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  • 喜びに満ちた心をもってエホバに仕えなさい
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
塔83 2/1 8–13ページ

喜びに満ちた心をもってエホバに仕えなさい

「歓びをもってエホバに仕えよ。喜びの叫びをもってそのみ前に来るように」― 詩編 100:2。

1,2 ここに,人生に関するどんな対照的な見解が引用されていますか。

「私は人生を台なしにしてしまいました。今,変えようと思っても手遅れです。……独りで散歩に出かけるときに自分の人生を振り返りますが,自分の生き方には満足していません」。女優としての名声を既に得ていて,幸せであるべき当然の理由がありそうに見えたある老齢の婦人はそのように語りました。しかしこれは,明らかに真の喜びに満ちた心から出た言葉ではありません。

2 それとは対照的な,37年以上も麻ひと闘い続けてきたある男の人のことを考えてみてください。一見,このような人には喜ぶべき理由など余りないように思えます。ところがこの人は幸福について語り,「人生を真に意義深い,報いのあるものにする」秘けつを見いだしたと述べています。

3 (イ)どんな個人的な経験から,真の喜びを持つことのできる人がいるかどうかについて疑問が生ずるかもしれませんか。(ロ)喜びをどのように定義できますか。

3 わたしたちのほとんどは,長期にわたる苦しい病気との闘いに耐えなければならなかったわけではありません。また,芸能人として世界的に有名になってもいません。恐らくわたしたちは,日々の思い煩いや生活の難しい問題に直面しなければならないごく普通の人間でしょう。わたしたちの経験は,「女から生まれた人は,短命で,動揺で飽き飽きさせられ(る)」ことを証明しており,わたしたちは,「創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いている」ということに同意するはずです。(ヨブ 14:1。ローマ 8:22)その理由で,地に住む人の中に真の喜び ― つまり「良いもの,あるいは満足をもたらすものによって生じる深い歓喜また幸福な感情」― を持つ人がいるのかという疑問が当然生じます。あなたはどのように考えていますか。喜びは本当に得ることのできるものですか。

あなたは見いだせますか

4 真の喜びを味わっている非常に多くの被造物の中に,だれがいますか。

4 非常に多くの被造物が喜びを味わっています。天にいる義にかなったみ使いたちは,喜びをもって『神の言葉を行ない』ます。(詩編 103:20)み使いたちは常に真の喜びをもってエホバ神に仕えてきました。地の基が置かれた時,これらの『明けの星は共々に喜びにあふれて叫びました』。(ヨブ 38:4-7)イエスの誕生を発表した忠実なみ使いは,確かに喜ばしい使命を帯びていたのです。「大きな喜びとなる良いたより」をふれ告げていたからです。―ルカ 2:8-14。

5 喜びに関して,神の独り子はどんな経験をしてこられましたか。

5 では,「神の独り子」についてはどうでしょうか。(ヨハネ 3:18)人間イエス・キリストになる前,この方は天においてエホバの「優れた働き手」でした。その奉仕は喜びに満ちたものでしたか。確かに喜びに満ちたものでした。『[わたしは]神[エホバ]が日々特別の親愛の情を抱く者となった。わたしはその前で常に喜んだ』と記されているからです。(箴言 8:22-31)人間として地上におられた時も,イエスは神のご意志を行なうことを喜びました。(詩編 40:6-8。ヘブライ 10:5-10)それだけでなく,「この方は,自分の前に置かれた喜びのために,恥を物とも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右に座られ(ました)」。(ヘブライ 12:2)間もなく神からの裁きを地上に明らかに示される「幸福な唯一の大能者」として,イエス・キリストは現在,本当に喜びに満ちた心をもってエホバに仕えています。―テモテ第一 6:13-16。テサロニケ第二 1:6-10。

