた方がキリストと共によみがえらされたのであるならば,上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが神の右に坐しておられる。』そして『これはあなた方のために天に蓄えられている希望によるのである。』この希望を得て楽しむ人々はキリストにあつて霊的の宮であります。『彼にあつて全体の建物は調和よく結び合わされ,成長してヱホバのための聖い宮となつてゆく。……霊によつて神の住む所となるのである。』― エペソ 2:1。コロサイ 3:1; 1:5。エペソ 2:21,22。新世。
11 すべてのヱホバの民は何故御国の完成を非常に感謝すべきでしようか? そして宇宙におけるその地位は何でしようか?
11 主の他の羊たちと共に,まだ地上に居るこの級のすべての者らは,神がお作りになつたこの不思議な御準備,即ち天の御国に深く感謝しています。それは霊によるヱホバの住居を意味します。そしてこれは最高者が以前には有されなかつた物であります。そうです。それはたとえ私たちの想像力を越えていても,それは真実です。それは聖い天の宮です。何故ならキリストについてこう記されているからです。神はキリストを『すべての政治と権威と権力と支配の上に,またこの組織制度のみならず,来るべき組織制度においても,称えられるすべての名の上に坐らせた。民はまたすべてのものを彼の足の下に従わせ,そして彼をすべてのものの上にあつて,会衆の首とされた。会衆は彼の体である。』故に聖書は彼を『地の王たちの支配者』と呼んでいます。使徒ヨハネは『私たちを愛するお方,そして御自分の血によつて私たちの罪から私たちを解き放つて下さつたお方 ― そして私たちを一つの国となし,父なる神への祭司として下さつたお方』について語つています。特に『そして私たちを一つの国となし』という表現に注意して下さい。それは実際に祭司の国です。これらの王としての神聖な位は,多分人間の間に存在することが出来る二つの最高の位であつて,それは明かに神の子らに属する,この上もなく高い地位であることを示しています。―エペソ 1:21-23。黙示 1:5,6。新世。
12 ヱホバの讃美が天と地上で歌われることを私たちはどのようにして知ることが出来ますか?
12 未来の王なる祭司の成員たちは,彼ら自身がその一部となつて完成される天における神の建物を見るために,焼き尽すような熱心を抱いています。それはヱホバの永久の聖所,宮であつて,そこでヱホバの御名は永遠に讃美されるでしよう。そしてそれは,イエス・キリストの下にあつてヱホバの讃美を歌う14万4000の祭司たちの聖い軍勢であると見られています。天全体は彼らの喜びと感謝の歌を聞き,地のすべの住民たちは,宇宙で最も美しい調べのこの歌を学ぶでしよう。何故ならすべての者は,天のシオンの最も妙なる歌手である王なる祭司,主イエスによつて指導されるからです。それはまことに,聖い盛装をして,丁度神の聖所の神聖さのような神聖の美をもつてヱホバを崇めつつ歌う合唱隊の合唱でしよう! その幸福な目に,すべてのものはそれぞれの正しい所に在るでしよう。何故なら神権的支配がすべてのものに行き渡るからです。創造されたすべての物は,聖いお方,最高の神ヱホバの栄光と尊厳を語るでしよう。すべての不浄邪悪が一掃され,あらゆる形と表現の罪が終り,そしてすべての悪い事が存在しなくなるその日は今や非常に近づいています! その喜ばしい日には,平和と静穏と幸福はすべての生物の受ける分でしよう。『私たちの神ヱホバよ,あなたが栄光と尊敬と大能とを受け給うことは至当であります。それは,あなたが万物を造られたからであり,またあなたの御心によつてそれらは存在し,造られたからであります。』― 黙示 4:11。新世。
13 (イ)詩篇記者が『ヤコブの全能者のために幕屋』を見たいと願つたのは,何の意味ですか?(ロ)この予言的予表はどのように成就され,ヱホバの民の聖なる願いは何ですか?
