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神はどのような神殿の中に見いだせるかものみの塔 1974 | 7月1日
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なく,利己心のためあるいは強制されるために神に仕えていると主張した悪魔が偽り者であることをはっきり示しました。―ヨブ 1:9-11; 2:4,5。創世 3:1-5。
イエスは自分が地に来た主要な目的を示して次のように語りました。「真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」。(ヨハネ 18:37)イエスは忠誠を守り通して,サタンが偽り者であることを実証しました。(ヨハネ 12:31; 14:30)この点で失敗していたなら,イエスは自らの命を失い,また人類を贖うことができなかったでしょう。大祭司は至聖所に香を携えて入りましたが,ちょうどそれと同じように,イエスは,その全奉仕期間にわたり,祈りと奉仕ときずのない献身とを神に熱心にささげました。
キリストが至聖所に入る
完全な人間の命をささげるキリストの犠牲は成功裏に成し遂げられました。それゆえキリストは,復活ののち真の「至聖所」に入ることができました。自分の犠牲の文字どおりの血を携えてではなく,その血が表わしたもの,すなわち,その完全な人間の命の価値を携えてです。イスラエルの大祭司は犠牲とされた雄牛の血でもって,祭司たちから成る自分の家族のためにまず贖いをなし,ついで『主のやぎ』の血でもって一般の民のために贖いをしました。同じように,イエスの犠牲による贖いの真価も,14万4,000人の従属の祭司で成るイエスの家の者たちのためにまず適用されます。それは,クリスチャン会衆を構成する,霊によって生み出され,油をそそがれた人々,イエスの霊的な兄弟たちです。そののち,それは人類一般に対して適用されます。キリストはご自分の血でもって全人類を買い取ったからです。―ヨハネ第一 2:1,2。ローマ 8:29,30。ヘブライ 11:39,40; 啓示 7:9,10; ローマ 8:21と比較。
贖いの日には民の罪を担うやぎが荒野に行きましたが,それと同じように,イエスは人類の罪を遠く忘却の地に運び去りました。―レビ 16:20-22。
キリストの犠牲の真価が天でささげられたことによって大いなる対型的な贖いの日は終わりました。この『一日』は,西暦29年秋のイエスのバプテスマの時から,西暦33年にイエスの犠牲の価値が天でささげられた時まで続きました。イエスが天に昇ってから十日後,イエスの完全な人間としての犠牲の真価が天の「至聖所」で神にささげられ,それが受け入れられたという証拠がイエスの忠実な弟子たちに与えられました。どのようにしてですか。西暦33年のペンテコステの日に,エルサレムにいた彼らの上に聖霊が注ぎ出されることによってです。―使徒 2:1-36。
こうして,あなたが真に神を見いだせる場所が存在しています。それは,神の真の神殿であり,清い崇拝のための神の霊的な構築物です。神に近づく道は,その背景を問わずすべての人に開かれています。神に近づくために,あなたは,神が存在しておられ,「死んで」おられるのではなく,わたしたちに関心を払っておられることを信じなければなりません。使徒パウロはこう書いています。「神に近づく者は,神がおられること,また,ご自分をせつに求める者に報いてくださることを信じなければならない」― ヘブライ 11:6。
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アフリカでの珍しい宣伝方法ものみの塔 1974 | 7月1日
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アフリカでの珍しい宣伝方法
アフリカのスワジーランドでのこと,訪問中の巡回監督のスライドを上映する場所がありませんでした。間ぎわになって,やっと講堂を借りることができました。しかしこの地域の人々にその集まりをどうやって知らせるかということが問題でした。そこで,巡回監督は学校の校長を尋ね,金曜日の晩の集まりにすべての父兄を招待するよう子どもたちに勧めてもらえないだろうかと頼みました。校長はそれを承諾し,数時間後にはすべての人がその集まりのことを知っていました。そして120人がスライドを見にやって来ました。―「エホバの証人の1974年度年鑑」より
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