6 今日あなたは何に喜びを見いだすことができますか。

6 では,今日あなたは喜びを見いだせるでしょうか。確かに見いだせます。身体的な苦しみを負った前述の男の人はその方法を示してこう述べています。「最大の幸福は神への奉仕にあるということの真実を私は体験してきました。神への奉仕は人生を真に意義深い,報いあるものにします。麻ひしたからだであっても,創造者に仕える特権と祝福をそのために奪われることはありませんでした」。心からエホバ神に自分をささげたこれらの人々の中には,真の喜びが見られます。それは当然のことです。彼らは,「幸福な神」からの「良いたより」―「天の王国」の支配下での壮大な祝福に囲まれて享受する終わりのない命に関する,人を元気付ける音信を宣明しています。(マタイ 24:14。テモテ第一 1:11。マタイ 5:3)ですから,彼らには,「歓びをもってエホバに仕え」,「喜びの叫びをもってそのみ前に来る」理由があるのです。―詩編 100:2。

7,8 (イ)エホバに自分をささげた人々が,喜びを得ているとはいえ,いつも浮き浮きした気分でいるわけではないのはなぜですか。(ロ)生活上の困難な問題が,エホバの民を意気消沈させることがないのはなぜですか。

7 このことは,神に自分をささげた人はいつも浮き浮きした気分でいるという意味ではありません。不完全な人間社会においては,エホバの民も時に何らかの悲しみを味わいます。(ローマ 5:12)例えば,エサウがヒッタイト人の女を妻として迎えた時,「これらの女たちは[神を恐れる親である]イサクとリベカに苦々しい霊を抱かせるものとなった」とあります。(創世記 26:34,35)さらに,サタン悪魔はあからさまな迫害や間接的な「巧妙な行動」により,クリスチャンが持つエホバとの貴重な関係を打ち砕こうと必死になっています。(エフェソス 6:11,ギリシャ語聖書王国行間逐語訳)したがって,神を愛する人々は,人生航路に何らかの困難が生じることを予期できるのです。それでも,これらの困難な事態がエホバの民を意気消沈させることはありません。彼らは「聖書からの慰め」を得,神の霊と,霊の実である喜びを培う面での助けを,確信を持って祈り求めます。(ローマ 15:4。ルカ 11:13。ガラテア 5:22,23)生活上の試練があるとしても,クリスチャンは「聖霊の喜び」を持つことができます。(テサロニケ第一 1:6)とりわけエホバからの祝福は,その喜びに寄与します。

8 エホバの祝福は,確かに人を富ませます。(箴言 10:22)しかし,読者がクリスチャンであるなら,自分の祝福を数えたことがありますか。それらの祝福はあなたを『エホバにあって歓ば』せるものとなるはずです。(詩編 32:11)自分が得ている祝福のほんのわずかを考えるだけで,喜びに満ちた心をもってエホバに仕える十分の理由を見いだすでしょう。

比類のない喜ばしい特権

9 エホバを知るとはどういう意味ですか。このことは,喜びとどんな関係がありますか。

9 エホバを知りエホバに仕えるのは何にも比べられない祝福です。神は預言者エレミヤを通して次のように言われました。「自慢する者はこのことのゆえに,すなわち洞察力を持っていることと,わたしについて,わたしがエホバであり,愛ある親切,公正そして義を地に行なう者であるという知識を持っていることとのゆえに自慢せよ」。(エレミヤ 9:24)当然ながら,神のみ名に関する知識を持っているだけでは十分ではありません。エホバを知るとは,エホバの特質,物事の扱い方,態度,目的を知ることを意味します。エホバに従い,エホバの権威を認めてそれに服すことを意味しています。(ヨハネ第一 5:3)聖書を勤勉に学び,み父と完全に調和している神のみ子の言葉や行ないについて黙想するなら,神との個人的で親密な関係を得ることができます。(ヨハネ 1:18; 14:9-11)このようにしてエホバを知る人々は確かに喜びに満たされます。実際,「神[エホバ]はご自分のみ前にあって善良な人に,知恵と知識と歓びとをお与えになった」のです。―伝道の書 2:26。

10 人間の命を用いる点で,最も有意義で,最も満足を与える方法とはどんなものですか。

10 まことの神に「神聖な奉仕」をささげるという計り知れないほどの特権は,エホバの証人たちが得ているもう一つの祝福です。これ以上に有意義な,これ以上に満足を与える方法で命を用いることはだれにもできません。確かにゼカリヤ(バプテスマを施す人ヨハネの父親)は,エホバが,いつの日も「み前で忠節と義とをもって恐れなく神聖な奉仕をささげる特権」をご自分の民にお与えになったことについてエホバを賛美し,その点を見事に言い表わしました。―ルカ 1:67-79。ローマ 12:1; 啓示 7:9,13-15と比較してください。