13 王なる祭司の成員たちは,これらの不思議な事の起るのを見ることを願います。それで彼らはその終りに向つて勤勉に働きます。生ける万物がヱホバの讃美を語るまでは,『天に,地上に,地の下に,海の上にあるすべての造られた物と,そしてそれらの中にあるすべての物が,「御座に坐られているお方と小羊とに讚美と尊敬と栄光と権力とが永遠にありますように。」』(黙示 5:13,新世)と言うまでは,満足もなく,休みもないでしよう。昔のシオンの王ダビデは偉大な王なる祭司の模型でありましたが,彼は同様の願いを抱きました。そしてそれらの願いは私たちの利益のために記録されました。彼は,神の臨在を象徴している神の櫃を見ることと,それを聖所に安置し休息させることを願い,熱望しました。彼の言葉に耳を傾けて下さい。『われヱホバのために処をたづねいだし,ヤコブの全能者のために幕屋を求めうるまでは,たしかに我はわが家の幕屋に入らず,わが寝床に入らず,わが目を眠らしめず,わが瞼を閉ぢしめざるべし。』(詩 132:3-5。ア標)そうです,ヱホバのための安息所! 何という不思議にも気高い,霊感による考えでしよう! ヱホバの霊はこれらの願いを精神と心の中に湧き上るようにさせます。その詩篇記者は更に続けます。『ヱホバよ,ねがわくは起きて,汝の力の櫃と共に汝の安息所に入り給え。汝の祭司たちに義を着せしめよ。……ヱホバはシオンを選びて,おのが住所にせんと望みたまえり。曰く,これは永遠にわが安息所なり。われここに住まん。そはわれ,これを望みたればなり。』(詩 132:8,9,13,14。ア標)シオンは王の都であり,宇宙の『首都』であつて,それは王キリスト・イエスと14万4000の『生ける石』で造られております。そしてそれはヱホバが選び,切に愛するところのヱホバの永遠の住所であります。ヱホバ御自身の居所又は宮を準備し,建築するのに数千年かかりました。王なる祭司を通じてヱホバはすべての造られたものと親しい交りを保たれるでしよう。彼はシオンの王なる祭司を救いの施設とされます。何故なら彼はシオンの祭司たちに救いを着せ給うからです。彼等の全体の外観は救いを表わし示します。今日地上に残つているその成員たちは何百万の人々に救いを布れ知らせます。『そして救者達はシオンの山にのぼつて,エサウの山を裁くであろう。そして国はヱホバのものとなるであろう。』― オバデヤ 21。ア標。
王なる祭司に対する要求と責任
14 神の民に対するヱホバの第一の要求を述べて下さい。私たちはただ褒賞のために奉仕すべきですか? 説明して下さい。
14 第一の要求は服従でありましたが,今でもなお服従であります。シナイ山でイスラエル人たちに対して初めて王なる祭司のことに言及された時に,ヱホバはこう言われました。『されば汝等もし実に我が声に従い,我が契約を守らば,汝らはもろもろの民より区別されて我が財産となるべし。全地はわが所有なればなり。汝らは我に対して祭司の国となり,聖き民となるべし。』(出エジプト 19:5,6。ア標)ヱホバはイスラエルの最初の大祭司アロンに言われました。『汝は彼らの土地の中に何の相続財産をも持つな。また彼らの中で何の取分をも持つな。我は汝の取分であり,汝の相続財産である。』(民数 18:20。ア標)たとえ,その心が天の褒賞に向けられていなければならないとはいえ,忠信な,王なる祭司の者らは単に天の褒賞のためだけで奉仕すべきではありません。しかしその偉大な天の褒賞は,彼らが完全な服従をもつてヱホバに仕え,そしてヱホバを彼らの相続財産とする場合においてのみ彼らのものとなるでしよう。
15 模型的祭司に関して,不合格となる疵にはどのようなものがありましたか? 肉体的の疵は今も不合格になりますか? もしそうでないなら,どんな種類の疵又は汚れが不合格となりますか?
15 模型的祭司において,祭司の全体の外観は,最高の純潔とヱホバへの専門の献身を反映していました。律法は身体状態と生活調整に関する特効薬でした。盲目,跛,鼻欠け,足折れ,矮少,目に疵のあるもの等のような肉体的の欠点のある人は,祭司に適しません。(レビ 21:16-24)祭司の資格に合格しない120種類の疵があつたと言われていました。では,模型的祭司にそのような厳密な要求がなされたのであるなら,実体にはどれほど多くの要求がなされるのですか? 肉体的の疵は,天の王なる祭司の成員となる者を不合格にしないことは真実です。しかし他の疵は不合格となるでしよう。何故なら汚れたものは決して天に入ることが出来ないからです。『キリストもまた会衆を愛し……水の洗いをもつて御言葉によつて会衆を潔められた。それは汚れや皺や,すべてそのようなもののない,聖い,疵のない,栄え輝く会衆を御自身のために作るためである。』『すべて淫行する者,汚れた者,又は貪慾な者 ― これは偶像崇拝者を意味す ― はキリストの国と神の国の中で何の相続財産も持たない。』『すべての人と和ぐようにつとめなさい。そして聖潔を追い求めなさい。これがなければ誰も主を見ることは出来ない。』― エペソ 5:25-27; 5:5。ヘブル 12:14。新世。
16 ヱホバの民はどのようにして清められた状態に留りますか?
