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  • だれが,またなぜ天に行きますか
    ものみの塔 1969 | 4月1日
    • 統治にあずからせるというエホバのお目的はなんと壮大ではありませんか。そして神は他の従順な人々のためになんとすばらしい見込みを置いておられるではありませんか。彼らには天の御国が統治する地上で幸福のうちに永遠に生きるという見込みがあるのです。

  • 『こうべを上げ』て救いを知らせる
    ものみの塔 1969 | 4月1日
    • 『こうべを上げ』て救いを知らせる

      エホバの証人の1969年度年鑑より

      台湾,中華民国

      人口: 13,753,464人

      伝道者最高数: 1,113人

      比率: 12,357人に1人

      1962年から67年までの6年間は,台湾の組織を清め,かつ強化する時期でした。この間,伝道者の数は減少しました。この徹底的な清めのわざはようやく結実を見ています。1968年度において,台湾の兄弟たちは伝道者数の5パーセント増加をもって祝福されたからです。野外奉仕報告のあらゆる面が前年より増加し,配布された本や雑誌および得られた購読予約の数は新最高数でした。1968年2月以来,アミ語の「ものみの塔」誌が刊行されたことは,このことばを話す800人以上の兄弟たちを大いに強めるものとなりました。

      羊のような人は,時に思いもよらぬ所で見つかるものです。以前の購読者を尋ねていた宣教者は,途中で会った男の人に道を聞きました。宣教者は自分の仕事について話し,講演会の案内状をその人に渡しました。3週間後,その人は御国会館に来たのです。聖書研究の取り決めが設けられ,2か月後,ノア兄弟が台湾を訪れた時には,その講演を聞くために400キロもの旅をしてきました。その人は講演から深い感銘を受け,講演の中で述べられた,人の命はその人自身の決定にかかっているという点について今でも話しています。自分のしているタクシー業が定期的に集会に出る妨げとなるので,彼は今,自分の仕事を売却しようとしています。それで,まもなく土地の会衆とともに伝道を始めることが期待されます。

      次の経験が示すとおり,聖書の個人的な研究を勤勉に行なう人は驚くほど進歩します。宣教者と勉強している一婦人は,その勉強のために勤勉に予習をし,毎号の雑誌をよく読んでいます。婦人は「聖書の話の筋書」の小冊子も愛読しており,その中にある話の筋書を一つ一つ研究しています。しばらく伝道に加わったのち,婦人はバプテスマを受けたいと考えていることが明らかになりました。そして,中国語の「ともしび」の本はまだ出ていませんが,バプテスマを受ける資格が備わっているかどうかを確かめるため,その本にある80の質問を尋ねてみるべきだと思われました。一緒に勉強している宣教者はこう語っています。「わたしは毎週幾つかの質問を訳し,それに答える聖句の出ている所を彼女に教えました。そして彼女は1週間かけてその『宿題』をするのです。彼女はそれらの聖句全部を書きぬき,聖句の意味を十分に考えていました。今彼女は中国語になった80の質問とその答えを持っています。それは全部彼女が自分の手で書いたものです。二,三度行けばすぐにバプテスマを勧める教会が多くありますが,彼女はバプテスマを望む者にこうして高い知識の水準が求められていることをむしろ喜んでいます。彼女の子供たちは母親が『宿題』に励むことに興味をもち,自分の母親が答えを覚えたか,『試験に通る』かどうかを知ろうとしました。もとより彼女は『試験に通り』,9月に開かれる地域大会でバプテスマを受けることを計画しています」。確かに,新しい人々が聖書を勤勉に学ぶように助けることは,産出的な研究司会のために肝要です。

      台湾の兄弟すべては中国語の「神が偽ることのできない事柄」が出版されたことに非常に感謝しています。これは大きな助けになります。そして来奉仕年度にさらに新しい出版物の出ることを待望しています。確かにエホバの組織は,世界の幾億人もの中国人の中からさらに多くの人が創造者を賛美しはじめるように,あらゆる努力をしています。わたしたちは台湾にあってこの仕事のためにわずかでも貢献できることを感謝し,エホバの御心であれば,より多くの人がとこしえの命を得るのを助けようと決意しています。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1969 | 4月1日
    • 読者からの質問

      ● 黙示録 12章3,4節は竜の尾が星の三分の一を引き落としたことを述べています。この星とはだれのことですか。三分の一という数は字義どおりに取るべきものですか。―アメリカの一読者より。

      あげられている聖句は次のとおりです。「みよ 大なる赤き龍あり,これに七つの頭と十の角とありて頭には七つのかんむりあり。その尾は天の星の三分の一を引きて之を地に落せり」。聖書の中では,霊的な創造物をさすために星ということばの用いられる場合があります。その一例としてヨブ記 38章7節は,「かの時にはあけの星あひともに歌ひ,神の子たちみな歓びてよばはりぬ」と述べています。これらの者が星と呼ばれているのは適切です。実際の星は字義どおりの天もしくは空にあり,他方,彼らは霊的な天に住んでいるからです。

