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  • 恐れを感じさせる御名をになう者たち
    ものみの塔 1962 | 2月1日
    • たわけではなく,またキリスト教の真理から外ずれたわけでもありません。しかし,そのような誉のある名前をいただく以前に,彼らはイエス・キリストにならってエホバを公に証する者であると証明することが必要でした。彼らはこのことをしましたか。たしかにしました。ものみの塔聖書冊子協会と協力しつつ特に1926年以来このことをしてきました。その年,この協会の公式な雑誌「ものみの塔とキリスト臨在の先ぶれ」(英文)は,1926年1月1日号に,「だれがエホバをあがめるか」と題する強烈な中心記事をのせました。エホバがむかしの預言者の時代になされたと同じく,その時にご自身の御名を揚げられるということを,彼らは認識しました。それで,彼らはかってないほどにエホバの御名をあがめ,その名前を知らせることを決意したのです。彼らは,あたかも額に御名が書き記されているかのごとく,その御名を公に告白しました。彼らはキリストを通してエホバにまったく献身して,エホバに属したエホバの証者でした。

      24 神はどんな特定の聖句に彼らの注意を向けましたか。

      24 このような状況下にあって,神は彼らに聖霊を注ぎ,イザヤ書 43章10-12節の預言に彼らの注意をひきました,「ヱホバ宣給はく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり,然ばなんぢら知りて我を信じわが主なるを悟りうべし,我よりまへにつくられし神なく我よりのちにもあることなからん たゞ我のみ我はヱホバなり,われの外にすくふ者あることなし」「われ前につげ,また救をほどこし,また此事をきかせたり,汝らの中には他神なかりき,なんぢらはわが証人なり,われは神なり,これヱホバ宣へるなり」。

      25 いつ彼らはその名前をとり入れましたか。かくして,彼らは神に何を認めましたか。

      25 したがって,幾年ものあいだエホバの証者として奉仕して後,献身して洗礼をうけ,油そそがれたクリスチャンたちの残れる者は,エホバの証者という聖書中に述べられている名前を取りいれることにより,彼らの責任を全世界の前に宣明しました。神が前述の預言により「あなたがたは私の証者である」「私のしもべである」と彼らに告げておられることを確信して認めました。

      26,27 (イ)信者はいつでもクリスチャンと呼ばれましたか。この名前は聖書の中に何度ぐらい出ていますか。(ロ)その名前は,かつて彼らをどのように他の者から区別しましたか。それ以来,その名前には何が生じましたか。

      26 このようにして彼らは,クリスチャンと称えるキリスト教国のあらゆる宗派とは全くことなることを示しました。今日「クリスチャン」という名前は,19世紀前ほどに明確な意味を持つものでないことに気をつけましょう。使徒行伝 11章26節によると,19世紀のむかし「この〔シリアの〕アンテオケで初めて,弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった」。それは西暦50年頃でした。それで西暦33年から50年までの17年間,イエス・キリストの弟子たちはクリスチャンまたはメシヤ主義者と呼ばれませんでした。この事実の他に,「クリスチャン」という言葉は,全聖書中にわずか3回しか出ていません。―使行 11:26; 26:28。ペテロ前 4:16。

      27 なぜ彼らは(ギリシャ語)でクリスチャン(ヘブル語で)メシヤ主義者と呼ばれましたか。主イエスをメシヤあるいはキリストとして受けいれるのを拒絶した生来のユダヤ人またはイスラエル人と区別するためでした。しかし,ローマはクリスチャンとユダヤ人とを混同しまた。クリスチャンもユダヤ人の使用していた聖書を使用し,彼らの指導者イエス・キリストは生来のユダヤ人,イスラエル人あるいはヘブル人だったからです。それで,その時代のクリチャンという名前はキリストの真の弟子たちを区別するのに役立ちました。しかし,それから19世紀後の今日,クリスチャンの名前を取る宗教的な人々は幾億人もいます。しかし,彼らはキリスト教国内にもいる無神論者をも含めて,異教徒の中で,クリスチャンという名前をけがしました。

