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忍耐を働かすものみの塔 1961 | 7月15日
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の不足を表わしています。それらの人々は,ノアの日の箱舟の外で出来事のおきるのを待っていた人々と同じ級の者たちです。彼らは神の御言葉あるいは目的に確信を持たなかったため溺死しました。クリスチャンの真の信仰は,知識と希望を合わせ持ちます。それは忍耐と辛抱を必要とします。使徒パウロは,コロサイ人にあてて書いた手紙の中で,毎日の生活における忍耐の必要を強調しました。彼は絶えず祈りをして,やめたことはないと述べました。彼はコロサイ人が,正確な知識にみちるのを見たいとのぞみました。しかし,それには時間と努力が必要であるということも知っていました。彼は,彼らが実をむすびつづけて,正確な知識を増し加え,霊的に強いもの,力あるものになり,あらゆる反対を全く耐えしのび,忍耐づよいことを示すようにすすめました。もし彼らがこれらのことをするなら,彼らはエホバにふさわしく歩き,あらゆる良いわざに実をむすんでエホバをよろこばすであろう。そしてこれこそたしかに真のクリスチャン全部の目標であると,彼は言いました。(コロサイ 1:9-11)エホバは御自分の目的を行なわれるときに忍耐を持たれています。私たちは,そのことに感謝の念を持つべきでありましょう。なぜならそれによって,私たちはいま奉仕する機会を持ち,そして正義の新しい世における永遠の生命という将来が得られることになるからです。―ペテロ後 3:15。
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忍耐と辛抱ものみの塔 1961 | 7月15日
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忍耐と辛抱
1 新しい世の社会内にいる者たちは,どんな祝福を楽しむことができますか。
忍耐と辛抱の力の真実の源は永遠の神,エホバです。エホバのクリスチャン制度の一部になる者たちはその中での立場を保つために努力を払わねばなりません。それは名誉の地位ではありません。正義の新しい世に実際に入れられるまで忍耐は要求されています。真理の光はますます明るくなっています。そして新しい世を期待するとき,彼はエホバが御自分の民に豊かに注がれる霊的な富を楽しむことができます。それに加えて,彼はイエスがこの時代になすべく指定した大きな収穫のわざに参加することができます。彼がこのわざをするとき,エホバの御霊は彼を支持するでしょう。(ゼカリヤ 4:6)かくも大ぜいの男,女,子供たちが,この大きぼな国際的な伝道のわざによろこび進んで参加している事実は,キリストが再臨していることを示す強い証拠であり,宣教に耐え忍ばねばならぬ理由を示します。
2 イエスと彼の弟子たちは,どのように辛抱づよいことを示しましたか。
2 イエスは最初この大きな伝道活動を率先指導しました。群衆が彼を嘲笑して,「あなたには悪霊がいる」と言っても,またいっしょうけんめいに教えた後に多くの弟子たちが以前の道に戻って,彼とともに歩かなくなったときでも,彼は落胆しませんでした。彼の弟子たちも正しい心を持っていて,失意落胆するということはありませんでした。彼が「あなたがたも去ろうとするのか」とたずねたとき,ペテロは次のように答えました,「主よ,わたしたちは,だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです」と答えました。(ヨハネ 7:20; 6:66-68,新口)同じく,興味を示してしばらくのあいだいっしょに歩く人々がわきにそれるとき
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