16 王なる祭司の成員に不合格となる可能性について熟考することは,心配な,恐ろしい考えです。それ故未来の成員たちはヱホバの御要求について,熱心に,祈りを以て,正しく熟考しなければなりません。すべての者はキリスト・イエスの血の尊さと,彼の有利な正義とによつて,いつも清められた状態に,純潔にされた状態に留まつていなければなりません。そしてまた,王なる祭司となる列の中にある人々は,私たちの天の父の豊かな御親切によつて,次の事を記憶していなければなりません。『私たちはイエスの血によつて聖所に入る道については確信を持つている。彼は私たちのために彼の肉体という幕を通じて,新しい活ける道を開いて下さつた。そして私たちは神の家を治めて居られる大祭司を有している。だから私たちは心の中から悪い本心を洗い清め,清い水で私たちの身体を洗つて,誠実な心と信仰の十分な保証をもつて近づいて行こう。』(ヘブル 10:19-22。新世)偉大な王なる祭司キリスト・イエスは私たちの保護者であります。
17 ヘブル書 5章1節のパウロの言葉と,それがどのようにキリスト・イエスに適用されるかを説明して下さい。
17 主要な責任の或るものが,ここに述べられています。パウロは書きます。『すべての大祭司は,人々の中から選ばれて,人々に代つて神に関する事を行うように任命された者である。それは罪のための供物と犠牲とを献げるためである。』(ヘブル 5:1,新世)この記述は祭司に対する神の任命を示していて,その本質的な観念は神のためと堕落した人々のために奉仕することです。これは祭司の真の本質です。それについて更にこう記述されています。『すべての大祭司は供物と犠牲とを献ずるために任命されたのである。それ故彼もまた何か献げるべき物を持つ必要があつた。』『キリストが善い事の大祭司として,手で造られない,即ち造られた世のものでないところの,より大きな,より完全な幕屋を通つて来られた時,彼は山羊や若い牡牛の血でなく,御自身の血をたずさえて,唯一度聖所に入られて,私たちのために永遠の解放を得られた。』『キリストは……今私たちのために神の御前に現われるようとして,天そのものに入られたのである。』(ヘブル 8:3; 9:11,12; 9:24; 10:12。新世)彼が献げた犠牲は,自発的に提出された彼御自身の生命でありました。そして彼は完全な人間の生命の価値を天の父に献げました。そしてこのすべてはヱホバ讚称のためになされたのであつて,またそれによつて私たちは神の恵みを受ける者となることが出来たのです。
18 どのように『祭司の口唇に知識を保つ』かを示しなさい。
18 王なる祭司の者らは神の律法の教師と,指導者でなければなりません。『それ祭司の口唇に知識を保つべく,また人,かれの口より律法を尋ぬべし。そは祭司は万軍のヱホバの使者なればなり。』『またヱホバがモーセによつて語られたすべての法令をイスラエルの子らに教えるためである。』(マラキ 2:7。レビ 10:11。ア標。申命 33:10; 17:9-11)これらの任命された教師たちは神権的に教えなければなりません。何故なら恐ろしいほどの責任が彼らの肩の上に置かれているからであつて,ヱホバはこの責任を彼らに負わされたのです。彼らはヱホバの律法を管理していました。それ故彼らはイスラエルの中の真の審判者でありました。忠信な祭司たちは律法を教え,ヱホバの民に正しい道を歩ませました。彼らは『羊たち』を本当によく世話をしました。
19 祭司が神の聖い民に対して,どのように律法の教師の義務を持つているかを示しなさい。
19 大祭司は神権政治の原則によつて,神の聖い民の中で律法の教師の義務を持つていました。何故なら国家のすべての権力はヱホバに結合されていたからです。会衆の活動でさえヱホバの名によつて行われました。ヱホバは立法者であります。『ヱホバは我らの審判者,ヱホバは我らの立法者,ヱホバは我らの王である。彼は我らを救い給うであろう。』(イザヤ 33:22。ア標)丁度,立法権がモーセを通じて行使され,そしてただ基本法だけが有効であつたように,神権政治の発展の場合でもモーセよりも偉大な予言者キリスト・イエスはヱホバの律法を執行します。『あなた方は彼の語るすべての事に聴き従わなければならぬ。実にその予言者に聴かぬ魂はみな民の中から全く滅ぼされるであろう。』(使行 3:22,23。新世)今日喜ばしい服従が要求されています。
20 祭司の資格の或るものを述べなさい。そして私たちは何故それらの事を考える必要がありますか?
20 偉大な王なる祭司の資格と義務を注意深く考えて下さい。彼は自分の下で働く祭司たちのために型を定めます。彼は『無知な人々や迷つている人々を穏かにあつかうことが出来』『また彼を通じて神に近づく人々を完全に救うことが出来る。何故ならば彼は,彼らを弁護するために常に生きて居られるからである。このような大祭司,即ちいつくしみあり,狡猾なところのない,汚れのない,罪人から離れているお方は私たちにとつてふさわしいのです。』彼は常に奉仕に役立つお方です。何故なら,『すべての祭司は公けの奉仕をなすために毎日部署につく』からです。彼の下の祭司たちもまた犠牲を献げることを要求されています。『彼を通じて私たちは常に讃美の犠牲,即ち彼の御名を公けに宣明する口唇の実を神に献げようではないか。その上他の人々に善を行うことと,物を分け与えることを忘れないようにしなさい。神はこのような犠牲を十分に喜ばれるのである。』― ヘブル 5:2; 7:24-26; 10:11; 13:15,16。新世。