11 喜びを生み出すどんな特権は,神に「神聖な奉仕」をささげることと関係がありますか。

11 エホバの証人としてエホバのみ名を担う特権は,神に「神聖な奉仕」をささげることと関係しています。(イザヤ 43:10-12)それは確かに喜びを促進するはずです。まさにエレミヤが述べた通りです。「わたしにとってあなたの言葉はわたしの心の歓喜となり,歓びとなります。万軍の神エホバよ,わたしはあなたのみ名をもってとなえられたからです」― エレミヤ 15:16。

12 落胆した場合には,どのような対照的な事柄を考えることにより,気分が晴れるかもしれませんか。

12 神に仕えていても時々落胆するのであれば,対照をなす事柄を何か少し考えてみると,気分が晴れるかもしれません。例えば,邪悪なみ使いたちが,神からの不利な裁きを受けるために『とこしえのなわめをもって濃密な闇のもとに留め置かれている』ことを考えると,エホバの奉仕にあずかっている義なるみ使いたちの境遇は,一層喜ばしいものとして際立ってきます。(ユダ 6)そして,喜びに満ちたイエスの立場と,とこしえの滅びに直面しているサタン悪魔の立場は何と著しい対照をなしているのでしょう!(啓示 20:10,14)さらにまた,エホバの憐れみ深いお世話と祝福に注目すれば,「義なる者と邪悪な者,神に仕える者と仕えなかった者との相違」を理解するのは確かに容易になります。(マラキ 3:17,18)しかし,喜びの心をもってエホバに仕えるための明確な理由となる,さらに別の祝福についても考えてみましょう。

真の自由と霊的な光

13,14 宗教的に言って,エホバの僕たちはどんな真の自由と霊的な光を得ていますか。

13 偽りの宗教の世界帝国「大いなるバビロン」からの解放は,確かに喜びを促進するもう一つの祝福です。真のクリスチャンは,自分たちが,『彼女の罪にあずかることも,彼女の災厄を共に受けることも』ないのでうれしく感じます。(啓示 18:2,4)加えて,エホバの僕たちは偽りの宗教に伴う恐れや作り話からの自由を得ています。「[あなた方は]真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」とイエスは言われました。(ヨハネ 8:32)この真の自由は,霊的な暗闇にいる人々の隷属状態を考えると,なお一層貴重なものに思えます。

14 例えば,偽りの宗教の数多くの信奉者とは違い,エホバの崇拝者たちは,話すことも,見ることも,聞くことも,かぐことも,触ることも,歩くこともできない像の前に身をかがめたり,そうした像に祈ったりすることはありません。(詩編 115:4-8)それに,霊的な自由を得,啓発を受けたクリスチャンは,地上に住む多くの人々とは違い,死者を恐れることがありません。人間には不滅の魂があるという偽りの宗教の教えは,死んだ人が戻って来て生きている人に付きまとったり苦しみを与えたりするかもしれないという恐れの気持ちをはぐくんでいます。しかし神からの霊的な光はこうした恐れを払いのけました。真のクリスチャンは,死者には『何の意識もない』ことを知っているからです。(伝道の書 9:5,10)神の記憶にとどめられている亡くなった愛する人々が,復活を経験するのを知ることは,それよりもはるかに健全なことです。(ヨハネ 5:28,29。使徒 24:15)確かに,エホバの献身的な証人たちは,自分たちが一つになって仕える天の父が,その聖霊により彼らに「神の奥深い事柄」を啓示してこられたことを喜べます。(コリント第一 2:10)そうです,神はご自分の民に,喜びを生み出す霊的な光と真理とを与えておられるのです。―詩編 43:3。

他の人々を助けることの喜び

15,16 (イ)イエスの初期の弟子たちが『自分たちの光を輝かせた』とき,何が生じましたか。(ロ)今日のクリスチャンは弟子を作る業においてどんなことを経験しますか。

