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活動に通ずる大きな戸口が開かれるものみの塔 1974 | 2月15日
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大会で奉仕したり,その合間には地域大会や全国大会の準備をしたりなどして非常に忙しく過ごしました。
1959年に,エホバはさらに別の祝福と特権をわたしに注いでくださいました。わたしは,当時ニューヨーク州のサウスランスィングで開かれていた王国宣教学校に出席するよう招待されました。これによって,わたしはイタリアで開かれる王国宣教学校の教訓者として奉仕する備えを得ました。
1961年1月に,わたしはサウスランスィングで勉強した教科課程を,イタリアの監督たちに教えはじめました。1963年1月に学校は中断されて,わたしは,ミラノで開かれた1963年「永遠の福音」大会の大会の監督として奉仕しました。この大会より17年ほど前にわたしがイタリアにやって来たとき,イタリアでこれほど大規模な大会に出席できるだけでなく,それを組織する特権に与れるなどとは考えてもいませんでした。公開講演を聞きにビゴレリ飛行場に2万人もの群衆が集まっているのを見るのは,なんという喜びだったのでしょう! そして1973年に,ローマのフラミニオ・スタジアムで開かれた「神の勝利」国際大会に5万7,000人を超す人びとが集った時,わたしはさらに大きな胸のときめきを感じました。
1960年代の後半になって,わたしは足にかなりの障害を感じるようになりました。年が経つにつれて,問題はいっそう深刻になっていきました。冷静に考慮した結果,わたしは,地域区での奉仕を続けることが困難であるとの結論を得,ものみの塔協会の会長に宛てて,ローマの支部事務所で奉仕したい旨手紙を書きました。エホバとエホバの組織の親切によって,わたしの申しいでは受け入れられ,1970年4月にわたしたち夫婦はベテル家族の一員になりました。
わたしは,イタリアでのこうした割当てを受け,この土地における真の崇拝の拡大に幾らかでも貢献できることを,エホバに深く感謝しています。二年ほど前に新築したばかりの,ローマの美しいベテル・ホームで生活できることも,エホバがわたしたちに示してくださった別の大きなご親切の表われです。イタリアでの業が伸展しているため,わたしの成すべき業はたくさんあります。エホバが,わたしがイタリアに来て以来のこれまでの年月の間,わたしに忍耐する力を与えてくださったことに,なんと深く感謝していることでしょう!「活動に通ずる大きな戸口」を,エホバがわたしに開いてくださったゆえに,今後エホバからどんな活動の割当てを受けようとも,わたしは,それを行なうのに必要な忍耐をエホバが与えてくださるとの確信をいだくことができます。
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羊を牧すること ― 多くのことが要求されるが,報いのある仕事ものみの塔 1974 | 2月15日
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羊を牧すること ― 多くのことが要求されるが,報いのある仕事
あなたは,クリスチャン会衆の羊のような人々を世話する責任をゆだねられているかたのひとりですか。『神の羊の群れを牧す』のは容易な仕事ではありませんが,しかし報いのある仕事です。(ペテロ第一 5:2-4)霊的な羊飼いの仕事は,ある点で文字どおりの羊飼いのそれになぞらえることができます。
中東のベドウィン人の羊飼いは,何世紀にもわたって本質的には昔と変わらない生活を今も続けています。今でも,地面にほとんどつくほどの長いシャツのような服を着ています。また外套,すなわちアバはラクダの毛か,手で紡いだ荒いウールでできており,頭にはアラビア風のかぶりものをまとっています。
羊飼いには,良い牧草地や適当な水飲み場を見つける責任があります。その上,羊が病気になったり,子羊が生まれたりすると,特別な注意を払わねばなりません。何年か前,シリアのある原地人は,ヘルモン山の斜面で羊の群れの番をしている羊飼いたちを観察して次のように伝えました。
「羊飼いはそれぞれ自分の羊の群れがどうなっているかを見届けるため注意深く見守っていた。生まれたばかりの子羊を見つけると,アバと呼ばれる大きな外套のひだの間に入れて抱いた。子羊はまだか弱くて母親についてゆくのは無理だからである。ふところがいっぱいになると,子羊が母親について行けるようになるまで,羊飼いは子羊を肩にのせたり,ロバの背中の袋やかごに入れたりして運んだ」。
同じように,霊的な良い羊飼いは「羊の群れ」に愛ある注意を払い,会衆内の弱い成員や新しい成員をやさしく世話します。そのようにして霊的な羊飼いはエホバ神の模範に見ならうのです。エホバがご自分の民に施しておられる愛ある世話は次のようにたいへん適切に描写さ
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