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  • 霊的な分別で満ちよ
    ものみの塔 1959 | 11月1日
    • そしてあらゆる良きわざを行つて実を結び,神の正確な知識を増してヱホバを全くよろこばせるためである。』

  • 霊的な分別 ― クリスチャン円熟の証拠
    ものみの塔 1959 | 11月1日
    • 霊的な分別 ― クリスチャン円熟の証拠

      1,2 (イ)新しい状況に面する子供には何が必要ですか。しかし,賢明な両親は何にむかつて努力しますか。(ロ)もつとも重要な種類の円熟は何ですか。

      子供は援助と導きを必要とします。成長して行く子供が新しい状況に面するごとに,子供の福利を気づかう両親は,必要な援助と助言を与えます。最初,両親は子供のために決定をつくつてやらねばなりません。すなわち何が良く何が悪いか,何を食べ,何を食べてはいけないか,いつ眠つていつ遊ぶべきか,子供は安全などんな場所に行けるか,またどんな危険な場所を避けるべきか,子供はどんな文書を読んでその向上に益となるか,そしてどんなものは混乱をひきおこして,霊的な成長や道徳的な成長に悪いかを決定します。しかし,子供が年を取るにつれ,賢明な両親は子供が自分自身で考え,何が善で何が悪であるか,何が賢明で何が愚かであるかを見分けることができるよう訓練します。そうするなら,成人したときには精神面でも円熟したものでしよう。

      2 子供たちの精神的な成長および霊的な成長について,両親がその必要を認識することは重要です。特に後者の成長は重要です。『円熟』という言葉は,多くの種類の成長に適用することができます,身体面,精神面,感情面,そして霊的な面の成長に適用できます。そして,最も大切なのは最後に述べられている種類のもの,すなわち霊的な円熟です。しかし,この世に関するかぎりそれはいちばん無視されているものです。

      3 (イ)賢明な教訓者は,自分と研究している者を,どのように訓練すべきですか。(ロ)クリスチャン円熟の証拠は何ですか。

      3 子供についてのこのたとえは,真理の知識を新しく学んだ人がクリスチャン円熟に成長することにも良く適用できます。最初は神の御言葉の研究の仕方について援助を必要とします,すなわち円熟したクリスチャンの個人的な助けとみちびきが必要です。養うことが必要です。しかし,賢明な教訓者は,自分の生徒が自分ひとりで考え,考究するように訓練します。それは,生徒が間もない中に自分自身を養い,分別の力に成長し始めることができるためです。成人は,大人としての理解と認識を示すことによつて分ります。同じくクリスチャンとしての円熟性は,霊的な分別,正しい決定を下す能力,そして聖書の原則にもとずいて善悪をはつきり見分けることによつて示されます。パウロはこのことを次のように良く表現しました,『すべて乳を飲んでいる者は,幼な子なのだから,義の言葉を味わうことができない。しかし,かたい食物は,善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。そういうわけだから,私たちは,キリストの教の初歩をあとにして,完成を目ざして進もうではないか。』― ヘブル 5:13から6:1まで,新口。

      4 (イ)真理に新しく接した人々には,どんな励ましがありますか。(ロ)円熟に向かつて進歩する際の主要な要因は何ですか。

      4 この雑誌のある読者たちは,ごく最近の幾週間か前,または幾ヵ月前から,ものみの塔の研究の手引を用いて聖書を研究し始めたかも知れません。そのような人は,霊的な見地から見ていわば幼な子であるため,『言葉を味わうことができない』と感ずるでしよう。そのような人は,神の御言葉を熱心に研究しつづけなさい,そしてヱホバの過分の御親切によりクリスチャン円熟に成長し得ると確信しなさい,と私たちは言ます。子供が身体面で成人になるには幾年もかかります。しかし,クリスチャン円熟に達するには必ずしも長い年月を必要としません。それは研究についやす時間の量に依存するのでなく,むしろヱホバに捧げる心から深い献身と『義の御言葉』に対する認識にもつぱら依存するのです。謙遜に教えを受け入れ,そして進歩しようと切望しなければなりません。初歩の教理を消化して後,真理の『かたい食物』を理解するために進歩し,円熟に向かつて進歩を表明します。

      5 ヘブル書 5:13から6:1までの言葉は,実際には誰に述べられていますか。そして,なぜ?

      5 しかし,前述に引用したヘブル人書の言葉を書いた使徒は,クリスチャン会衆に新しく交わり始めた人々に手紙を書いたのではありません。実際には,『真理』に長い年月いながら円熟に進まず,霊的な分別ではまだ幼児の者たちに彼は書いたのです。彼らは『成人』の性質を示していませんでした。それは教えるわざをするために是非とも必要だつたのです。それで,彼は『久しい以前からすでに教師となつているはずなのに』と彼らに書きました。これらの人々が『最後まで望みを持ちつづけるためにも,同じ熱意を示し,怠ることがなく,信仰と忍耐

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