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喜びに満ちて,エホバへの賛美を増し加える王国宣教 1985 | 8月
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「若い時代」の本を用いて証言したり,「ものみの塔」や「目ざめよ!」から選んだ記事を他の人々に分かち与えてください。大勢の兄弟姉妹たちは,証人である学友から最初に真理を伝えられたのです。確かに学校は,近づきつつある秋の月々にあなたの王国奉仕を増し加えるための肥沃な畑です。
補助開拓者になる
6 わたしたちの多くは,夏が始まる前の3月から5月までの月々,補助開拓奉仕に参加する特権にあずかりました。あなたは,この秋に再びそうすることを考慮してみましたか。9月には日曜日が五つあり,11月には土曜日が五つあります。さらに12月には日曜日が五つあることに加えて学校が休みになります。この秋に補助開拓をするよう今すぐ計画してみてはいかがですか。長老たちは,大変喜んであなたに申込書を渡してくださることでしょう。
7 秋の到来と共に変わる他の個人的な事情があるかもしれません。クリスチャンとしてわたしたちは,王国奉仕を増し加えるために好機を活用したいと思います。良いたよりを宣明する上でのわたしたちの一致した努力は個人的な満足感をわたしたちにもたらし,エホバのみ名に賛美を増し加えることでしょう。
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良いたよりを伝える ― 個人の確信をもって王国宣教 1985 | 8月
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良いたよりを伝える ― 個人の確信をもって
1 使徒パウロは,テサロニケ会衆の熱心な業を思い起こして彼らにこう述べました。『わたしたちの宣べ伝える良いたよりは,ただことばだけでなく,力と聖霊と強い確信をも伴ってあなた方のところにもたらされました。そして,あなた方はわたしたちに,そして主に見倣う者となったのです』。(テサロニケ第一 1:5,6)そうです,パウロとその仲間たち,またテサロニケの会衆は,自分たちが神をふさわしい仕方で崇拝していることを確かに知っていました。この確信は彼らのことばに反映しました。わたしたちの宣教も個人の強い確信を反映したものであるべきです。
心から語る
2 宣教においてどのように個人の確信を反映させることができるでしょうか。基本的に,わたしたちの心にあるものを言い表わすことが含まれます。良いたよりを伝えるわたしたちの態度は,わたしたちが自分の述べる事柄を本当に信じていることを示すものであるべきです。『心に満ちあふれているものの中から口は語る』ゆえ,心から語るなら,わたしたちの誠実さや個人の確信は,はっきりと表われるでしょう。―ルカ 6:45。
3 個人の確信を反映するためには,真理とエホバの組織に対する深い認識がなければなりません。真理を有しているなら,それを学ぶよう他の人々を助けることはあなたの責任です。これらの事柄を積極的に考えることは,確信をもって真理を伝えるようあなたを動かす助けになります。イエスは,サマリア人の女に話しかけた際,わたしたちに優れた手本を残されました。―ヨハネ 4:21-24。
4 わたしたちが文書を提供する方法は,わたしたちが心から語っているかどうかを反映します。良いたよりを伝える際,わたしたちは文書の提供に精通し,家の人の食欲をそそるのに用いることのできる幾つかの特定な点を選ぶべきです。このことは,文書を提供する際の確信を築き上げることにもなるでしょう。
癖を避ける
5 特定の癖が,わたしたちの誠実さや確信に対する家の人の見方に影響を及ぼすことがあります。不必要に自分の文書を見ていたり,家の人に話している間,目をさまよわせていたりすると,わたしたちが誠実でないとの印象を与えかねません。わたしたちは,話している時に家の人を見て,自分の話している事柄を信じていることを示すべきです。
6 内気な人で,家の人との視覚による接触を保つのが難しいと思う人がいるかもしれません。あなたは,そのような問題をお持ちですか。もしそうなら,そのことで何ができるでしょうか。この問題は,話している際に自分自身の弱点や無力さについて考えすぎ,恐らくは人を援助するのに他の人のほうが資格があると感じることから生じることがあります。しかしながら,これはエホバの業です。自分自身の弱点ではなく,エホバとその無限の力と偉力を考えてください。使徒パウロは,自分一人で立たなければならない状況にあった時,次のように述べました。『主はわたしの近くに立って,わたしに力を注ぎ込んでくださいました。それは,わたしを通して,宣べ伝える業が十分に遂行されるためでした』。(テモテ第二 4:17)あなたも祈りを通してエホバから力を得ることができます。
7 体の重心をひんぱんに変えたり,聖書や文書のページを過度にめくったりするような他の癖は神経質であることを表わすかもしれません。あなたがそれらの癖に気づくようになり,より強い勇気を培うよう助けを求めてエホバに頼れば,それらを制することができます。
8 顔の表情も大切です。普通それは心にあるものを表わすからです。強い確信や家の人への誠実な関心が表情に反映されるべきです。
9 言葉の選択もわたしたちの残す印象に大いに関係します。もしひんぱんに「と思います」とか「多分」というような表現を用いるなら,家の人は,わたしたちが自分たちの話していることを確信していないと考えかねません。わたしたちの選ぶ言葉は,わたしたちの確信を反映するものであるべきです。―マタイ 7:28,29と比較。
10 個人の確信をもって良いたよりを伝えるよう熱心に働く時,あなたは『自分たちの労苦が主にあって無駄でない』との保証を得ることができるでしょう。―コリント第一 15:58。
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質問箱王国宣教 1985 | 8月
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質問箱
● 新聞などに投書することによって自分たちの信仰を弁明しようとするのは賢明ですか。
エホバの証人の信仰を批判する意見が新聞や他の報道機関によって取り上げられているのを見聞きした時や,それに対するエホバの証人の意見が歓迎されてさえいるような時に,自分たちも投書して信仰を弁明したいという気持ちを持つことは理解できます。しかし,そのような場合イエスならどのように反応なさっただろうかと考えてみるのは助けになります。イエスは,「ののしられても,ののしり返したりしませんでした。苦しみを受けても,脅かしたりせず,むしろ,義にそって裁く方に終始ご自分をゆだねました」。(ペテロ第一 2:23)ですから,多くの場合に最善の方法は,イエスに倣って批判や偽りの宣伝を無視することです。わたしたちの信仰の立場は,わたしたちの出版物の中で繰り返し明らかに述べられており,それらは大勢の人々に配布されています。そのわけで,むしろわたしたちは聖書やそれら出版物を用いて家から家の証言に携わるほうがずっと賢明です。
事実,わたしたちが通常行なっているような家から家に良いたよりを宣べ伝える方法によるもの以上の優れた証しがなされることはまずないでしょう。順調な時にもそうでない時にも家から家に宣べ伝えることにより,『わたしたちのうちにある希望の理由を問う人』に対して直接『温和な気持ちと深い敬意をもって弁明する』ことができるのです。(ペテロ第一 3:15)これは,この世の編集者を通してなされるものとは比較にならない,優れた証言です。サタンはわたしたちが不必要な論争に巻き込まれて貴重な時間や労力を浪費することを望んでいます。それでわたしたちは,エホバがゆだねてくださった,人々を真に救い得る業を行ない続けましょう。
エホバのみ名がかかわっていたり信仰の家族を保護する必要が生じていたりして,報道機関を通して何かの声明を発表すべき時には,協会が自ら,あるいはその代表者を通して行動を起こすでしょう。
上記の件に関して,1982年8月と1984年9月の「王国宣教」の「質問箱」も参照してください。
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