15 霊的な光を反映することも祝福です。イエスはご自分の追随者たちにこう言われました。「あなた方は世の光です。……あなた方の光を人々の前に輝かせ,人々があなた方のりっぱな業を見て,天におられるあなた方の父に栄光を帰するようにしなさい」。(マタイ 5:14-16)それら初期の弟子たちが言葉と行動によって『自分たちの光を輝かせた』とき,何が生じましたか。他の人々も益を受けましたが,こうした活動はキリストの追随者自身にも喜びをもたらしました。(ルカ 10:1,17-20。使徒 8:4-8)確かに,これら弟子を作る人々は,喜びに満ちた心をもってエホバに仕えていました。―マタイ 28:19,20。

16 今日のクリスチャンも,王国の音信をふれ告げる業において,同様の喜びを経験します。特に,神の真理の知識を得るように助けた人々に関して,このことは真実となっています。使徒パウロはこの種の喜びを得ていました。自分が援助したフィリピの人々は自分の「喜びまた冠」であったと述べているからです。(フィリピ 4:1)同使徒は自分がテサロニケで援助した人々に関して,こう書きました。「わたしたちの主イエスのみ前,その臨在の際に,わたしたちの希望,喜び,また歓喜の冠となるものは何でしょうか ― それは実にあなた方ではありませんか。確かにあなた方は,わたしたちの栄光また喜びなのです」。(テサロニケ第一 2:19,20)そうです,パウロは今日のクリスチャンと全く同じく ― 霊的な面で自分が援助した人々に喜びを見いだしました。あなたはエホバの奉仕に励み,このような喜びを味わっていますか。

17 ある地域では結果が限られているとしても,エホバの証人が弟子を作る業に喜びを見いだすのはなぜですか。

17 今日,証しを行なっても限られた結果しか得られない地域もありますが,エホバの証人は自分たちが神に喜んでいただいていることや,神を賛美していることを知って喜びを得ています。ある家の人は,エホバの証人が戸口に現われることを好ましく思っていませんが,それでもこのことは真実です。エホバの僕たちはそのことで落胆しません。神に仕えることこそ,地上のだれもが享受し得る最も優れた特権であることを知っているからです。

迫害でさえ喜びをもたらす

18 クリスチャンが,迫害を受けても喜べるのはなぜですか。

18 迫害を受けることが多いとしても,クリスチャンは喜びに満ちた心をもってエホバに仕えます。イエスは,ご自分のために迫害される人々は幸いであると明言されました。また使徒ペテロもこう述べました。「キリストの苦しみにあずかる者となっていることを歓びとしてゆきなさい。それは,彼の栄光の表わし示される時にも,あなた方が歓び,また喜びにあふれるためです。キリストの名のために非難されるなら,あなた方は幸いです」。なぜでしょうか。ペテロはこう述べます。「栄光の霊,すなわち神の霊があなた方の上にとどまっているからです」。(ペテロ第一 4:13,14。マタイ 5:11,12)クリスチャンであるために迫害を経験することは祝福ではないように思えるかもしれませんが,そうした苦しみを忍ぶなら,あなたは神の霊と是認の証拠を得ることになるのです。その事実こそ確かに喜びを促すものです。

19 ナチによる迫害の犠牲者となったある人は,どのように自分の意見を述べましたか。

19 エホバがお与えになる神の聖霊と力を持っているので,迫害されるクリスチャンは極限状況のもとでも喜びを保てます。(フィリピ 4:13)何年か前,不当にも死刑の宣告を受けたある若いエホバの証人は,ナチの強制収容所から両親にあてて次のような手紙を書きました。「すでに真夜中が過ぎました。自分の考えを変える時間はまだ残っています。しかし,わたしたちの主を否定したあと,この世で再び幸福にすごせるでしょうか。決してできません! しかしわたしは幸福と平安のうちにこの世を去る覚悟ですからご安心ください」。そうです,迫害されるクリスチャンたちは,確かに喜びに満ちた心をもってエホバに仕えます。

