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山上の垂訓 ― 四番めと五番めの幸いものみの塔 1978 | 5月15日
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(ルカ 6:38)非常に重要なこととして,あわれみ深い人々は神からあわれみを受けます。この点に関してヤコブはこう書いています。「あわれみを実践しない者は,あわれみを施されることなく自分の裁きを受けるのです。あわれみは裁きに対し勝ちを得て勧喜します」。(ヤコブ 2:13)神の裁きを受ける際に,真に同情心を示した人々は,他の人々に差し伸べたあわれみが,もしそうしなかったなら神からもたらされたかもしれない不利な裁きに対して事実上勝利を収めたということを知るでしょう。(テモテ第二 1:16-18)罪の許しと永遠の命を得る機会は,あわれみ深い人々だけのものです。イエスは次のように言われました。「あなたがたが人の罪過をゆるさないなら,あなたがたの父もあなたがたの罪過をゆるされないでしょう」― マタイ 6:15; 18:35。
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ラオデキア ― 富裕な町ものみの塔 1978 | 5月15日
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ラオデキア ― 富裕な町
トルコの南西部のデニズリの近くに,古代都市ラオデキアの遺跡があります。ディオポリス,後にはロウアスとして知られたこの町は,西暦前3世紀にセレウコス王朝の支配者アンティオコス二世によって再建されたものと思われます。アンティオコス二世は妻ラオディケにちなんで町の名前を付けました。ラオデキアはリュコス川の肥よくな谷間にあり,主要な通商路の交差する地点に位置していたので,地の利を得ていました。また,エフェソス,ペルガモン,フィラデルフィアなどの都市とは道路で結ばれていました。
ラオデキアは非常に繁栄していました。相当の数に上るユダヤ人も,その繁栄の恩恵に浴していました。エルサレムの神殿のために取っておかれた年ごとの寄付金を没収する,と総督フラッカスが命じた際,没収された金の量が10㌔余りにも上ったという事実はこの町のユダヤ人が裕福であったことを物語っています。また,ネロ皇帝の治世中,地震による大きな損害を被った際にも,ラオデキアの住民はローマからの援助を受けずに町を再建しました。
金融業や製造業はこの町の繁栄に一役買っていました。ラオデキアは,そこで生産された光沢のある黒い羊毛の衣で広く知られていました。その黒い色は,特別な品種の羊から取れる毛の色であったのかもしれません。あるいは,ラオデキアはそこで開発された特殊な黒い染料で有名だったのかもしれません。
金融業や製造業の中心地であるばかりでなく,ラオデキアは医学校の所在地でもありました。それで,この町はフリギアと呼ばれる地域に位置していたことから,“フリギア粉”として知られる目薬はラオデキアで作られたと思われます。このようなわけで,医術の神アスクレピオスの崇拝が
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