      28 クリスチャンは苦しみを受けるべきでないと,ペテロはどのように言いましたか。しかし,今日のキリスト教国の人々はどうですか。

      28 いまから19世紀前,すなわちキリスト教が罪に染まっていなかった時代に,使徒ペテロはキリストの弟子たちにあてて,次の言葉を書きました,「あなたがたのうち,だれも,人殺し,盗人,悪を行う者,あるいは,他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。しかし,クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば,恥じることはない。かえって,この名によって神をあがめなさい」(ペテロ前 4:15,16,新口)しかし,今日ではキリスト教国の刑務所は,ペテロの述べているこれらの罪を持つ自称クリスチャンたちで溢れています。すなわち,人殺し,盗人,悪を行う者,そして他人に干渉する者で一杯です。

      29 キリスト教国は歴史にどんな種類の記録をつくりましたか。クリスチャンという名前にどんな影響がおびましたか。

      29 ローマ皇帝コンスタンチン大帝の時代以来,キリスト教国が歴史中につくった記録は新教徒とカトリック信徒の両方にとって恥辱となるものです。事情に通じている異教徒は,今日クリスチャンという名前を聞くだけで悪事を連想します。クリスチャンと称する者たちは,外交的な理由および政治的な理由のゆえにキリスト教を奉じぬ広島と長崎の都市に2発の原子爆弾を投下しました。この原子爆弾のため,幾秒という短時間のうちに15万6000名の日本の市民は死亡しました。

      30 キリスト教と自称している諸国家について,どんな質問が生じますか。「名前には何があるか」という見出しの下に新聞の一評論家は,最近何と言いましたか。

      30 キリスト教国は,キリスト教を奉じていると思われる国民で構成されています。しかし,聖書によれば,この世の政治国家は,キリスト教であると称する聖書的な権利を持っていますか。1960年1月11日付のカナダのビクトリア「タイムス」紙の中で新聞記者ビー・エイ・トビンは「名前の中に何があるか」という記事の中で次のことを述べていました。

      ……われわれの宗教,われわれがこの地上にいる理由 ― これらのものの上にいつも適宜に貼りつけるレッテルは,はたしてその内容を正確に述べているかどうか厳密に調べられている。その結果,不快な考えが出てきている。

      たとえば,住民の中の少数者だけがキリスト教を真実に信じているときでもその国を「キリスト教の国」と呼ぶべきであろうかと,人々は質問している。

      エッチ・エル・メンケン〔アメリカの著述家,アメリカン・マーキュリ誌の批評家にして編集者〕はかつて次のように書いていた,「キリスト教国とは,人が起立して自分はクリスチャンであると言えば,聴衆全部が笑い出すようなところである」。

      それは30年むかしのことであった,今日では人々は笑うだけの興味さえも持ってはいない。

      31 どんな要因がかさなったために残れる者はその名前を取り入れるようになりましたか。いまどこにその名前は印刷されていますか。

      31 キリスト教国は,エホバ神のさばきの座の前に立つとき,御子イエス・キリストの名前に最大の非難をもたらしたため処罰をうけます。この事実からも,真実の献身したクリスチャンは名前だけのクリスチャンから離れたいとのぞむでしょう。どのように? キリストの父の名によってです。それで,彼らはキリスト教国と全世界の前で,キリストの父の名前エホバによって称えられており,彼らはちょうどイエス・ご自身がそうであったように,エホバの証者であることを告白します。エホバの現代の証者たちは,1931年にその聖書的な名前を受けいれる以前,新教徒とカトリックのキリスト教国内の宗教的な敵からあらゆる種類の非難と侮べつ的名前で呼ばれました。このことは彼らに聖書的な名前を採用させた強い原因でした。彼らはその名前に恥じず,かつその名前により,にせのクリスチャンたちとちがうことを示しました。それで,いまではその名前は辞書や百科辞典の中にさえ出ています。

  • クリスチャンは証言すべき
    ものみの塔 1962 | 2月1日
    • クリスチャンは証言すべき

      「神の下にあってすべてのクリスチャンは証言すべきである。すでに4世紀において有名な教父ジェロームは明言している。『洗礼によって俗人は任命を受ける』。もっと最近にジョン・アール・モット博士は書いている。『教会の偉大な時代は平信徒が教会の宣教に携わった時代である。……キリストのために証言することがすべての人に求められた。聖書の235以上の句はこの責任を忠実な人々の肩に負わせている』」。―「ルーテルの証人」1959年10月20日。

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