喜ぶべき他の理由

20 仲間の信者たちと交わることによって,喜びはどうなりますか。

20 エホバの証人は自分たちが耐え忍ばねばならない迫害があるにもかかわらず,仲間の信者たちとの交わりにおいて真の喜びを経験します。何という祝福でしょう! 不正直と偽りと悪行に満ちるこの世にあって,「新しい人格」を身に着けた仲間たち,正直でうそを言わない廉直な仲間たちを持つのは本当に良いことです。(コロサイ 3:8-11)それに,自分自身の行状がエホバの心を喜ばせるものであることを知るのも大きな満足をもたらします。―箴言 27:11。

21 真の崇拝の関心事を喜びのうちに促進する方法には,どんなものがありますか。

21 クリスチャンの集会場所の建設や管理や維持などにあずかったりして,喜びのうちに真の崇拝の関心事を促進するのも祝福です。(出エジプト記 36:1-7。列王第二 12:4-15)このような努力は確かに心の喜びを人に与えます。そして,神から与えられた証しの業においてエホバの民に協力することに加え,彼らと定期的に集い合うことの祝福と喜びを,だれが完全に言い尽くせるでしょうか。―詩編 122:1。コリント第一 3:5-9。

22 敬虔な行為をする際の忠実さは,どんな結果を生み出しますか。

22 敬虔な行為をする際の忠実さも,豊かな祝福をもたらします。それは救いの見込みと,神が約束された新しい事物の体制での喜ばしい将来です。(ペテロ第二 3:11-13)希望に満ちたエホバの僕たちと,「希望もなく,世にあって神を持たない」人々との間には,何という相違があるのでしょう。(エフェソス 2:11,12)今日のエホバの民はダビデに和して,確かにこう言うことができます。「わたしは,あなたの愛ある親切に依り頼みました。わたしの心があなたの救いを喜びますように」。(詩編 13:5)実に,クリスチャンが自分たちの祝福を数えるなら,喜びに満ちた心をもってエホバに仕えるための数多くの理由が見いだせます。

「喜びをもってエホバに仕え」続けなさい

23 増しゆく圧力がわたしたちの考えを支配するのを許すのではなく,むしろわたしたちは何をすべきですか。

23 現在エホバの証人は数多くの祝福を味わっていますが,この古い事物の体制から来る増しゆく圧力を逃れるわけにはゆきません。職場でも,学校でも,ほかのどこでも,こうした圧力には勇気をもって当たらなければなりません。そのような要素は気をくじくものとなり得るのです。しかし,いつもこれらの不愉快な事柄がわたしたちの考えを支配したり,わたしたちを悩ませたりするのを許すのではなく,考える事柄を積極的で築き上げるものに切り替えるほうが賢明です。そうです,落胆したり悲しみに沈んだりするのではなく,「りっぱな業に熱心」であるようにし,エホバの僕としてのわたしたちの祝福について熟考しましょう。(テトス 2:14)そうすれば,絶えることのない宴を楽しんでいるかのように,快活になります。箴言 15章15節が述べている通りです。「苦しむ者の日はどの日もみな悪い。しかし,心の善良な者には絶えず宴がある」。

24 (イ)どうすれば,あなたの人生を報いの多い目的を持つものとすることができますか。(ロ)適切にも,どんな質問がここで生じますか。

24 一般に認められているように,多くの人々は自分の人生の境遇に満足しているわけではありません。しかし,神を愛し,神に従い,神への奉仕にたゆまず熱心に携わるなら,あなたの人生の目的は報いの多いものとなります。さらに,エホバの助けを得て,生活の様々な問題や圧力を,首尾よく耐え忍ぶことができます。ですから,大いに勇気を出し,喜びに満ちた心をもってエホバに仕えるときに神から与えられる様々な祝福を,これからも大切にしてください。(詩編 100:2)ところで,エホバの崇拝において喜びを引き続き保つには何が求められるでしょうか。

次の点を思い起こせますか

□ エホバの民は生活上の困難な事柄によって意気消沈させられることはありません。なぜですか

□ エホバを知るとはどういう意味ですか。このことは喜びとどんな関係にありますか

□ 弟子を作ることは喜びとどんな関係がありますか

□ どうすれば,真の崇拝を喜びのうちに促進することができますか

[11ページの拡大文]

エホバからの霊的な光を享受する人々は,死者を恐れない。むしろ,神の記憶にとどめられている人々の復活を待ち望む

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