      黙示録 12章4節の星は,大いなる竜サタンの働きによって神から離反し,悪霊となった霊の被造物をさしていると思われます。サタンはそれらの者を神への反逆に加わらせましたが,そのことは,えじきを襲う大きなヘビが自分のからだもしくは尾でそれを巻き込む場合のように,竜が自分の尾でそれらの星を引き落としたという表現の中に表わされています。これらの星が天から落ちたということは,天での戦いの時に放逐されたことではなく,サタンの誘惑により神から離反した時のことをさしています。それは,彼らの地に投げ落とされたことが,サタンである竜によると述べられ,他方,黙示録 12章9節にはミカエルとその使いつまりイエス・キリストとその天軍がサタンと配下の悪霊を投げ落とすと述べられていることからも明らかです。

      「星の三分の一」という表現について言えば,すべての聖なる天使の字義どおり三分の一が神から離反して悪魔サタンについたという意味に解すべきではありません。むしろこれは,かなりの数,しかし半分以下,したがって反逆に加わったのは少数者であることを象徴的に述べたものと思われます。黙示録の中には,地,樹木,海,船,海の生物,水,太陽,月,星,日,人間などについて,「三分の一」という表現がくり返し使われているからです。―黙示 8:7-12; 9:15。

      ● 夫とわたしはともに世俗の職業に従事しています。わたしは自ら働いて幾らかの収入を得ているのですから,その使途をわたしが決めるのは正しいことではないでしょうか。―アメリカの読者より

      妻が働いて得たお金をどのように,また,いつ用いるべきかについて,だれが決定するかはむずかしい問題です。それは,この問題に関する法律が土地によってかなり異なっていることからもわかります。妻の収入はみな夫のものとされ,夫は自ら適当と考える仕方でそのお金を使える土地もあります。別の土地では,こうした極端な立場は調整され,夫が法的権利を持つと同様に,妻も特定の権利を持つ成人として法律により認められています。したがってこの問題に関する法律はそれぞれ異なっています。

      結婚のきずなで結ばれ,愛し合い,互いを大切にすることをおそらく誓った二人が,互いに相手を法律上の敵対者と見なさなければならないとすれば,それは悲しむべきことです。神のみことばによれば,夫と妻は「はや二人にはあらず,一体」です。(マタイ 19:6)二人はともに働き,互いに協力し,幸福な結婚生活を営むようにともに努力します。エホバはそのみことばの中に原則のあらましをしるさせました。そして夫と妻が,結婚の取り決めのそれぞれの立場にあって,各自この原則に従うとき,今取り上げているような事柄を含め,結婚に関する諸問題は軽減あるいは除去できます。そして,配偶者の一方が信者,つまりクリスチャンである場合でさえ,しばしば良い結果が得られます。

      聖書には次のような助言があります。「キリスト(が)…〔会衆〕のかしらなるごとく,夫は妻のかしらな(り)…夫たる者よ,キリストの〔会衆〕を愛(せしが)…ごとく汝らも妻を愛せよ」。(エペソ 5:23,25,〔新〕)ではこの助言を家庭の経済問題にあてはめると,どういうことになりますか。

      まず第一に,家庭のお金の用途で決定を下すおもな責任は夫にあります。愛のある夫は,そうした事柄をおそらく妻と相談し,妻の考えや提案を得ようとするでしょう。しかし主要な事柄について最終的な決定を下すのは夫です。時間,能力,当事者の好みによって異なりますが,夫は,ある種の請求書や通常の出費の支払いはもとより,食物や衣服の購入など,日常生活の色々な決定を妻に一任する場合もあります。夫がそうする場合には,言うまでもなく,それだけのお金を妻に与えねばなりません。また,ところによっては,ある程度のこづかいつまり自分個人の品物や崇拝の事柄に関する出費その他の支払いにあてるお金を持つ権利が法律によって妻に与えられています。賢明な夫はこのような事柄で妻に不必要にきびしくせず,むしろ「妻を…弱き器のごとくし,知識にしたがひてともに棲み…これを貴(ぶ)」でしょう。(ペテロ前 3:7)それで,こうした事柄については夫婦がそれぞれ互いに理解し合えます。

      しかし,夫がかしらであるという問題をさらに論じてゆくと,夫はその立場上,家族の経済面を監督できますが,それ相当の責務を負わねばならないこともわかります。つまり夫は,家族をささえるものを備えるおもな責任を負っています。普通の状況の下では,仕事を持って一家の生計をまかなうのは妻ではありません。それは夫です。聖書の次のような原則に基づくおもな責任をになうのは,ほかならぬ

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